第53話:表情/君の

 俺は尋常じゃないほどの激情に襲われた。瞳に映る彼女に、ではない。その彼女を痛めつけた、俺にとっては見過ごせないあの男だ。

 俺を痛めつけるに飽き足らず、彼女にまで手を出したのか――ッ!!


「瞬……顔、怖い……」

「……わりぃ」


 ソフィアの指摘に、俺は顔を背ける。今すぐにこの表情は変えられない。そんなに揺れる激情ではない。

 明らかに俺よりも痛みを覚えている彼女は、荒い息を吐きながらも俺を見続けている。横目で彼女を見やるしかできない。あまりにも痛々しい姿だ。

 計器で照らされた光が、彼女の柔肌に浮かぶ水の玉によって反射する。彼女はそのせいで輝いて見えるというのに、その彼女に光はなかった。


「どうして、そうなったんだ?」

「……マルクを止めようとしたの」

「ッ! まさか、生身でッ!?」

「……それが一番早かった」


 彼女の言葉がそのまま光景として思い浮かばれる。

 俺が気を失った後もマルクが攻撃を続けていた。そこに止めようと生身で駆け寄るソフィア――第三者の介入によって止まるはずのマルクの暴走は、ソフィアへの攻撃となった。

 ギアスーツが如何に危険な物か、あのマルクが知らないわけがない。ましてやただの人を攻撃するだなんて――最悪、死ぬ。簡単に思うけれど、それは途方もない最悪だ。


「あいつ……」


 俺がここまで憤っているのは、マルクと言う男を信頼していた部分があったからだ。

 人としての最低ライン――人を殺してしまうという状況への躊躇はあると信じていた。だけども、所詮は勝手な希望だ。俺の中で定めているルールが、必ずしも相手に通ずるわけがないんだ。

 ……いや、これも勝手な言い分だ。俺だって、あの拳一つで最悪、マルクを殺していたのかもしれないんだ。

 あー、むしゃくしゃする!! 結局、被害を被ったのはソフィアだ。なら今、支えられるのは俺しかいない。


「その……大丈夫なのか?」

「……うん。痛いのは慣れてるから」

「慣れてる、って?」

「マルクの凶暴性を抑えるために、宛がわれたのが私。だから、人よりも頑丈にできてる」

「……ッ」


 それは、身近にいたはずの彼女が、とても遠い場所にいたのに気付いてしまったようだった。マルクからの暴力が日常的に行われていた、という事でいいのだろう。俺はそれを知らなかった。アイも、遠見も先生もたぶんそれを知らなかったのだろう。だって、彼女はそれを隠していたのだから。それを隠し通せるだけの心があったのだから。

 ソフィアが抱えている腹から手をどける。桃色のパジャマのボタンは外されていて、彼女の綺麗な白い肌が目に映る。あぁ、そうだ。腹部にはまったくもって外傷などない。腫れている跡すらない。ただ彼女が流す汗が、輪郭を沿ってシーツへ落ちていくだけ。


「傷が……」

「……他人よりも早い治癒力。外傷はすぐに消えて、内部器官もすぐに治る――おかしいでしょ? 私って」


 その時のソフィアの表情が目に焼き付いた。なんて……酷い笑顔なのだろう。瞳からは涙が零れ、額は苦悩からの滴を浮かび上がらせていて、それでいて俺に笑いかけるのだ。


「アイ・Aアルトリス・イグリスが普通の人間ではない、という事はあなたも知っているはず。私もそれと同系統。何かしらの目的で作られたデザインベビー。私の場合は、マルクの暴力性を一身に受けるというもの」

「……なんで」

「マルクという男もまた目的のために作られた。でも、彼はそれ以上に幾つもの能力を有していた。ギアスーツの戦闘能力だけじゃない、プログラミングや、ハッキングなどの才能。だからこそ、彼は他者にその能力を求めて、満たされない者への苛立ちを募らせて――暴力に走る」


 ソフィアの語るマルクと言う存在は、どこか俺と似ていて決定的に俺と違っていた。

 俺に才能と呼べるものはまだ見つかっていない。マルクは自分のその才能を自覚している。

 それでも、結果は同じであった。マルクと瞬という男は、根幹こそ違えど、結論はその暴力という手段だったのである。


「その唯一の弱点は大きな欠点であった。だからこそ、私というある目的のために作られ、欠陥品とレッテルを張られた存在が適任だった」

「欠陥品、だと」

「そう。その目的は、身体が頑丈でなければ果たされないものであった。マルクの暴力性を受け止める人形には最適だった……これが私。ソフィア・ユオンは、マルクを引き立たせる存在であり、マルクの欠点を補う外部パーツ」


 何とも痛ましい事だろう。そんな、自分を人間ではないと語る事を平気で行える彼女が、あまりにも儚く見える。ボロボロになった身体は治るが、心までは治らない。

 あぁ、だからこそソフィアという少女は、マルクと共に活動し、いつもその表情は鉄面皮だったのだ。道具に意思はない。それを準ずるために。

 でも――少なくとも最近の彼女はそうではなかったはずだ。ゼミに参加している彼女は、少なくともマルクからは解放されていた。マルクが参加しないゼミの中、彼女は確かに自分の意志で俺達といたはずだ。


「でも、お前は俺達と一緒にいた。お前は自分をマルクの付属品と言うが、俺にはそうは見えない」

「人間は道具にはなれない。それはデザインベビーとて同じ。この学校において、マルクは一人でいる事が増えた。私の同行は必要のない、と。だからこそ私は――初めての自由の中にいたの」

「だから、俺達と一緒にいたのか?」

「ゼミに所属して、そういう日なら参加することにしていた。それがきまり。ルールだから」


 気づかなかった。俺がどこか目で追っていた彼女の心情を。

 彼女にとってこの学校生活は、初めてまともに送る事のできた歳相応の生活だったのだ。俺達が普通だと感じていた今を、彼女は謳歌していた。


「なんで、俺に言ってくれたんだ? 俺だって、言葉の意味ぐらいは解る。お前の出自が普通じゃない事も、お前が歳相応の女の子だって事も」

「…………」

「お前が語ってくれた事を、俺は無視できない」

「どうして、だろう……」


 ソフィアは俯いて、俺の視線から外れた。でも、そこから絞り出される声を、俺はハッキリと聞く。


「瞬は、ね。私が初めて、希望を見せてくれた人だったの。何も知らないのに私を部屋に匿ってくれた。マルクを殴ってくれた。あの時、私は止めたけど、心の中では感謝してたの。……酷いよね」

「酷くあるもんか……ッ」


 自分を傷付けてきた奴にそんな感情を抱くのは当然だ。だってそれは、自分が自分で決めた事なんかじゃない。自分で決めたなら許容はできる。でも、彼女はそうさせられたのだから。


「お前は人間だっ。俺と同い年の女の子だッ! 無表情でクールで、いつも何考えているか解らない、でも誰かのために自分を犠牲にできる……バカだッ!!」


 彼女をそうさせた世界への理不尽。彼女を傷付け続けたマルクへの憤り――それもあるけれど。

 それ以上に、俺は――お前があまりにも不器用な事に心が痛いんだ。


「でも、それがお前なんだ。俺が知ったソフィアという女の子は、俺達と一緒に学校で暮らす仲間だ。それ以上もそれ以下も知らない」

「…………」


 俺は知らない。彼女が如何に悲痛な人生を歩んできたかだなんて。彼女の言葉だけでは想像しきれない。


「だから――」


 それはたぶん、俺が秘めていた熱い心。出会ったその時から、彼女を部屋に匿ったあの時から、俺は確かにソフィアと言う存在に惹かれていたのだから。


「お前がそんな表情かおをするのなら、俺が必ず守ってやるッ!」


 ――その言葉を聞いた彼女の表情を忘れない。

 冷たい花と思っていた彼女は、確かにその時だけは熱を持って笑ったのだから。

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