対面/悪戯心/雲の靴/謝恩パーティー
<対面>
週刊少年ガンマに『SATORI』の連載が始まって2年が経ったある日。
それは長いようで長かった。本当に長かった。もちろん靴は持参した。50年間大切に保管していた靴は表面が多少経年劣化しているものの、ほとんど原型をとどめいている。車窓に映る風景からいつの間にかビル群が姿を消していた。
首都圏郊外のさびれた町にゆでやさいの生家はあった。それは
狭い居間に通されると、本棚の上の壁には満面の笑みを浮かべたガルルちゃんのポスターが貼ってあった。所々やぶれかけておりずいぶんとヤニで汚れていたが、その表情はどことなく誇らしげだった。新聞の山の上には取り込んだばかりの洗濯物らしき衣類が無造作に積まれている。「今は絵本や、小説の挿絵を描いて細々と暮らしています」左右に揺れ動く電気のヒモを慣れた手つきでつまみながら、ゆでやさいが言った。病気は快方へ向かっているそうだ。ときどき、奥の部屋からテレビの笑い声が
「すみません、生活感丸出しで」
そう言ってゆでやさいは、かなり強い力でゆっくりと30㎝ほど開いていた
「こんな汚い所に藤吉先生のような方が、いったい何の用でしょう」
湯呑を差し出しながらゆでやさいが冗談っぽく言った。
良一は
「私は少年時代に、このシーンとまったく同じ体験をしたことがあるんです」
良一の言葉にゆでやさいは目を丸くした。
「亀天使ノロのモデルは僕のひいおじいちゃんなんです」
<
ゆでやさいの曽祖父、
ある日、愛一郎は
そうだ、この靴を神社へ奉納しよう……
翌日、彼はスニーカーの入ったビニール袋を持っていつもの神社へ向かった。
季節は夏の真っ只中。こんな日に限って愛一郎は少々寝坊してしまったので、もう日がだいぶ高かった。神社の石段はまるでセミの鳴き声でできたトンネルだ。彼は流れ落ちる汗を何度もぬぐいながら石段をなんとか登りきったが、不本意ながらも参拝する前に鳥居の陰で一休みをすることにした。本殿の
しばらくすると石段を登ってくる少年の姿が見えた。やがて石段を登りきった少年は鳥居の下で大きく伸びをすると
結局、愛一郎は少年にその靴をあげてしまったという。
<雲の靴>
「僕はひいおじいちゃんのその話をネタにしたんですよ」
楽しそうに話すゆでやさいとは裏腹に良一は複雑な思いだった。心のどこかでは覚悟していた。しかし、やはりと言うべきか魔法の靴じゃなかったという事実は、彼を想像以上に落胆させたのだった。
こんな話を聞くために自分は、まったく興味のなかった漫画の世界へ飛び込んだのかと思うと「
「やっぱりそうだったんですね!」
ゆでやさいには良一がその話を切り出した時点でピンと来ていたのだろう。「見ていいですか」と言って、ロゴマークからベロからソールから細部に至るまで
「ところで藤吉先生、いったい何をお願いしたんです」
ゆでやさいは良一が何をお願いしたのかまでは知らなかったようだ。ちなみにガルルちゃんは、きなこドーナツをお腹いっぱい食べたいだとか、全然違う願い事をしていた。
「私は雲に乗りたいと言いました」
それは子供なら一度は夢見ることだろう。かといって自分がなぜそんな願い事をしたのか(しかも即座に)、良一にはわからなかった。何となくだが、その前に大きな入道雲を見ていたような気がする……
「ああ、それでひいおじいさんは先生にたまたま持ってた靴を渡したのかあ。この靴を履けば雲に乗れるっていう寸法だったんですね!」
ゆでやさいが手をポンとやりながら言った。 良一は「そうです」とため息交じりに答え「でも、これは単なるスニーカーでした」とガックリと肩を落とした。彼は50年間もこの靴を“魔法の靴”だと信じて生きてきたのだ。なんてバカな男なんだ。知らないほうが良かったんだ。真実なんて……
すると、ゆでやさいは「何を言ってるんです」と言葉を返した。
「先生はもうとっくに雲の上のひとですよ!?」
<謝恩パーティー>
――それから数年後。
毎年正月に都内の
恐竜のコスプレをした司会の女の子が「35」と叫ぶ。ほとんどの招待客たちは皆ビンゴカード片手に真剣な表情だ。ステージ上のひな壇には、最新ゲーム機、沖縄ペア旅行券、
彼はちょうど1年前『
また、時代を感じさせない健康的でかわいらしい絵柄で幅広い層のファンを獲得、深い考証に基づくパロディっ気たっぷりのギャグセンスでマニアをも
思えばあの日、藤吉先生が訪ねて来なかったら、自分はきっとここには居なかっただろう……
背中の気配に振り向くと「あの、すいません」色紙とペンを渡された。ゆでやさいが本日、同業者にサインをするのはこれで何度目だろう。恐竜のコスプレをした司会の女の子が「83」とアニメ声。
― 完 ―
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