第14話

 そこは、オベロンのブリッジとほぼ同じ構成になっているが、規模が倍以上はあるギガンティスの作戦指令室である。その作戦司令室の中心にあるホログラムでは、オベロンが破壊される様が映し出されていた。

 その作戦司令室に、笑い声が響く。ブラックソルであった。闇色の髪の少年は、げらげら笑いながら、自分の艦隊が壊滅するのを見届ける。

 司令室のオペレータである他の少年たちを見渡すと、ブラックソルは漆黒の瞳に浮いた涙を手で拭いながら、言った。

「おれと同じ趣味の野郎が、いるとはな」

 ブラックソルは立ち上がると、笑いながら司令室の出口へ向かう。出口の手前で立ち止まると、振り返って言った。

「おまえたち、よく覚えておけ。美とは畏怖のことだ。快楽とは破壊のことだ」

 言い終えると、ブラックソルの顔から笑みが消える。

「すべてのベヒーモスクラスを、出撃させろ。龍を、派手に出迎えてやれ。奴に相応しい破壊を用意しろ」

 そしてブラックソルは、地下へ向かった。銀色に輝く冥界へ、破滅の凶天使が降りてゆく。


「答えを聞きにきたぞ」

 メイは、ブラックソルの前に再び立った。黒い巨人が銀色の大樹に磔にされている、その場所で。そして彼女自身の死のような、美しい死体の前で。

 メイは問いただすブラックソルを、真っ直ぐ見据える。そして、頷いた。

「仕事を受けるわ。あなたと、ダイブします」

 ブラックソルは、望む魂を手中に収めた冥界の王のように、満足げな笑みを見せる。少年は無造作に手を伸ばすと、汚れを知らぬ新雪のように白い肌をした少女の顔を、手で掴む。

「おれたちは、今から死を超える。一緒に行こうぜ、地獄の支配者のところへ。おれは神話の詩人のように、死せる者を帰してくれと頼んだりはしない。相手が何だろうと、おれの前に跪かせてやる」

 ブラックソルは猛々しい笑みを、見せる。メイは、ブラックソルの手を払いのけると鼻で笑った。

「あきれた不良ね、あんたは。能書きはいいから、さっさと始めましょう」

 ブラックソルは昏い瞳を、楽しげに輝かす。

「ああ。時間が無い。今から始める」

 ブラックソルとメイは、それぞれのブースに入る。メイはブースのパネルを操作し、ヘッドセットを身につけた。網膜投影装置のついたバイザーを降ろす。識閾値を超えたレベルの視覚、聴覚情報がヘッドセットを通じて彼女の中へ流れ込みだした。

 メイは無意識のレベルで、膨大な情報を受け取っていく。それは、単なるビットのオンオフの情報にすぎない。毎秒数ギガの情報が、彼女の中へ流れ込んでいくが、メイの表層意識では、単なるノイズとしてしか感知できなかった。しかし、彼女の深層意識には巨大な湖に雨が振り注ぐように、情報が蓄積されていく。

 降り注いだ情報は彼女の中で、自己を再構築する。それは、暗黙知のレベルにおける、上位焦点化の精神作用といえた。単純に言えば、強力に作用する直感力である。

 情報群は、コンピュータのメモリ上に展開されたように、彼女の中で動作を始めた。それはメイにとっては、いつもは建物のイメージで了解されるものである。

 メイの中に注ぎこまれる情報は、建物のイメージとしてオペレーティングシステムを表現した。そして、その建物の内部を動き回る機械として、アプリケーションシステムはイメージされる。

 ただ、今回のダイブは、全く違った。そのイメージは建物とは、ほど遠いものである。しかし、メイはそのイメージをよく理解していた。

 それは、銀色の巨人である。彼女の中に、磔にされた漆黒の巨人に絡みつく銀色の巨人が、形成されていた。そして、メイはその巨人と一体化しつつある。

 メイは、その銀色の巨人と一体化しながら、自身がダイブしているのが、いわゆるシステムと呼ばれるものと幾分違うことに気づき初めていた。つまり、巨人は内部にデータベースを収容した存在ではなく、単なる通り道、いわゆるインターフェーサでしかないということだ。

 メイは自分自身の中に、漆黒の巨人との繋がりができたのを感じる。今の彼女は、漆黒の巨人と会話する事ができた。そうする為のプロトコルを、自身に内蔵している。

 そのプロトコルは、しかし、通常のサイバーネットワークのものとは大きく異なっていた。いわゆる情報をトランスファーする為の規約では無く、それは、むしろ魔法的契約を思わせる。

 メイは自身の血肉、あるいは精神の一部(それはイメージ上の話である)を漆黒の巨人に『喰わせ』、見返りとしてある契約を履行してもらう。それは、漆黒の巨人の背後に伺うことができる、巨大な闇の世界から眠れる何者かを、呼び覚ます事のようだ。

 メイは、そのプロトコルに触れただけで、酷く邪悪なものを感じた。漆黒の巨人は、関わる者を宿命的に崩壊させ狂わせる闇の魔王のようであり、そして巨人が一体化している巨大な暗黒世界は、宇宙の根幹部分、宇宙の創世部分からねじ曲げていくような、不気味な力を感じさせる。

「何をためらっている」

 突然、ブラックソルの声が響いた。いきなり身体の内部に、金属の刃が出現した感覚である。メイからは、ブラックソルが見えない。ブラックソルは、彼女にとってメタレベルにいる。いわば、彼女を外から見ているのだ。

「さあ、漆黒の巨人を、目ざめさせろ」

「だめよ」

 メイは、ブラックソルに向かって叫んだ。

「間違っている。このユグドラシルは、世界を狂わせる為の存在だわ。宇宙に部分的な狂気を発生させ、その中でエントロピーを逆転させようとしている。うまくいえないけど、これは根元的な邪悪さを秘めてるのよ」

 メイは、全身が熱くなるのを感じた。これは、笑いである。ブラックソルの哄笑であった。彼の笑みが熱となって、彼女に照射している。

「はっ!何か勘違いしているだろう、メイ・ローラン。地球帝国の連中は恐れたのだ。宇宙の創造に関わるレベルで、宇宙そのものへ傷をいれる事を。おれがやろうとしているのは、それだ。宇宙を崩壊させる。そして、おれと、リンダで世界を作り直すのだ。

 たとえ出現するのが、邪悪な狂気にのみ込まれた世界であろうとも、それこそ、おれたちの生きていく世界として相応しい物だ。なぜなら」

 メイは、ブラックソルに、漆黒の巨人とその背後にある暗黒世界以上の、激しい邪悪さを感じた。

「おれたちがマルスで見たものこそが、それだからだ」

 メイはもとよりブラックソルに逆らうことなぞ、できるはずがなかった。ブラックソルは、彼女のメタレベルにいる。今や、彼女以上に、彼女自身が見えていた。

 メイ=銀色の巨人が、動く。その銀色の血が、その精神、メイの魂の一部が、漆黒の巨人へと流れ込んでいった。闇色の巨人は、それを喰らい、咀嚼し、ようやく目ざめ始める。

 そして、暗黒の巨神は太古の眠りより目ざめた。終末の啓示をもたらすために顕現した、黙示録の獣のように。メイは、宇宙が軋む音を、聞いた。

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