十三、試練
「おいおいなんだよあれ!? 尋常じゃなくでかいぞ!?」
イリアが叫ぶ。やっぱり知らなかったのか。知ってたらそもそも来ないよなあ。昨日の夜に聞いたばかりだってのにすっかり忘れていた俺をぶん殴りたい。
「あれは〈主〉だ! 相当強い! 普通の魔物とは段違いだ!」
普通なら腰の高さぐらいのはずのボア(雑食で四つ足の魔物。大きな牙を持つ)だが、そいつは俺の身長より大きい。加えてものすごく運の悪いことに、やつは俺たちと階段をさえぎるような位置にいる。これはどう考えてもやばいな。
〈主〉は狂ったように柱に頭突きを繰り返す。
「ねぇソラ、手負いだね」
リルが言う。確かに無数の切り傷が見てとれる。
「ああ、かなり荒れてるな。なんか策はあるか?」
期待せずに言ってみる。同時に〈主〉がぎょろっとこちらを向く。
「使えそうなのはないわけじゃない……けど一分近くゆっくり唱えてる余裕はないよね」
「走りながらは無理なのか?」
「うーんちょっと厳しいかな。慣れてないからさ、意識を集中させないとうまくいかないんだ」
なんと手のかかる魔法使いさまだ。だが他に策はないしとりあえずリルを信じてみるしかない。
「じゃほら、乗れ」
リルに背中を向け、少しかがむ。一瞬遅れてその意図を理解したリルが飛び乗ってきた。
走り出す。リルが詠唱を始める。無数の言葉がつむがれ、からみあい、そしてひとつの目的に収束していく。
ただでさえ遅い足は、リルを背負ってさらに遅くなっている。俺はちらりと後ろを見た。うまく〈主〉との間に柱を持ってこれているようだ。こういうのは冷静に判断できるかが重要なんだよな。
とか簡単に言うけど実際はかなりつらい。こんなんじゃすぐへばるぞ……。
「〈アクセラレイト〉」
イリアの声がした。同時にすっと脚が軽くなる。
「あ、ありがと、イリア。でも仲間じゃなかったんじゃ――」
「勘違いすんな、ついでだからな」
もしかして責任を感じているのだろうか。不機嫌そうな表情には、少し申し訳なさそうな色が混ざっていた。
リルの詠唱が終わらない。一体全体どんな魔法を準備しているのか。
「やべっ」
考え事で判断が遅れた。急いで右に飛び退く。イリアは反対に避けた。その間を〈主〉が突っ切って行く。
まだかよリル! 思わず叫びたくなる。ぐるっと辺りを見渡し、とっさに柱の多そうな方へ駆け出す。緊張のせいか方向感覚すらあいまいだ。どっちへ行けばいいのかわからない。
やっと、リルの詠唱が途切れた。俺は〈主〉に向き直り、リルが唱える。
「〈リクィファイ〉!」
それは聞いたことのない魔法で、俺には何が起きるか予想もできなかった。
派手な炎も雷も出ない。すわ不発かと心配になるが次の瞬間、〈主〉が沈んだ。四肢が泥をかくように地面に吸い込まれていく。
「液化か……」
魔法ってこんなこともできるんだな。やっぱりすげえや。
「イリア、今のうちに攻撃をお願い! ソラ、液化を維持できるのはそんなに長くないから、そのあと動けないうちに攻撃を!」
リルの指示が飛ぶ。さながら隊長って感じだ。
「〈ファイアリーアロー〉」
イリアの放った矢が着弾と同時に爆発的に燃え上がる。おそらく魔法と弓の合わせ技なのだろう。〈主〉は転がろうとしたが足場がなく、かなわない。もう腹まで地面に埋もれかけている。
「ソラ、行って――〈スプリンクル〉!」
「よっしゃわかった……ってつめたぁ!」
今まさに剣を構え走り出そうというところで全身に水をぶっかけられた。しかし体は止まらない。
「なにすんだリル!」
さっきまで水のようだった地面も今は再び固くなっている。イリアの加速魔法はまだ続いているらしい。自分でも信じられないくらいの速度で〈主〉へ近づく。
目が合った。〈主〉の目は充血していて赤く、それは宝石にも似ていた。
涙……? その目がきらりと光ったのを見て不思議に思った。激情に駆られているはずなのに、苦痛に歪んでいるはずなのに、その目はどこか悲しそうだった。
俺は〈主〉に飛び乗る。びしょ濡れだからさほど熱くはない。俺は言い様のない感情を感じながら、首筋に剣を突き立てた。爽快感なんかありゃしない。勢いよく吹き出す血は、俺たちと同じ鉄の臭いだった。
〈主〉が叫び声をあげる。俺は背中から飛び降りた。うめき、叫び、苦しみ、悶える。声は反響して洞窟を満たした。しかしそれも次第に弱々しく、切れ切れになって最後には消えてしまった。辺りは撒き散らされた血でむせかえるような空気だ。
「やった、のか?」
イリアがつぶやく。
「完全に死んでるな」
俺も同じくらいの声しか出せない。極度の緊張から解放されて、呆けたような気持ちになっていた。
リルがすとんと座り込んだ。大がかりな魔法でだいぶ疲れたのだろう。続けて俺もイリアも座り込む。
しばらくぼんやりしていると向こうからひとりの冒険者がやってきた。
「あー、これやったのお前らか? そうか、いいとこ持ってかれたなあ。まあ別にいいんだが……」
一方的にそれだけ言うと男は行ってしまった。
「誰、今の」
かなり経ってから思い出したようにリルが聞く。
「さあ? 誰だろうね。あんな人見たことも聞いたことも――待ってあの人〈剣豪〉じゃんか!」
今この街で一番剣の扱いに長けた人だ。俺の憧れでもある。そんな人を忘れていたとはよっぽど頭が回っていないようだ。俺は何か一言さえ交わさなかったことを激しく悔やんだ。
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