正義の味方の敵のみかた

雨後の筍

悲劇とは高次元より見下ろす喜劇

【勧善懲悪】


【砂糖菓子】


【必要な犠牲】




 少年少女よ、砂糖菓子のように甘く脆く立ち向かえ。




 僕が最初に彼女と言葉を交わしたのは、入学式から二週間くらいして高校の授業に慣れてきた頃だったと記憶している。

 その時彼女はつんけんとしていて、女子連中だけでなく男子からも遠巻きに眺められていたのをよく覚えている。

 その彼女が落とした消しゴムが僕のほうに転がってきたのは、今でも何かの宿命だったんじゃないかと思っている。

 もちろんその時の僕に彼女との因縁などわかるはずもなく、今まで話したこともない女子と一言二言の事務的な会話をしただけだったのだけれど。


 だが、今ならわかる。

 あれすらもきっと台本通り。

 許されないことだ。僕と彼女の関係は僕と彼女だけの関係であるべきだ。

 そこに余人の介在する余地はない。

 これは組織の上役の命令からだって聞き入れられない。

 彼女は僕の獲物で、僕は彼女の獲物なのだ。

 これだけは何者にだって脅かさせやしない。脅かさせてたまるか。

 そう、互いに誓ったはずだったのに……。




 私が最初に彼と言葉を交わしたのは、5月半ばのある日の放課後だったと記憶している。

 クラス委員だった私が先生に頼まれた仕事を片付けて教室に荷物を取りに戻ると、窓枠に腰掛けて夕闇に染まる校庭を憂い深い表情で見つめる彼がいたのだ。

 その表情があんまりにもあんまりに悲しげで寂しげで儚かったから、ふと声をかけてしまったのだ。

 なんとも私らしくないことだ。他人を守るためには、他人にかかずらう余裕などなかったはずなのに。

 私はいつだって孤独で、孤立して、だからこそ他人を救える存在であったはずなのに。

 それでも、そんな私の気まぐれから生まれた一言を彼は聞いていたのか聞いていなかったのか、意味深なことを私に告げてそのまま去っていってしまった。

 当然久方ぶりの私の厚意をふいにした彼に怒りが沸いたし、憤懣やるかたなしにその背を追いかけてやろうかとも思ったのだけれど、彼が鞄を置き去りにしているのを見て考えを改めた。

 鞄を忘れるくらい彼は何かを深く考えていたのだ。その姿勢を馬鹿にしてはいけない。

 だから私は、鞄をそのままに何も言わずに帰宅の途についたのだ。


 夕闇は夜闇へと変わり、陽は落ちていた。


 その時にはもう決まってしまっていたのだろう。

 あの陰のある姿は普通の高校生に出せるような雰囲気ではなかった。

 半ば直感じみた感覚で理解していたのだろう。彼とはこれから先関わりを持つことになるに違いない、と。

 許されるだろうか? こんな暴挙が。私と彼との関係は私と彼だけの関係であるべきだ。

 それに余人の介在する余地はない。

 これは私が一人で対応すべき話で、知り合い程度の奴らに指図される謂れはない。

 彼は私の獲物で、私は彼の獲物なのだ。

 これだけは何者にだって脅かさせやしない。絶対にだ。

 そう、互いに誓うことになったのに……。




 彼女が俺を庇った。

 彼女を庇おうとした俺を押しのけて、だ。

 おかしいじゃないか。

 今、守られるべきは正義のお前だったはずだろう?


「なぜだ!?」

「なんでだろうね?」

「とぼけるんじゃない! 君が犠牲になる必要なんてどこにもなかっただろう!?」

「それはどうなんだろう。今の場面で倒されるべきなのは実際私だったんじゃないかな」

「本当にそう思ってるのか!? どう考えたって今のはおかしいだろう! なんで僕を押しのけた!」

「だって、私を狙った攻撃をどうしてあなたが庇うの? あの人はあなたのお仲間でしょう? だったらそれにやられるのが私なのは当然のことだわ」

「違うだろう……今のは俺が犠牲になるべきところだった……それが必要な犠牲になるはずだったんだ……」

「そうね、あなたならそう言うでしょうね。でもね、あなたがそう思う以上に私はこうも思うのよ」


 血をだくだくと流しながら、今にも息絶えそうな真っ青な顔をしながら、それでも彼女の言葉ははっきりとしていた。


「この世界が本当に勧善懲悪の世界だって言うのなら、別に私たち正義の味方が手を下すまでもないんじゃないかなって」


 一旦言葉を切って微笑んだ彼女の顔は、聖女のような女神のようなある種慈愛に満ち溢れた神々しいものだった。

 そこには善も正義も悪もなかった。ただ何もかもを包み込む聖母の愛だけが溢れていた。


「本当に正義が悪を倒すものならば、その原則が正しいのならば、あなたがいつまでも悪の幹部をやっている必要なんてどこにもないのよ」

「それは、どういうことだ」

「だって正義は必ず勝つものなのよ? あなたなら私のことをきちんとわかってくれているでしょう? 言いたいこともわかるはずよ」

「でも、それは」


 そこでいつものような、僕にしか見せないあの悪戯な笑顔を浮かべた彼女は、僕に呪いの言葉を吐いたのだ。


「あなたなら、やってくれるわよね? 悪がいつまでも悪である必要はないのよ」


 そう、僕の心に甘く染み渡っていくように。


「あなたは今日から私の代わりに……正義の味方になるの」


 とても甘美に。


「自分の恋人を殺した悪の幹部を倒すために隠された力を発揮する正義の味方だなんて、ありふれた陳腐なテーマだわ」


 そう、そうだろう。だが。


「だけど、それが正義の味方って存在なのよ。愛しい存在を守るために。そうやって力を発揮する」


 でも。だけど。


「私は今まで愛なんて信じていなかった。私さえいればそれこそが平等で正義だと思ってた」


 しかし。


「でも、違ったのね。愛しい存在がいるだけで力が沸いてくる。その人のために頑張ろうと思えるようになる」


 だからって。


「だからね、私はこう思うようになったの」


 そんな幸せそうな笑顔で。


「そうやって自分の愛した人のために立ち上がれる人は、その人こそが正義の味方なんだって」


 最後みたいに語ってんじゃねぇよ!


「ふふ、恋人を殺した悪の幹部を倒すのはいつだって正義の味方なのよ。例えそれを成したのが同じ悪の幹部だって、その人は正義の味方だわ」


 ……いいだろう。そんなに君が言うのならば。


「ええ、その顔よ。その凛々しい顔。あなたは学校にいるときはいつも憂い顔なのに私と戦う時だけはいつもそんな顔をしてたわね」


 愛想の悪い男で悪かったな。


「うん、いっつも愛想が悪かった。でも……私にだけはいつも真剣だったわ」


 ごふぃっと口から大量の血を吐き出す彼女。その腹に空いた大穴はもうなにをしようと致命的なことをに伝え続ける。


「だから、あなたにあとを託すの。私という存在の証を。そして、あなたがこれからも生きていける立派な理由を」


 それでも語調が乱れないのは彼女の最後の意地なのだろうか。


「それでね、あのね」


 その今にも力が抜け落ちそうな手を俺の頬に添えて。


「もう一つ、最後にひとつだけ」


 微笑むのだ。今にも眠りに落ちそうなそのとろんとした瞳で。

 その砂糖菓子よりも脆く儚く甘い笑みを俺は一生忘れないだろう。


「いままでありがとう、さよなら」


 彼女の姿が急速に滲んでいく。その微笑みが見られないじゃないか。邪魔をするな。

 彼女の手から力が抜ける。俺の頬に赤い一筋の線だけが残る。


「愛してた」


 溢れ出す邪魔者を拭えば、彼女の瞳はもう閉じられてしまっていた。


 どうしろというのだろうか。

 こんなシナリオを考えた駄作者はどこのどいつなのだろうか。

 悪は負けるべきだろう。

 俺は所詮正義の味方に情が移ってやられる程度の役じゃなかったのか。

 俺はうすうす覚悟していたんだ。

 こんな展開聞いていない。

 どいつのせいだ。

 今目の前でこちらを興味深そうにニヤニヤと見つめるやつのせいか。

 それとも総統が痺れを切らしたのか。

 だが、今の俺にはもうそんなことどうでもいいのだ。

 なぜなら。


「ああ、俺だって……愛してたに決まってんだろうが、ばかやろうが」


 悪は正義の前には滅びるのが必定ならば、やつらを滅ぼす者が存在するのも当然だからだ。

 確かに彼女は負けたのかもしれない。

 だが、それは本当に負けだったのだろうか。

 犠牲であったのは確かだろう。

 新たな正義を生み出す必要な犠牲だったのだろうか。

 その尊い死に様を犠牲などと安い言葉で表していいものか。

 許されない。

 視線を感じる。

 俺を見つめる視線だ。

 俺たちの無様な姿を嘲笑う姿だ。

 目の前のあいつじゃない。

 俺の知っているどいつでもない。

 でも、確かにそいつは笑っていた。

 俺は、きっとそいつを殴りに行かなければならない。

 だが、それよりなにより優先すべきこともある。


 まずは、目の前の悪を滅ぼすのが、正義の味方の仕事だろうから。






「君が正義の味方だったなんて気づきもしなかったよ」

「そう? 私は頭のどこかで思っていたわ。あなたが悪の幹部かもしれないって」

「不思議なものだね」

「ある意味当然の帰結のような気もするのだけれど」

「まぁどっちにしろ君には思うこともある」

「それはこちらの台詞ね」

「倒させてもらおう」

「私があなたを倒すのよ?」

「どうしてかな、君だけは僕の手で倒したいんだ」

「奇遇ね、あなただけは」

「そう、君だけは」


「「なぜだか他のやつには渡したくない!」」

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