第七幕 剣士の出る幕ではない

二十九、平穏

 長いようで短かった休暇が終わり、俺たちはまたいつもの日常を取り戻した。

 しばらくぶりの友人たちはみんな大して変わっていなかったし、病を患ったやつもいなかった。人々の恐れる流行り病も、十四年前に猛威を振るったっきりその身を潜めていた。

 学校が始まってからは、俺たちがダンジョンに行く機会はぐんと減った。といってもリルが興味をなくしたとかそういう理由ではなく、ただ単に自由にできる時間が減ったからだった。ダンジョンに潜れば正直かなり疲弊する。明日も学校がある、という状況ではさすがのリルでもためらうらしい。

 そのため、冒険は休日かその前日ぐらいに限られていた。俺にとってはなんともありがたい話だ。

 親父に弟子入りすると言ったあの日から、俺はむしろ鍛冶屋の手伝いなどから遠ざけられた。それまでは、鎚こそ持たないものの手を貸すことは普通のことだったが、めっきりなくなった。親父は俺が正式に徒弟になってから、血縁にとらわれずきちんとした取り扱いをしたいのだと思う。それはいかにも親父らしい考え方だったので、俺は何も言わずに従った。

 日は日に日に短くなり、風はその冷たさを増していった。ほんの少し前までは暑いくらいだったのに、今はもうすでに肌寒い。

 俺は毎年この時期になると外に出たくなくなる。嫌いというわけではないし、どちらかというと過ごしやすい気候で好きなのだが、どうも活動的な気分になれなくなってしまうのだ。春や夏、剣を振り回したり野を駆け巡ったりしていたのが嘘のようにぱったりやりたくなくなる。

 以前リルに聞いたところ、潜在属性がなんだのと言われたのだが……細かいことは忘れた。属性概念は魔法と密接に関わっているので俺の範疇ではない。

 そんなわけで、俺は暇さえあればトナンさんにもらった本を読み進めていた。「剣術」と題するわりにその内容は幅広く、ダンジョンの攻略本という表現がぴったりくる。

 さほど分厚い本ではないし平易な話題なのだが、集中を途切らせるととたんに文脈を見失ってしまう。文法も語彙も、今とは違う部分が少なくないのだ。記述などから察するに、おそらく二百年近く前のものではないかと思う。学校で習った古語読解の授業を思い返しながら、少しずつ読みといていく。

 遅々たる歩みではあったが、そこから得られたものは小さくなかった。魔物の習性やダンジョン内の有益な植物、階層ごとに注意すべき点など、冒険者にとっては宝の山とも言える知識だ。

 まあ俺がダンジョンに潜るのも今年いっぱいだろうし、実際に役に立つことはあまりないと思うけど。

 リルは……、リルはどうするのだろうか。確かに一度「職業としての冒険者にはならない」と約束したものの、冒険者になりたいという思いは本物であるとリルは言っていた。

 もしリルが本気で冒険者を目指すことにすれば、たぶん誰も止めることはできないだろう。もちろん俺の忠告も耳に入らなくなる。

 リルがこのまま順調に魔法の技術を高めていけば並の冒険者にはなれると思う。ただし慎重になることを学べば、だが。

 しかしそれが本当にリルのためになるのかと聞かれれば、残念ながら否と答えざるをえない。冒険者という職は、わざわざ選ぶにはあまりにも危険で、そのわりに見返りが少なすぎる。そもそもの血の気が多くないとやってられないのだ。特にリルのような好奇心で動く人間は根っから冒険者向きではない。

 なんだかんだ言っても俺はかなりリルのことを気にかけていた。それは小さい頃からの染みついた習慣だった。

 ある夜のこと。空に浮かぶ満月が明るくて、どうにも眠ることができなかった。しょうがないから俺はまたあの本を開いて、月明かりの下で続きを読み始めることにした。数えてみるとトナンさんからこの本を譲り受けて、今日で十六日がたっていた。話は終盤へと移り変わり、本全体の総括を語り出す。もうそろそろ読み終わりそうだ。惜しむように、遠い過去に生きた人の言葉を噛みしめる。

 ぱらり、と一枚めくって、俺は思わず目を見開いた。そこにはまた表紙があったのだ。書名は「手記」著者のところにはあの大魔法使いの名――カトラ・イーゼス。それはにわかには信じられないような出来事だった。

 しかし冷静に考えてみれば、この本がある場所としてトナンさんの本棚は最もありそうなところである。カトラ家に代々受け継がれてきたのだとすると、これは原本なのだろうか。

 偉大な魔法使いカトラ・イーゼスの、その活躍は一種伝説と化している。その一方で正確な記録は少なく、自筆の書物となれば数えるほどしかないのが実情だ。

 はやる心を抑えつつ、俺は黄ばんだ紙をゆっくりとめくった。

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