ぱにっしゅ!

N通-

第1話 嵐のラブレター

 凡庸に罪は無い。


 都築 平太(つづき へいた)、通称ペタはそのように信じており、また翻って凡庸こそが平穏への道標であると考えていた。


 これまでの彼の人生を見てみると、それこそ正に凡庸であった。ただ、極端に女子との絡みが少ないのは、凡庸よりもむしろマイナス点であるとは思うものの、極少数の親しい友人達といるだけで幸せな平太にとって、それほどの重大事項ではなかった。


 クラスでも目立たず、自分から何かを主張することもない。しかし、だからと言って積極的に孤独になろうとしているわけでもなく、またクラスの催し事を避けたりすることもなく、淡々と与えられた、或いは無難そうな役割をこなしていく。


 授業態度も真面目な部類であり、宿題を忘れる事は基本的に無く、もちろん欠席や遅刻も滅多にはしない。少数の友人達(と言えるほどに付き合いのある者達)も性格に少々難はあるモノの、基本的には善人である。


 まさしく、凡庸だ。


 ペタはそれに対して何も不満はなかった。

 世の高校生ともなれば、当然恋の話しの一つや二つ。クラスメイトの誰々が誰々と付きあい始めたやら、振られて涙し慰められているのを見ても、しかし平太はああ、大変だなあ、可哀想だなあという感想を持つ程度だ。ペタ自身には、それほど恋焦がれる憧れの女の子はいなかった。ただ、初恋ですらもまだであるのは、高校生という年を考えるに、それは異常とも言えるだろうか。


 クラスの女子と意識して距離を置いているわけではないが、積極的に関わろうとしているわけでもない。だから、ペタはそう言った惚れたはれたの出来事は、身近にあってもまるで実感のない、遠い世界の出来事のように感じていたのだ。


 その日の朝までは。


「…………」


 ペタはいつも見慣れている、変わり映えのしない自分の下駄箱の中身を覗いて、しばらく意識が飛んでしまった。


「………………」


 そして無言のうちに一度閉め、大きく深呼吸した。昨日、ちょっと夜更かしが過ぎたせいで目が疲れているのかもしれないと考える。そしてもう一度開いた。


「……………………うわ」


 恐らく、これを見て、ペタのようなリアクションを取る人間はそうそういないだろう。ましてや、健全な男子高校生においては限りなくゼロに近い。しかしペタは渋い顔をした。



「これって……ラブレターって奴……だよな……?」


 誰に聞いているわけでもないのに疑問系になりつつも、理解不能なその物体をつまみだしてしげしげと眺める。ピンク色の便箋という、およそ日常では使いそうにない色だ。くるりと裏面に返してみると、そこには『都築 平太様』ととても判読しやすい文字で書かれている。


「うん。間違えたわけじゃないのか……」


 ぼうっとしたのも束の間、ペタは誰かに見られる前にその手紙を慌てて鞄に突っ込んで、教室へと向かった。


 割合早い時間ではあるものの、教室には既にまばらながら生徒が来ていた。その中の一人が、入ってきたペタに気が付くと人懐っこい笑みを浮かべる。


「おう、おはようペタ」


「おはよう、トーチャン」


「だからその呼び方止めろって」


 ペタがトーチャン、と呼んだ男子はうんざりしたように苦笑した。


「それなら俺のことも平太って呼んでくれよ」


「だが、それは出来ぬ。ペタってのはもう学校公認の略称だからな」


 大袈裟に腕を組んでうんうんと頷いているトーチャンこと、戸内 流星(とうち りゅうせい)。通称トーチャン。小柄な部類の少年だが、人好きのする性格と面倒見の良さがあいまって皆から”トーチャン”と呼ばれ親しまれている。


「誰が公認だ……」


「しかしながら、このクラスの奴等は皆都築とは呼ばんだろう?」


 トーチャンの言葉に、うっとペタは詰まる。それは悲しい事に事実に違いないからだ。


「いいじゃないか、愛称で親しみもたれてるんだからよ」


「ならトーチャンのだって愛称だろう」


「イヤ過ぎるだろ! 同い年に父ちゃん、父ちゃんって言われてる俺の身にもなってみろ!? 一気に老けた気分になるだろうが!」


「解ったよ、流星」


「うむ、それでいいのだ、ペタよ」


 そういう言いまわしが親父くさいと思われてる原因なのだと、ペタは教えてやるべきか少しだけ悩んだ。しかし、それもまた流星の個性であると尊重することにした。


「ところで今日はまた渋い顔をしているな。何かあったのか?」


「いや、何かっていうか……俺も良くわかんなくて」


「はあ? なんだそりゃ」


 ペタはこの友人に相談するべきかどうかを逡巡したが、幾らなんでもそれはデリカシーに欠けるだろうと結論を出した。相手の事もあるのだから、と。


「おや、珍しいな。姫と取り巻き達のご登場だ」


 流星の言葉にペタが振り返ると、丁度かしましく騒いでいる4人ほどの女子が入ってきていた。それは学年でも1、2を争うと言われている美少女の”姫”こと王子 公子(おうじ きみこ)である。振り撒く笑顔が華のようだ、と詩人研究会の連中が言っていたらしいが、それは笑われる事もなく、思わず納得してしまう程度の説得力をもっていた。

 しかしながら、今朝の公子はその笑顔にどこか違和感が強かったようにペタは感じる。常の天真爛漫とした弾けるような笑顔ではなく、何か不安事があるかのような……。しかし、ペタは公子にそれほどご執心というわけではない。綺麗だな、と素直に思いはするものの、所詮ペタにとっては高嶺の華。華は、眺めて満足していればそれで良いのだ。


 流星が珍しい、と言ったのはこの時間に登校することが余りないからである。彼女達はもう少し遅くに来ることが多かった。


「絶対面白いよー」


「あはは、でも大丈夫かな?」


「大丈夫大丈夫、だって恥かしいだろうしさ!」


 何やら取り巻き3人が騒ぎ、それを公子がちょっと困ったように笑いながら聞いている。この取り巻き達は、別に公子に絶対服従の僕と言うわけでもなく、対等な関係の友人であろうことは外から見たペタにも想像できた。たまに公子が彼女達の善意と悪乗りに巻きこまれて、困ったような笑顔の時が見うけられる。今は正にそのような状況であった。


 しかしながら、それは部外者であるペタには何も関係のない話しだ。直接公子から助けを求められているので無い限り、ペタが自分から首を突っ込む事は有り得ない。


「またぞろ、下らん事に姫を巻きこんでるんだろうよ」


 けしからん、とでも言いたげに憤慨している流星を横目に、ペタは目下自分の事を考える事に専念した。当然、今考えるべき事と言えば今朝の手紙の事だ。


「…………どうしよう」


 その声はとても小さく、義憤に駆られている流星の耳には届かなかった。


 まず、鞄に閉ったのがまずかった。取り出す時に異様に目立つ。ペタは何より注目されるのが苦手だ。しかし、中に書かれている事が緊急を要する場合にはそっちの方が困る。何とかする方法はないかと、ペタは授業が始まっても上の空でそればかりを考えていた。


「……よし」


 ペタが思い付いたのは、図書室へ本を返しに行くという口実だった。もちろん、本など借りていない。しかし誰かに問われた時に、それが一番無難な言い訳のような気がしたのだ。


 授業が終わり、すぐさまペタが席を立ち鞄を手に取ると、早速流星が目ざとく声を掛けてくる。


「あれ、ペタよ。鞄なんか持ってどうしたんだ? 具合が悪いから早退でもするのか?」


「違うよ。図書室に本を返しにいくだけ」


「そうか」


 予め考えていた言葉をつっかえずに言え、流星が納得したのを見て心底安堵する。


 ペタはどこに行こうかと一瞬迷ったが、結局鞄を持参したままではトイレに入ることも出来ないので、宣言通りに図書室へと向かう。時間もそんなに残されておらず、ペタは図書室へと飛び込むように入った。


 中をざっと見渡すと、テーブルの隅の方に一人、女子がいるようだった。しかし入ってきたペタには目もくれずに、隠すようにして何かを一生懸命に書き綴っている。これ幸いとばかりに、書架の一番奥、一番人気の無いコーナーへと滑りこみ、例の手紙を取り出す。


「…………!」


 ペタは内容を読んで、危うく声を上げるところだった。何しろそれが正真証明のラブレターに違いない内容だったからだ。


『今日の放課後、南校舎裏でとても大事な話しがあります。来てください』


 女の子らしい可愛い文字でそう綴られているのを確認し、ペタは頭が真っ白になる。ドラマやマンガであるような、全く王道中の王道のシチュエーションだった。だが、何度読み返しても差し出し人の名前は書かれていなかった。疑問に思ったものの、シャイな子なのだろうか、とぺたは勝手に当りを付ける。


 その後、放課後までペタが全く何も手付かずになってしまったのは言うまでも無い。


 そして運命の放課後がやってきた。しかし、ペタはこの後に及んでもまだ覚悟が決まりきっておらずずっと悩みつづけている。


「おう、ペタ。帰ろうぜ?」


 流星の言葉に、ペタは危うくいつものように返事を返しかけたが、それがペタの決意を固める結果となった。


「すまん、流星。今日はちょっと用事がある」


「なんだ、また図書室か? お前いつのまにそんなに本の虫になったんだ?」


「今は紙の事で頭が一杯なんだよ」


「そうか」


 流星は深く追求せずに、それじゃあまたなと帰っていく。


「……よし」


 緊張で震え始めた身体に気合を入れて、ペタが重い腰を上げる。


 南校舎の裏側は、あまり人気のない所で知られている。この学校にも多少は不良ぽい人間もいるにはいるが、大多数がそこまで反抗的ではないので、校舎裏に溜まるぐらいならとっとと家に帰った方がマシである、と考えるので、ここはもっぱら”そういう”シチュエーションに使われる事が主であった。勿論、ペタも自分自身には関係ないことと思っていても、友人達の会話からここがよくそういう事に使われているということは聞いている。


 なんでも、ここを使う際には予約がいるのだそうだ。どこかの教室に置いてある目印を見つけて、暗号を残しておくと、後から来た人には先約があることが解るようになっているので、日を改めると言う。


 今日はもう予約が一杯のはずだ。今から、自分が会いに行くのだから。


 校舎の角を曲がり、丁度影になっている所から女子生徒が歩み出てくる。


「えっ……!?」


 ペタはその人影が誰かがわかった瞬間に、思わず声を上げてしまった。


「突然呼び出してごめんね」


 それは、先程教室で先に帰ったと思っていた王子 公子だったのだ。


「え、お、王子さんがあの手紙を……? 俺に?」


 にわかには信じ難いことだった。彼女はハッキリ言ってメチャクチャモテる。未だに特定の誰かと付きあっているという話しは聞いてはいないものの、漏れ聞こえる話しでは振った相手の数は相当数なのだとか。


「えーと……本当にごめんね!」


「え……」


 公子が心底申し訳なさそうな顔をしたところで、ペタは違和感に気が付いた。彼女の様子が、およそこれから愛の告白を行うようには到底思えないからだ。


「もー、キミってばバラすの早すぎ!」


 突然聞こえてきた女子の声に、ペタがぎょっとする。ペタが来たのとは反対側の影から、取り巻き達が姿を見せたのだ。混乱しているペタをよそに、公子と取り巻き達が何か言い合いをしている。


「だって、流石にペタ君かわいそうだしさ」


 チラとペタの方を横目に見ながら、公子が言うと取り巻き達が先にも増して騒ぎ始める。


「何よー、それじゃ罰ゲームになんないじゃん」


「そーそー、もうちょっとペタを煽ってからにしてくれないと」


「で、でも……」


「もー、キミってば優しすぎー」


 そして取り巻き達はげらげらと、とても不愉快な波長で笑い始める。流石に公子はペタの事を意識してそこまで露骨な事はしなかった。


「えっと、つまり……どういうこと?」


 何もワケが解らず、ペタが公子達に問いかける。すると取り巻き達が顔を見合わせてにやりと笑った。とても、嫌な笑い方だった。


「つまりさー、罰ゲームなわけよ。UNOの」


「ドベが誰かにラブレターだして呼び出すっていうね」


 彼女達の言っている言葉の意味は解るのに、それを上手く理解する事が出来なかった。


「で、キミがドベだったから、ペタ君にご協力願ったってわけ」


「もうちょっと本格的な雰囲気になってからネタばらししようと思ってたのに、キミったらすぐ言っちゃうんだもん」


「まあ、いい夢が見れたから得だったよね? キミみたいな美人にラブレターもらうなんて滅多にないよ。あ、それ正真証明本人が書いたものだから。良かったじゃん、宝物にしなよ!」


 その身勝手な言い草に、ようやくペタは脳の理解が追いついた。つまり、自分は担がれたのだと言う事を。それを自覚した瞬間、猛烈な恥かしさが込み上げて、ペタはあっという間に顔を真っ赤にする。


「あはは、ペタの顔すんごい真っ赤! 面白!!」


 その笑い声が追い討ちとなり、ペタはもういてもたってもいられなくなった。振り返ると一顧だにせず全速力で家へと駆けだす.。


「あ……」


 公子だけが、何か言いたげな声を発した物の、それは羞恥心と後悔にまみれたペタの耳には届かなかった。

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