第52話:責任/子供達への

「瞬の方は軽い全身打撲か……」


 保健室に運び込まれた教え子の姿に、俺は唇を噛む事しかできなかった。

 昨日、マルクと瞬が殴り合った事は俺によるものだ。俺が情けないばかりに、瞬はこんな事になってしまった。

 アイから受け取った連絡を頼りにアリーナに急行した俺に待ち受けていたのは、ボロボロになった夕暮れ色のカルゴと腹を酷く損傷したソフィアであった。瞬に優衣が涙を流して寄り添って、遠見とアイがソフィアの看護に手間取っていた。

 原因である俺が言うにはおこがましいが――それらを行ったマルクは逃走。ギアスーツごと消えたため、そのOSを頼りに探索しているが、まだ見つかっていない。彼が何か細工している可能性もあるが、今は目の前の惨状を受け止める方が先だ。

 口に出したように、瞬の方は軽傷であった。全身打撲を軽傷というのは、骨折をしていないからという前提があるからだ。傭兵の悪い感覚で、折れてないなら動けると思ってしまうのだ。

 対して――


「生身の人間にギアスーツ、か」


 ソフィアの損傷は激しかった。コアスーツによる筋力増強を受けた斬撃は、たとえ殺傷性がないとされる模造剣であっても、生身の身体には大きく響く。殺傷性がないというのも、想定敵がギアスーツである。

 運がいいのか、ソフィアの腹部が切れているわけではない。だが、女性の腹部には大事な部分がある。内臓の幾らかがやられていて、それでいて――


「いや」


 検査の結果は出ている。内臓の一部が異常を起こしている以外は、腹部に影響はない。想定していた最悪の事態ではない。ではないが、なぜ彼女があの戦いに介入したのか。

 二人とも昏睡状態であり、面会はしばらくは謝絶されている。関われるのは、教師である俺とキノナリ、あとは学校長――


「……思いの外に、手厳しい状況だな」

「……えぇ」


 部屋に入り、一瞥しただけで状況を判断した学校長を見やる。

 二十年来の付き合いであるこの人と対峙するだけで、精神的に重圧がかかる。それが、かつての彼が行っていた職務に自分がなっているとなれば、尚更に。


「俺のせいです。教師である俺のせいで」

「言葉を誤るなよ。大人だ。大人で教師だ。お前の責任は、その二つである」


 学校長の言葉に苦味を覚える。確かに、俺は教師の前に大人であり、その大人の責務も果たせずにいる。

 俺の手元にあった資料を強引に奪った学校長は、目を細めて、厳かに二人を見る。並べられた二つのベッドに横たわる瞬とソフィア。


「発端は理解した。元より、私が出した選択だからな。私にも責任がある」

「…………」

「英雄とは言え、人は人だ。ヒューマ。君がこの偽名に込めたように、君はどのような偉業を成そうとも人であるに変わりはない。世界を救おうが、戦争を終わらせようが、所詮、個人も守れぬ弱者だ」

「……そうですね。俺は結局、大事なものを守れない未熟者です」


 かつて、目の前の彼が先生で、俺が一人の生徒だった頃。

 外敵の出現でたくさんの生徒が死んだ。その外敵を俺は倒しはしたが――喪った者は帰っては来なかった。

 先生とはそこで一度疎遠になったが……その後も、俺は様々なものを喪ったはずだ。共に戦った友人、外敵とコミュニケーションをとっていた少女、尊敬する隊長――そして最後には自分をも喪ったはずだ。

 喪い続けてきた。だから、再びこの星に生を受けた俺にとって、今度こそ何も喪わないように、と心を殺して愛する者達へ尽くしてきたはずだ。

 ――その結果がこれだ。


「起きてしまった事を悔やむのはいい。だが、悔やみ立ち竦むのは違う。前を向け。お前が喪いかけた者を目に焼き付けろ。私も焼き付ける」

「……はい」


 そう。ここで悔やみ続けるのは誰にだってできる。だが、そこから前に進まなければならない。

 瞬とソフィアの光景を見守る。二人とも俺の生徒だ。俺が守るべき生徒だ。だからこそ、必ず――



     ◇◇Shift:Syun◇◇



 記憶違いでなければ、俺が相棒となるカルゴに出会ったのは小学校低学年の頃。当時、まだ陸軍仕様のデザートカラーであったそれを見て、俺は年相応にかっこいいと思ったものだ。当時、ロボット物のアニメや漫画を好き好んで見ていたのも原因だろう。

 結果的に、あの時に型落ちの機体であるカルゴに一目惚れしてしまったので、後のミスティアだったり、伊弉諾イザナギには目もくれなかった。我ながら、愛情が深いというか、拘りが過ぎるというか……優衣にはいつも乗り換えたらって言われてたな。

 その優衣の意見を無視し続けてきた。それは、こいつが俺の悪癖を受け止めてくれていたからだ。


「瞬君はどうにも喧嘩っ早い部分があります」


 かつての先生の一言を覚えている。三者面談の時に、その先生は俺の母親にハッキリとそう言ったのだ。取り繕う事もなく、ただ、一教室を受け持つ先生として。

 俺の中には確実な暴力性がある。人を殺す、とまではいかなくても、無視できない事には徹底的に反抗してしまい、その果てに手を出す。

 それは悪だと知っていても、自分の意見に意固地になる俺は正当な手段として、殴り合いで解決してきた。それを抑えつけてくれたのは、相棒だった。

 ギアスーツに乗れる歳になり、いざ纏うとこれまでと世界が変わって見えた。装甲に包まれて、いつもより異様にある怪力。それに恐れを感じたのだ。

 これで誰かをいつものように殴ってしまえばどうなるか。考えたくもない想像だ。ギアスーツは兵器だと聞かされていたが、実感してみるとその重さを知った。

 ――そうだ。銃を軽いと思ったのも……。

 その重さを忘れていたんじゃないのか。自分が纏うそれを。だから、ギアスーツに乗ってから抑えられていた暴力も抑えが効かなくなっていて……。

 そうであれば、俺は結局、成長どころか退化していたという事になる。あの俺が異常と感じていた感覚も錯覚だったのだろう。


「――ッ」


 瞼を広げる。身体全体に感じる痛みから逃げるために目を瞑っていたが、もう限界だった。精神的にも参っている。自嘲する元気も湧いてこない。

 骨が軋むような痛みに耐えながらも上半身を起こす。時間的には深夜なのか。バイタルチェックの計器以外の光はない。せめていつも使っている携帯端末があれば――と周囲を見渡していると、


「――瞬」


 静寂を貫くような、冷たくも綺麗な声音が聞こえた。桃色の仕切りの向こう、計器の光で照らされた女性の影がこちらを見ていた。どうにも、同日に怪我を負った子がいたらしい。


「君は……誰だ?」

「ソフィア。ソフィア・ユオン」


 冷静に、しかしどこか苦痛を覚えているような弱々しい返答が返ってくる。まさかとは思うが、ソフィアも何かしらの怪我をしたのだろうか。


「お前も怪我をしたのか?」

「……うん」

「そうか……」


 表情が見えないから、彼女のその頷きがどのような心情を表しているのかが判別できない。ただ顔が見えないだけで、感情を理解できなくなるなんて。

 しばらく沈黙が続く。相手の表情が見えない以上、かけられる言葉が見つからない。女の子との会話には少しだけの自信があったが、ここで活かせなければ意味がない。


「――マルク」


 その短い名前にこめかみがピクリとした。

 そう、俺はあいつと決闘をして負けたのだ。そしてこの有様――徹底的に俺をやったらしい。おかげで身体中が悲鳴を上げる。だが、むしろそれで済んだらしい。


「見に来てたのか、俺とマルクの決闘を」

「いいえ。それすら知らなかった。だから、見たとしても、それは決着がついてから」


 そうか。どうやら無様な姿を曝し続けてしまったらしい。せめて一矢を報いたシーンを見てくれていたら印象は変わってくれるだろうが……。

 しかし、それならどうしてソフィアはここにいるのだろうか。


「ソフィア。熱でも出たのか?」

「……違う」


 その声は何か迷ったように聞こえた。顔が見えなくても、確信を得られた。だって、確かにその声は震えていたのだから。


「マルクに――斬られたの」


 その告白を聞いて、俺は自分でも解らない感情のままに――痛みなど無視して――邪魔な仕切りを跳ね飛ばしていた。しゃー、とレールを走る桃色のカーテン。露わになるソフィアの寝間着姿。

 計器の光に照らされた彼女は、腹を抱えて蹲っていた。苦悶の表情を浮かべて。額から垂れる汗は、静かにベッドに零れ落ちた。

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