第20話;エスケープ
ロビーで待機した。この後、白江が加わる予定だ。1階には、小さなゲームセンターやお土産屋、無料のインターネット環境があって、同じ学校の生徒が男女入り乱れて楽しんでいた。お土産屋で、名産のビーフジャーキーを購入して橋本に差し出す。彼女はそれを口で引き千切り、男勝りに食べた。
「1つ、良い考えがある。」
白江が加わり、作戦を提案する。何故だか白江が頼もしく見える。彼も彼で楽しいのだ。『脱出計画』を立てると言う事が…。彼からは、『俺も冒険に参加する』と言う台詞は出てこなかった。
「女子側からの脱出は可能だ。問題は男子側。…窓から脱出するのはどうだ?」
しかし作戦は名案でもなかった。昨日の昼に試した事だ。白江は、僕が窓から滑り落ちた事を知らない。何よりも、脱出したところで部屋に戻る方法がない。橋本が、『そのまま朝まで外で過ごす?』と冗談を言う。…恐らく冗談だ。恐らく…。
「違う。梯子を使うんだ。昨日の晩、男子は寝る組と寝ない組に別れただろ?寝る組の部屋で様子を伺って、ばれないように脱出する。梯子は、脱出した橋本が外から掛ける。井上はそれを利用して出入りすれば良いんだ。」
しかし彼の提案には続きがあった。それに言葉を失う。感銘もした。彼が、本当に頼もしく見えた。
「でも、梯子はどうするの?」
橋本が、重大なミスに気付く。確かにそうだ。話が上手過ぎた。梯子なんて準備していない。
「今日の昼、体育館裏で見かけた梯子を拝借した。」
しかし白江は、自慢げな態度を続けた。
「寝る組の部屋の真下に置いて、雪で覆って隠した。橋本はそれを掘り出して井上を呼び出し、帰る際にもう1度埋めてから部屋に戻れば良い。」
「……。」
更に言葉を失う。今度は、橋本までもが言葉を失った。
「点呼が終わったら橋本は様子を見て非常口に向かい、梯子の準備が出来たら連絡してくれ。井上は寝る組の部屋で俺と待機して、連絡が来れば降りて行けば良い。」
白江が、僕と橋本の連絡係になってくれると言う。残念な事に僕は携帯を持っていない。使い方も良く知らない。白江は、電話での連絡は着信音や声が耳障りなのでメールで連絡を取り合うのが無難だと言うけど、そうなると益々分からない。
2人が電話番号を教え合い、メールも交換する。僕はそれを、何とも言えない気分で見ていた。背中を丸めて、指先で何やら細かい作業をしている姿も異様に映った。嫉妬?魔術への恐怖?…分からない。
白江が手本を見せた後、僕に練習をさせる。難しい…。指が太いせいか、文字が押せない。キャンセルするのも変換するのも上手く出来ない。様子を見ていた2人から、平仮名の打ち方だけを教わる。何となく打てるようになったので電話を返し、点呼までの時間をゲームセンターで過す事にした。
ゲームセンターには、エアーホッケーや射撃ゲームなどの大型機械が所狭しと並んでいた。景品ゲームもあった。ぬいぐるみやフィギュア、お菓子などが入っていた。
「あっ、これ見て…。」
橋本が何かを指差す。ガラスの向こうに15センチ程の、妖精のぬいぐるみが転がっていた。一般的に想像する、可愛い女の子の妖精だ。本ではこの妖精を、風の妖精『シルフ』と紹介している。
「こんなに小さくて可愛い妖精に出会えたなら、私、捕まえて持って帰る。」
橋本が残酷な話をする。持って帰った後の対応が気になる。ペットみたく扱うのか、それとも…標本にしてしまうのか…?白江なら標本、若しくはホルマリン漬けにするだろう。或いは、妖精を媒体とした魔術を行うかも知れない。
「妖精の姿なんて…色々だよ。」
土の妖精『ノーム』を思い出し、そう呟いた。同時に不安に駆られた。出会えるのは雪の妖精とは限らない。仮に妖精に会えたとしても、どんな姿をしているのか分からないのだ。本に載る妖精の姿も疑わしい。橋本の希望も、多分叶わない。
「どう見えるかなんて…その人次第だ。」
白江も会話に参加する。橋本の言葉に、僕と彼は同じ気持ちになっていた。
「結局、本当に妖精がいたとしても、人がその姿を勝手に書き換える。写真でも撮らない限り本当の姿なんて、誰も分かりはしないだろうさ…。」
白江の言葉に雪女や氷の魔女を思い出す。彼はたまに、何かを悟ったような話をする。それが多分、最初に彼を見てピンと来た理由だ。カバンには『呪』と書かれていて、魔術や呪術のような悪趣味が目立つけど、それが彼の全てではない。…多分…。
「人でもそうだろ?誰かに『あの人は良くない』と言われたけど、実際に会ってみると印象が変わる事もある。その逆も然りだ。先入観に振り回されるんだ。そして妖精みたいな存在は、性格だけじゃなくて見た目も変えられる。だから魔女や妖怪と言われたものが、実は妖精だったりもするんだ。目の前のぬいぐるみだって、妖精がモデルなのか、人の想像がモデルなのか分からない。」
「…そうだね。」
橋本が白江に理解を示す。彼女は僕にUFOの話をしたのだ。
(………。)
そして僕は、とある話を思い出した。ポリアフ…。雪の妖精に近い存在と思われる、ハワイの女神だ。伝承に残る彼女の…
いや、ここでちょっと皆にテストをしたい。ポリアフは雪の女神とされ、4人いる大女神の1人で、その中でも最も美しい存在とされている。さて…ポリアフの第一印象は?
彼女は人間界の王に嫁いだけど、王女に氷の呪いを掛け、夫となる王も殺してしまった。同じ四大女神であり、火山の女神と崇めらるペレも何処かの島に閉じ込めたとされている。…さて、果たして彼女の印象は?
ただ、ポリアフの行為は裏切りや陰謀に対しての仕返しや仕打ちだった。彼女は、無暗に暴力を振るう事はしない。実際、彼女は人間達と仲睦まじく暮らしていたそうだ。
恐らく、今の話だけでもポリアフの印象が一転、二転したと思う。そこで彼女の姿も想像したのなら…人は彼女を、どう描くのだろうか?魔女のような姿?聖母マリアのような姿?裁きを与える、天使のような姿?…でも本当の姿は誰も知らない。
「結局…『鏡』みたいなものなんだよ。」
白江が、独自の結論を語り始める。
「誰かが何かを見て、『それは美しいものだ』と思ったなら、その何かは美しく描かれる。『醜いものだ』と思えば醜く描かれる。でもそれは決して、『その何か』を正しく描いたものじゃない。『その何か』を見た人の、心が描かれただけなんだ。」
「………。」
橋本が、何かを考えている様子だ。僕も考えた。ぬいぐるみは果たしてシルフの、本当の姿なのかを…。ひょっとしたらノームかも知れない。いや、その両方でもないかも知れない。
「…絶対、見つけてみせる…。」
小さい声で、でも心の中では大声でそう誓った。2人が僕を伺う。僕は2人の目を見て、今度はしっかりした声で宣言した。
「僕が、雪の妖精を見つける。彼女の、いや、彼かも知れないけど…本当の姿を、僕が確かめてやるんだ。」
白江の話が理解出来なかった訳ではない。本当の姿なんて誰も分からないかも知れない。見た人それぞれが、それぞれの姿で描き残しているのだ。『信じる人』ですら、自分が描いた姿を本物だと思っている。いやむしろ、『信じる人』だからこそその傾向は強い。『信じるが故の、矛盾や偏見』だ。でも、だからこそ偏見や先入観に捕らわれない目で、妖精の本当の姿を確認してやるのだ。2人は微笑んでくれた。僕の言葉の意味を、理解してくれたのだ。
1時間もすれば冒険に出掛ける。遂げてみせると誓った冒険だ。決して誰かの後に付いて回り、疑心暗鬼のまま行う冒険ではない。仮に妖精が凶暴な姿をしていようが醜い姿をしていようが、ありのままの彼らと出会う覚悟を決めた。
「これ…。」
就寝前の点呼が終わると、白江が携帯電話を取り出した。もしもの時を考えて、もう1度練習してみろと言う。橋本にメッセージを送る。『れ、ん、し…ゆ、う、ち…ゆ…う』。…小さい『ゆ』が打てない。
「…それで良い。」
白江が練習を止めさせ、携帯を取り上げる。顔は呆れていた。橋本は、今のメッセージを理解してくれただろうか…?
『寝る組』の部屋に入ると、クラスメイトが数人いた。しかしまだ眠る気はなさそうだ。隣の部屋が騒がしいのでここにいるだけなのだろう。このままだと、連絡が来ても外に出られない。白江の顔も難色を示した。
1時間が経過し、それでも部屋の様子は変わらない。白江が携帯電話を取り出し、メッセージを確認した。『非常口を出る。』…橋本からだ。時間が迫っている。でも、抜け出す事が出来ない。
「今から、怪談話をしないか?」
すると白江が突然、部屋の皆に呼び掛けた。その言葉に部屋中が萎縮する。彼は、クラスで有名なオカルト好きだ。どっぷりと浸かっている。
「お前が?馬鹿!リアル過ぎるよ。止めてくれ。」
「…去年の夏の事なんだが…」
「止めろって!」
部屋にいる皆は、静かな時間を過したい人達ばかりだ。白江の話に興味を持つのは、隣の部屋で騒いでいる連中だ。彼の作戦は見事に成功し、全員が部屋の外に出た。
「さっ、これで誰にも気付かれない。」
「………。」
白江には、ほとほと感心されられる。
「ほらっ、急げって!」
言葉を失う僕に、彼が催促をする。慌てて靴と防寒具を手に取り、窓を開けて下を覗く。白江は扉に向かい、内から鍵を閉めた。外では橋本が梯子を掘り出し、壁に掛けようとしていた。目が合った彼女が、親指を立ててこちらに向ける。僕は足を窓から出し、つま先で梯子を探った。
「行って来る!」
足場が安定したので、白江に親指を立て、脱出に成功した。
「今日は、まだ手を付けていない場所を探してみよう。」
梯子を雪に埋めて、橋本と一緒に体育館へ向かう。外は結構寒い。12時を迎える頃だし、服装はスキーウェアではない。
(橋本は昨日、こんな状況で冒険をしてたのか?)
2人の協力が、今更身に染みる。もう1度レアカードが当たったら、今度は3人で山分けだ。
「うわぁ…。真っ暗だね…。」
体育館裏を抜けると、うっすらと射していた照明すら届かなくなった。視野には黒と白がぼんやり…。雪以外は暗闇に覆われ、何が何だか分からなかった。
橋本の携帯電話を利用して、少しの明かりを得る。それだけでは周囲がよく見えない。ただ、明かりが乏しいのは好都合だ。挨拶も確認し易いし、もし警備の人が通っても彼らが持っている懐中電灯の光で、見つかる前に逃げる事が出来る。
数十分の間、手探りであちこちを歩き回った。だけど妖精の姿はおろか、挨拶すら見つからない。体育館にもたれて座り、休憩を取る事にした。床が冷たい…。
「どうしよう…。見つからないね?」
「………。」
橋本が呟くけど、よくよく考えれば当然だ。小百合ちゃんが2年以上探しても駄目だったものが、昨日今日で見つかるはずがない。しかも今回の冒険は、時間が限られている。緊張感が重く圧し掛かってきた。
「でもさ…妖精がこの辺に出るってのも、私達の勝手な判断だよね?」
橋本がカイロを取り出し、濡れた手袋を外して指先を温める。そろそろ限界だ。無理はさせない。
確かに、人気がないと言う理由だけでここを探っていた。しかし結果、挨拶すら確認出来ていない。別の場所を当たるべきなのだろうか…?
「例えば…ゲレンデの方なんかは?」
「あっちは明る過ぎるよ。」
「でも、今の時間なら人気はないし、照明も落ちてるよね?」
「………。」
なるほど。ゲレンデの照明は落とされた。外灯は灯っているけど、この時間なら人気がないのは向こうもこっちも同じだ。僕らは無言のまま顔を見合わせ、同時に頷いた。腰を上げ、周りに気をつけながら正面に向かう。
ホテル裏口側の部屋が、まだ半分ほどが明るい。その中には先生の部屋もあるはずだ。ここに来て分かった。窓からの脱出も危険だ。曇りガラスの二重窓だけど、窓を開けた部屋には気付かれる。
「大丈夫だ。急ごう!」
全ての窓を確認し、女子側の非常口まで一気に走り抜ける。積もった雪に捕まって、思った以上に進まない。壁に到着する頃には息が上がっていた。壁に張りつき、周りを見渡す。遠くの方に、明かりが灯っていない小屋が見えた。息を落ち着かせた後、小屋の裏手に向かってもう1度走り出した。幸いにも、ホテルの側面には窓がない。正面へ出ない限り誰にも見つからない。それを知った僕らは走るのを止め、それでも警戒して小屋へ向かった。
小屋に到着し、ゲレンデの様子を伺う。真っ白な平原が続き、緩やかな坂道が見えた。照明は消えたけど外灯がうっすらと灯っていて、美しい風景が目に飛び込んでくる。
「綺麗…。」
橋本が、思わず呟く。雪がパラパラと降り注ぎ、外灯に反射してキラキラと輝いている。
暫しの間、僕らはその風景を楽しんだ。そして…ふと思った。
「これが…妖精の姿なのかも知れない。」
橋本がこちらを伺う。心の声のつもりが、声に出てしまったようだ。
「この、目の前に広がる美しい風景が…いや、目にも届かない雪一色の景色が…その全部が雪の妖精の、本当の姿なのかも…。」
この世は『気』や『エネルギー』で満ちていて、それが自発的に具現化したものが妖精だと教えられた。今、目の当たりにしているのは妖精の姿…。少なくとも、妖精が具現化する前の姿に他ならないはずだ。完璧とも思わせるこの風景が…雪の妖精の姿なのだ。そう考えた。
「違うよ…。いるんだよ…。妖精はキチンとした姿で…存在してるんだよ…。」
橋本も声を漏らす。遥か遠くの方を見てそう呟いた。
メッセージを送って数分後、部屋の窓が開いた。部屋の皆は眠っているか、白江が怖くて誰もいないかだ。
「今日はありがと。帰り道には気を付けて。風邪も引かないようにね。」
橋本にお礼を言って梯子を登る。部屋の皆は寝静まっていた。時間は既に深夜2時過ぎ。当然だ。
靴を脱ぐのも後回し、頭1個分残して窓を閉め、橋本が作業を終えるのを眺めていた。梯子が雪に隠れ、彼女が親指を立てる。それに親指で返事をすると、彼女は走り去って行った。僕はもう少し窓を開けて、非常口までを見送った。
「それで?結果は?」
部屋で落ち着いた僕を前に、白江が興奮している。
「…うん…。」
彼に、今回の冒険結果を報告する。
…小屋から覗ける雪原を、僕らは眺めていた。僕は、その美しい風景を妖精だと考えた。それに対して橋本は、妖精はちゃんとした姿を持っているはずだと答えた。
『?誰か来る!』
言い争いをする暇もなく、何処からか聞こえる話し声に身を隠した。声が山の方へ向かったので、避けるようにホテルへと走り、そこで一旦落ち着いた。
『見たの…。私、見たの…。』
橋本が呟く。僕を見ていないけど、視点が定まっていない事が分かった。
『ゲレンデ向こうの林に…黄色く光る何かを見たの…。』
耳を疑ったけど、もう1度確認しに行く事は危険過ぎた。我慢も限界だ。想像以上に寒い。
「多分…どっちも正解なんだよ。」
布団に包まって話を聞いていた白江が答える。真相は問わず、2人とも妖精を見たのだと言う。『見方によって、その姿は変わる…。』信じる人同士で意見がぶつかると、水掛け論以上の発展は望めない。お互いが自分の意見を疑わないのだ。これが、『信じるが故の矛盾や偏見』だ。白江はそれを言ったのだろう。だけど僕は、その曖昧な返事が気になった。どちらも正解だなんて納得出来ない。白黒をはっきりさせたい訳ではないし、橋本の言葉を否定したい訳でもない。だけど、釈然としない何かが…頭の中をぐるぐると回った。白江は依然と、『お前がそう信じたなら、それで良いじゃないか?』と僕をあしらう。それでも何かが釈然としないまま、頭の中が色々と考えた。
次の朝、食堂で橋本と会う。相変わらず昨日と同じ顔をしている。ただ、熱はないようなので安心だ。
食堂からはスキー場が伺えた。今日は快晴で雪も降っていない。かなり遠いけど、向こう側の林も確認出来た。橋本が見たと言う、何かが光った場所を探そうとしたけど基準になる小屋は見えない。…誰かさんの心境が理解出来た。
橋本の話は、正直信じ難い。僕の意見を主張したい訳ではなく、経験からして『黄色い光』は妖精の挨拶ではない。勿論、全ての妖精が蒼い光を放つとも限らない。でも、黄色い光は照明や懐中電灯と同じ色なので、挨拶との見分けが難しい。橋本が見たものが、妖精の挨拶だった確率は低いのだ。
「やっぱり、可能性は薄いんじゃないかな?」
食事の後、橋本にその事を伝える。勿論、彼女は反発した。そして、向こう側の林で冒険するべきだとも主張した。
(………。)
しかし今日は3泊目だ。明日はレクリエーションが開かれ、点呼の時間も、皆が寝静まるのも遅くなる。脱出が難しく、仮に出来たとしても時間が限られる。深夜の2時を過ぎて外を出歩くのは寒過ぎて危険なのだ。今晩が最後のチャンスだと考え、冒険の場所を決める必要があった。
「今日は、最高のスキー日和だ!」
実習を迎え、ホテルの前で陽の光を浴びながら思いっきり背伸びをした。まだ尻餅しか知らない僕が、生意気にもスキーヤーになった感覚を味わった。
「っ!!?」
痛い。背伸びも終わらない内に、誰かに耳を引っ張られた。橋本の姿が見えたけど彼女はこっちを向かずに、怒った顔で耳を引っ張り続け、ゲレンデの方まで僕を引っ張った。
「あっち!あっち見て!」
耳が引き千切れる寸前で彼女は手を離し、ゲレンデ向こうの林を指差した。そして振り向き、遠くに見える小屋にも指を差した。
「あそこに小屋があるの。だから昨日見ていたのは、あっちの方角。ほらっ!照明も何もないじゃない!?」
怒る橋本を前にして、先ず思った事。彼女はやっぱり、小百合ちゃんと似ていると言う事だ。
(年頃の小百合ちゃんと出会っていたら、今みたいに酷い目に合ってたのかな?)
そんな思いに浸った後、橋本が訴える位置関係と周辺の様子を確認してみる。確かに照明などは一切ない。彼女は彼女で、自分の主張が通らない事を無念に思っているようだ。
「照明がないのは分かったよ。でも、妖精の光は蒼いんだ。」
「そんなの分かんないじゃない!種類によって色が違うかも知れないでしょ?私は、雪の妖精が放つ光は黄色だって『信じる』!!」
「…分かったよ。でも、ホテルの正面になるだろ?あっちでの冒険は危険だよ。誰かに見られる。」
「それは後の話!…あっ、白江君に良いアイデアないかな?とにかく!今日はあっちを探すの!」
「…そうは言っても…」
「白江君~!」
僕の話が終わらない内に、橋本は何処かに走り出した。
(全く…何処まで小百合ちゃんと似てるんだ…。)
少し離れた場所で、2人が何か話している。
もし何か良い方法があるなら、橋本が言う場所に向かっても良いと思った。黄色い光には賛同出来ないけど、体育館周辺を探し続けても何の収穫も得られない気がする。
ただ1つ、引っ掛かる事がある。黄色い光の話は、橋本がついた嘘なのでは?…そう思えなくもない。他の人の前例もある。そして彼女も前科者だ。
でも、疑いは直ぐに否定出来た。遠くにいる彼女を見ていると分かる。錯覚や見間違いだったにせよ、必死に白江にすがる橋本は本当の事を話してくれたはずだ。
(………。)
1人離れて、向こう側の林を眺める。体育館側よりも深い林が続き、木々は、同じように白い帽子を被っていた。
しかし僕が立っているこの場所も、元々は木々が生い茂っていた事だろう。人の都合でスキー場を建設し、ゲレンデになる部分を林から平地に変えたのだ。そう考えると、土の妖精、木の妖精などの存在も頭に浮かぶ。雪の妖精を探す事が旅の目的だけど、(いや、正確には修学旅行だ。)出会える妖精の姿は勿論、どんな妖精なのかも気になる。他の妖精でも出会えれば大収穫だ。でもやっぱり、出会えるなら雪の妖精が良い。
実習が始まり、白江はリフトに乗って高い場所へ移動する。僕と橋本は、滑っては自分の足で山を登り、滑っては登りを繰り返した。
昼が訪れ、気に入らない食事でお腹を満たし、もう1度ゲレンデに出て、午後の実習を始める。尻餅は減らないけど、同じグループの皆が上達したのでリフトに乗る事になった。インストラクターが、僕だけに不安な視線を送る。
リフトからの眺めは素晴らしかった。初めて乗ったけど、落ちると言う恐怖よりも開放感が先立った。山の中腹に到着し、1人ずつ、ゆっくりと滑り始める。最後は僕だ。背中にはインストラクターが控えている。
足を八の字にして、慎重に滑る。思った以上にスピードが出る。それでも1人取り残される。少し寂しく、悔しかった。今なら冗談で言えるけど、杉村君の気持ちが分かる。帰るまでには、皆と同じレベルになってやると誓った。
「それじゃ井上君、ゆっくりと滑って来て。無理せずにね。」
インストラクターが、諦めたようにスピードを出し始めた。先頭になって進路を誘導する為だ。素人集団のジグザグ下降は、他の人達には迷惑なのだ。
林沿いを滑り、やがて斜面は緩やかになった。ブレーキを緩める余裕も出来た。でも、やっぱり無理は出来ない。緩めた瞬間に尻餅をつく。もう、お尻が限界だ。ゆっくりと立ち上がり、スキー板を拾いに向かう。遠くの方で皆がこっちを見て、僕が来るのを待っていた。
(やっぱり、チームはこうでなきゃ…。)
この光景を、ラグビー部の皆に見せてやりたい。しかしこれ以上は転びたくない。皆を待たせるのも申し訳ない。慎重に八の字を緩めて滑り始める。
「!?」
その瞬間、左側に何かの気配を感じた。でもこれ以上の迷惑は掛けられないと、そのまま滑り出した。
やっとの思いで皆が待つ場所に到着。後ろを振り返り、辺りを見回す。向こう側にはホテルと、例の山小屋が見えた。再確認もする。背中の林には、疑っていた照明設備がない。
(…橋本の言う『黄色い光』は、まだ信じ難い。…それでも、可能性はゼロじゃなさそうだ。)
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