三十四、魔法陣

 ところが事態は思わぬ急展開を見せた。

 そのまま当てもなく歩いていると、当のリルが向こうから歩いてきたのだ。その隣にはトナンさん。まさか一緒にいた青年ってトナンさんなのか? トナンさんが理由もなく敷石を剥がすはずがないだろうし、そうするとますます理解に苦しむな。

 ふたりをよく見ると、なんだか難しい顔で話し合いをしている。だが俺は、なにがなんでもわけを問いたださないわけにはいかないと思って自分から話しかけた。

「おーいリル! おまえ敷石剥がしてたって聞いたけど何やってんだよ!?」

「あ、ソラだ! ちょっと確認したいものがあってさ、それがどうやら敷石の下にあるらしいってわかったから、実際に確認してたんだ」

「確認って何をだよ。敷石の下になんて何かあったのか?」

「うん、予想通りだったよ。トナンさんにも協力してもらって確かめたんだ。それで今、それについて話してたところ」

「はあ? そこでなんでトナンさんが出てくるんだ? 関係あるのか?」

「だって見つけたのはなんだもん。トナンさんは専門家でしょ」

「はい、ずいぶんと大がかりな魔法陣でしたが、なんとか解析できました」

「大がかりって敷石の下にそんな細かな魔法陣が描かれていたのか? そもそもなんでそこにあるってわかったんだよ」

「違う違う、僕らの剥がした敷石の下に魔法陣があったんじゃなくて、んだよ」

 はい? 何を言ってるんだ、リルは。

「えっとさ、この街って環状に道が走ってるよね? その一番外側、街全体をぐるっと囲む道の下に魔法陣が描かれているんだ」

 言いながらリルは杖の先で小さな丸を描いた。それが街全体を意味していると理解して、ようやく俺は驚いた。

「そんな巨大な魔法陣、誰が描いたんだ?」

 言ってから気付く。あの人しかいない。

「そりゃあカトラ・イーゼスしかいないよねー」

「それが本当なら建国の頃からあることになりますね。確かにあれほどの天才なら、あのような美しい魔法陣を描いてもおかしくありません」

 トナンさんがいささか興奮ぎみに話す。そういえば聞いたことがある。魔法陣の開発者の間には「魔法陣の美しさ」という一般人には理解できない観念があるらしいのだ。使う側としては魔法陣が多少小さいとかそのくらいの違いなので正直どうでもいい。

「それで、結局何の魔法陣だったんだよ?」

「それは……」

 珍しくリルが口ごもった。いつもなら普通は言いにくいことでもすぱっと言ってしまうのに、そんなに言うのがためらわれる内容なのだろうか。

「トナンさん、確かにあの結論なんですよね?」

「はい。私の解析によれば、そうです」

 リルはこくりとうなずくと、俺の方に向き直って言った。

「――発狂の魔法」

「は、発狂!? その大きさで発狂ってどういうことだよ!? 街全体に敷かれてるんだろ!?」

 聞いたとたん思わず取り乱してしまう。魔法陣の効果範囲は陣の大きさにだいたい依存するのだ。つまりどう考えても街全体に効果が及んでいるにちがいない。

「落ち着いて。あの魔法陣は上向きじゃなかった。効果は魔法陣より下にはたらくようになってたよ」

「下に? それはつまり……」

「そう、あの手記の通り、ダンジョンの魔物を狂わせるためのものだね」

 手記を読んでも本当だとは思えなかった。あの伝説の魔法使いが、魔物の精神を狂わせるなんて信じられなかった。しかしそれは、今や確実に真実であると示されてしまったのだった。

「だけど、それなら誰がその魔法陣を動作させてるんだよ」

 魔法陣は魔法そのものではない。魔法の適性がない人間でも魔法を発動させられるように詠唱を汎用的に再構成して作ったもの、いわば何も考えずに使える定型文のようなものである。あくまでも魔法ではないから、発動には人間の意志が必要だ。

「それが、読み取れた限りだとみたいなんだよね。僕も信じられないんだけど、あの魔法陣は人間の『魔物は恐ろしいものだ』っていう潜在意識を原動力にしてるらしいんだ」

 魔物を恐ろしいものだと思う意思が魔物を恐ろしいものに変える意志へと転換されている。

「まさか! そんなことが可能なのか?」

 本当だとすれば、俺たちは知らない間に魔物を発狂させることに一役買っていたわけだ。

「現にできてるんだ。わかるのはそれだけだよ」

 不快だった。自分がそんな行為に参加し、間接的にとはいえ冒険者を危険にさらしていることに耐えられなかった。

「だったら今すぐに壊してしまえばいいんじゃないか?」

「やってみたよ。すぐに修復の魔法が作動したけどね」

 さすがは稀代の魔法使い、そういうところもきっちり防御してくるわけか。打てる手はなく、俺は頭を抱えた。そこにリルが言う。

「でもさ、手はないわけじゃないよ?」

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