山を下るような心持ちで

平林 藍湖

1.何も良くない

浪人生活一日目の朝である。気分は頗る悪い。

スマートフォンはどこに置いていただろうか。身体は布団を被ったまま、手を右往左往させ、それらしい形のものを捕まえる。

ああ、もう八時なのか。所謂宅浪となるにあたって、この生活リズムもだんだんと日常に馴染んできてしまうんだろう。

朝、僕はいつだってブルーライトを浴びながら目を覚ます。いつの機会だったか、ある女友達にその話をしたとき、なんでスマートフォンなんか見て目を覚ますんだとしつこく聞かれたことがあった。僕がどんなに、起きてしばらくは布団を出るのが惜しいからとか、コーヒーを飲むとお腹が痛くなるとか、理由をいろいろとつけて話してみても、彼女はよくわからないような顔をして、ふーん、とだけ言っていた。

後からよく考えて、彼女は、なぜ人はスマートフォンを見ると目が覚めるのか、ということが単純にわからなかっただけで、なぜ僕がスマートフォンを見ることで目を覚ますのか、なんてことにはこれっぽっちも興味がなかったのだとわかった。なんとも自分勝手な回答をしてしまったのだと気付いた時には、その話題をやすやすと蒸し返すことが困難なほどの時間が過ぎていた。

SNSを開くと、その女友達が「今日から大学生!ドキドキするー」などというような投稿をしているのが目に入った。彼女はブルーライトのことを知らない割に、僕から言わせてみればかなり優秀な大学(女子大なので、僕にはどう頑張っても合格できない)に合格しており、そして今日、晴れてその名門大学の誇りある学生として、新生活をスタートさせる。

普段から彼女を馬鹿にして茶化していた僕には、そのことがなんとも言えず、いや、はっきり言おう、自分がかなり情けないと思った。

浪人を決意したのも、実はそれが理由の一つにある。僕は僕自身のプライドにかけて、なんとしてでも彼女よりも上の大学に入ってやらなければならない。

さて、この投稿に思いがけなく屈辱的な気持ちになった僕は、彼女を茶化してやろうという意図で、彼女の文体を真似るように「今日から浪人生!ドキドキするー」と、投稿してやった。

そうして、なんだか一瞬だけ晴れやかな気分になったところで、直ぐに馬鹿馬鹿しくなり、その余計な気付きが、だんだんと気分を下げていく。

だめだ。どうしたって彼女は名門大学の希望に溢れる新入生で、僕はついこの間桜を散らせたばかりの、ピカピカの浪人生だ。その差は、少なくとも来年の合格発表の時までは、絶対に埋まることがないのだ。

その投稿を削除しようと編集ボタンに指を触れる直前で、「いいね!」の通知が届いた。

彼女からだ。

スマートフォン越しに、プロフィール画像にちいさく収まった彼女が、不自然なほどにパッチリと目を開けながら微笑んでいる。くそ、何が「いいね!」なんだ。

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