鍵、傘、指輪、あと一つ
忘れものが悲しんでいる。
置いてかれて、心細くて、空しくて。
ぼくは迷子だ。放送されても君は引き取りに来ない。
私も探しているのに、どうして会えないんだろう。
遂にあきらめてしまったあの子たち
ね、誰かに拾われたりしましたか。
*
私は失くしものが多い。鍵、傘、指輪は特に。
鍵をしょっちゅう失くす。なかなか見つからない。
しばらくしてコートのポケットに手を入れて、あっ。
たまにドアに差したまま。これは危ないから、ほんとだめ。
身代わりなのか、得体のしれない鍵が、時折発見される。
大きさもまちまちで 何の鍵かもわからないコレクション。
どこかを開ける秘密の鍵ならば、実にファンタジーだ。
スペインの旅行中に トランクの鍵を失くし
あきらめて壊すために探した、クエンカの金物屋さん。
いきなりの狼藉者のような羽目になり
自らに戒めをとの嘘のつぶやき。
水色の柄のペンチが気に入って、後悔どころか、甘い航海。
記憶の鍵も 同じように忘れていくのだろう。
小説のノートを、鍵付きの革の小さなトランクに入れておいた。
こっちはダイヤル式の たった4桁の番号がわからない。
革を切り裂きでもしなければ、読めない小説。
そこまでするほどの価値もない ただの文字の羅列だ。
*
雨が窓を叩いているなら、きっと忘れないのに。
雨上がりで君の気配が消えてしまうと、置き去りにしてしまう。
銀の棒に引っかけたら 100%献上品。
あまりに忘れるから、ベルトつきの傘にして
自分の鞄に片方くくりつけたりもした。
降りる瞬間には忘れていて、自分でつなげた鎖に
引っかかって転び、心臓どっきり寿命を縮める。
忘れ物預かり所に 君を何度も迎えに行ったね。
駆け付けた場所で、すぐに「あれです!」と見つけて 一緒に帰る。
3回やって、3回とも見つかったからきっと油断した。
運命が私と結び付けた子だと 勝手に安心していた。
4回目は、なかった。紺地に白い水玉模様のあの子。
荷物も 網棚に置いたら だめだ。
ケーキさえ。お見舞いの果物は、もう折り返し電車の中。
何か印をしたらいいかなと、腕時計をはずして膝の上に置く。
きっとね、降りる時に思い出せるよ。
そのまま立ち上がって、腕時計を転がして壊した。
*
指輪を失くす天才なので「お前には二度と買わない」と叱られる。
外した時に その辺に置くのがいけないんだと
小さなアクセサリー袋に入れたよ。でも、その袋ごと見つからない。
いっそ一生はずさなければいいのだろうか。
だいすきなものほど、失くしてしまう。
イタリアの 小さな飴のような指輪。
そして、あなたがくれたルビーの指輪。
私だって、めちゃくちゃ悲しい。だからもう忘れてしまおう。
指輪を失くすなんて、もう女じゃないみたいだ、私。
あの時、指にはめていた感触だけが甦る。
ごめん、結婚指輪まで失くすとは、さすがに思わなかった。
*
失くした物のことは、心が覚えている。
そんな無責任な言葉を思いついて、自分の駄目さ加減を知る。
こういうのは、執着しているというのか、執着してないというのか。
失恋も 「恋を失くす」と 書くよね。
そう、もう一つは、恋。
私が 失っているのか
あなたが 失っているのか。
何処かに 落としてしまった 恋。
本棚に「忘却の彼方の私的図鑑」があったとしたら
きっと私の罪の羅列、なのである。
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