第六話 のほほんと

のほほんと 1/4 ~黒川効果~

 悠と亮太は大学でお昼を食べながら詩織を待っていた。最近休日はいつもそうして三人でご飯を食べる。

 普段は大学に来ると、食堂か購買部で買って食べるが、今日は残りご飯のおにぎりだ。お茶だけ買って、詩織が教えてくれた国語棟の小さなラウンジに来ていた。

 詩織によると、他の棟には自由に使えるイスや机がないらしく、国語棟のこのラウンジは穴場なのだそうだ。他の国語専攻の学生達は大勢で群れるため、もっと広い場所に行ってしまう。


「ねえ、おかか美味しくない!」

 亮太は一口かじったおにぎりを突き返してきた。悠はムッとしながら、受け取らずに叱りつけた。

「梅干し嫌いって言うからおかかにしたんでしょ。それしかないから食べな」

「だってこのおかか美味しくない!」

 『この』? 普通のおかかは美味しいが、悠が作ったおかかは美味しくないと言うつもりだろうか。プライドを刺激された悠は亮太に聞き返した。

「じゃあどんなおかかがいいの?」

「少し甘いのがいいの!」

 甘いおかか……詳細は不明だが、普通のより手間がかかるのは間違いなさそうだ。次おにぎりを作るときに一回作って満足させたら、それからはおかかのおにぎりは避けよう。

「じゃあ次は甘くしてあげるから。今日は我慢してそれ食べな」

「これだったら梅の方がいい」

 悠は梅のおにぎりを亮太に渡すと、辺りを見渡した。そろそろ詩織があれを持ってきてくれるはずだ。どんな出来栄えだろう。あの時は緊張していた事もあって、どんな話をしたか、もうよく覚えていない。自分で見るのは恥ずかしいという気持ちもある。でも、あれは大勢の学生達の目に触れる。詩織と亮太と一緒に確認しておかないと。

「悠、詩織来たよ!」

 亮太がせかし気味に言った。亮太の指さす先に悠が顔を向けると、建物の扉を押し開けて詩織がこちらにかけてくる。

「お待たせー」

 詩織はにまにまと笑いながら、鼻に引っかけるような声でそう言った。もうリュックを前に抱えて、開ける用意をしている。

「お疲れ。詩織なんでそんな…笑ってんの?」

 悠にそう聞かれると、詩織はさらににんまり笑ってみせた。

「だってさ、悠の顔あまりにも『やったついに来たぁ!』って感じ丸出しだったから」

「えっ! うそ?!」

 悠が思わず自分の顔を触ると、詩織は声をあげて大笑いした。

「あっははは! 嘘だよ!! ねえ早く見ようよ、私もまだ見てないの」

 詩織は二人の向かいに腰かけると、リュックを開けて中から一冊の雑誌を取り出した。

 この雑誌の名前は「justice」。大学の学生が主体となって作る学内広報誌だ。大学内での学会、フォーラム等の紹介の他にも、大学付近のオシャレな雑貨屋から食堂の新メニュー、さらに、在学生、卒業生、先生、場合によっては学外の人のインタビュー記事も載っている。

「何ページ?」

「分かんない。悠探して」

 悠は雑誌を手に取って目次を開いた。「直撃! 学生を支える身近な社会人…13ページ」これだ。

 ミニテーブルに置いて、二人にも見えるようにページをめくると、インタビューを受けた社会人四人の写真が、見開きいっぱいに載っていた。左下にいるのは間違いなく悠だ。四人の中でずば抜けて笑顔がぎこちなく、悪い意味で異彩を放っている。見た瞬間、詩織はまた大笑いした。

「あっははは! な、何これえ! 不自然な表情! あのさ、撮り直しとかしなかったの? これでOK出たんだ」

「あんまり時間がなかったんだよ。なんか、私の後すぐ他の人のインタビューだったらしくて」

 これは嘘だ。本当は、ガチガチに緊張していた悠が何を言われてもまともに笑えず、トータル三十分近く苦戦して撮影した中でこれが一番マシだったのだ。でもそんな事、恥ずかしくて詩織には口が裂けても言え

「嘘だ。だってさ、悠にインタビューした後大学に帰ってきた美紀と黒川君と、私一緒に、昼食べたもん。この笑顔が悠の限界だったんでしょきっと」


 インタビューは定休日、岡本食堂で行われた。カメラマンは黒川君、インタビュアーは美紀ともう一人の男子学生だった。


 詩織に嘘を見破られて、悠は笑いながら顔を真っ赤にした。

「ねえ写真だけなの?」

 亮太が身を乗り出して覗き込んでいる。もちろんそんなわけはない。インタビューの中身も気になる。ページを進めると、悠と美紀達、それに店内の風景の写真も載っていた。

 インタビュー中の写真に写っている悠の表情は、撮られることをあまり意識していなかったため、さっきの写真よりいくらかマシになっている。

 漢字が読めない亮太のために、詩織が記事を読み上げ始めた。

「えっとね…『Q:この仕事にやりがいを感じるのはどんな時ですか?』『A: 食べ終わったお客さんの笑顔を見る時ですね。うちは味も評判いいし、メニュー一つでたっぷり食べられるので、学生さんにも満足してもらえると思いますよ』『Q: おすすめメニューを教えてください!』『A:全部ですよ!(笑)でも、学生さんの人気は揚げ物ですね。鶏だったら唐揚げ、鶏カツ、ささみカツ、チキン南蛮。とんかつならロースもヒレも。魚ならアジ、イワシ、白身フライ。それにエビフライもありますし、冬はカキフライが最高ですよ。あと意外なところで、モツ煮込みも人気あります』ぅ?……あっははあ! 何これえ! これさ、悠、猫かぶってるよきっと!!」

 詩織につられて、亮太も笑い始めた。真面目に一生懸命答えたのに、失礼なやつらだ。確かに無難というか、ありきたりな感じはするが、笑われるのは気分が悪い。悠は雑誌を取り上げた。

「笑うんなら見せない!」

「あー分かった! 分かったからさ!」

 インタビューは最後まで無難でありきたりだった。あれだけ緊張した上に、こんなありきたりな答えしか言っていなかったからよく覚えていなかったのだろう。

 記事はさておき、悠がとにかく驚いたのは、写真が見事だった事だ。悠のぎこちない表情を除けば、文句のつけようがない。写真の店内はオシャレではないが、不思議と明るくて開放感があり、なんだか趣すら感じられる。

 別の日に撮った料理の写真も、とにかく美味しそうで、もはや知らないお店の記事を読んでいるみたいだ。悠が写真をまじまじ眺めているのを見て、詩織も写真に目を向けた。

「んー、美味しそう。これさ、鶏カツ?」

「これはね、ささみカツ定食。美味しいよ。今度食べにおいで。でも、この写真すごいね。私、店内も料理も毎日見てるけど、こんなにきれいに美味しそうに撮れるもんなんだ」

「黒川君さ、すごく上手いんだって。撮影も加工も。ページ全体のレイアウトとか、企画もいくつも考えてるらしいよ」


 美術専攻の黒川君は誰から見ても、地味などこにでもいる学生のように見えるだろう。オシャレでもイケメンでも、かといって不細工でもない。物腰は柔らかで、しゃべり方も穏やかでゆっくり。誰かが困っていると、色々気にしてくれる。でも出しゃばらないし、何かをベラベラ語ったり、自分の正義を振り回したり押し付けたりしない。

 こうやっていくつか要素を抜き出してみると、わりと悠の好みのタイプだ。だが悠は、はっきり言って爪の先ほども惹かれていなかった。

 要するに、黒川君は見た目も中身も、言葉で言える所も言えない所も、とにかく全てが圧倒的に地味。でも悠も詩織も美紀も、亮太も認める、いいやつだし、実際みんな彼には優しくしてもらっている。それに、詩織の話ではかなり優秀な学生らしい。


「ねえ悠、おれもこれ食べに行きたい」

 亮太がささみカツ定食を指さした。こんなボリューム満点の定食、亮太に食べ切れるわけがない。でも、職場に来てくれるのはちょっと嬉しい。

「じゃあ詩織と一緒に来る?」

「うん、行く。ねえ詩織!」

「いいよ。連れて行ってあげる。これさ、りょうたが食べ切れなかったら、私が食べてあげる」

「絶対食べ切れるよ!」

 絶対食べ切れない。

 詩織は明日バイトがあるため、明後日亮太を連れて岡本食堂に来る事になった。これでお客が二人増えた事になる。黒川写真効果と言ってもいいだろう。だとしたら、明日からしばらく岡本食堂は学生で超満員になるかもしれない。



                  *



 それほどでもなかった。今日は大忙しになるのを覚悟して出勤したが、夕食時の今、お客の入りは八割を超えているものの、超満員と言うほどではない。

 ただ、いつもより少し学生のお客が多いような気もする。しかも、ささみカツの注文がいつもより多い。やっぱり黒川写真効果に感謝だ。

「悠さん。こんちわーっす」

 入店してきたスポーツウェアの男子学生が悠に手を振って挨拶してきた。

「あ、袴田君! いらっしゃい。空いてるとこにどうぞ」

 袴田君は、この前美紀と一緒にインタビュアーをしていた美術専攻の男子学生だ。背が高くて細身で色黒で、いつもスポーツウェアを着ているらしい。声もよく通って、明るい。ある意味黒川君とは対照的だ。

 今日は後ろに同じくスポーツウェアの、彼女らしい小柄な女の子が一緒に来ている。袴田君は彼女と二人で座敷の上へと上がった。

「ささみカツ定食二つお願いします」

 そういえば袴田君は、黒川君と写真を撮りに来てくれた時にささみカツを食べたいと言っていた。こんなに早く来てくれるとは、嬉しい限りだ。

「はーい。今日ささみカツ多いんだよ。記事のおかげで繁盛させて貰ってるよ」

「いやあ、それなら俺達も嬉しいっすよ。また何か機会あったらjusticeのやつらの事よろしくお願いします」

 袴田君は悠から受け取ったおしぼりで顔を拭った。「やつらの事」って、まるで…。

「袴田君、それだといなくなっちゃうみたいだよ」

 悠が軽く笑うと、向かい側に座った彼女が袴田君を見ながら遠慮がちな声で言った。

「スウェーデンに行くんだよね」

「あ…そうなんです。俺、留学するんすよ。来週日本を発って、まず何か国か旅する予定なんです」

「え、ホントにいなくなっちゃうの? いつ帰ってくるの?」

「三年後っすね」

 長い! 正直、悠にとっては他人事だが、同期の学生がみんな卒業した後帰ってくるという事だ。しかもその間、このかわいい彼女とも遠距離恋愛だ。まあ、他人事だが。

「じゃあしっかり勉強して、さらにいい男になって帰ってきな!」

 悠はそう言って厨房に向かい、大将に袴田君の留学の事を話した。大将は優しくて気前がいいから、何かサービスしてくれるはずだ。

「よーし! じゃあ、彼は今月いっぱい二割引きだ!」

 話をちゃんと聞いていない。

「大将、彼来週日本を発つんで、何か一品でいいと思いますよ」

「よーし! じゃあ、ミックスフライ定食サービスだ!」

「もうささみカツ定食注文してるんで、焼き鳥とかでいいと思いますよ」

「よーし! じゃあ、好きな焼き鳥サービスだ!」

 結局、悠が決めてしまった。袴田君はささみカツと砂肝を食べ、悠と大将にお礼を言った後、彼女と二人で店を出ていった。

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