第参話 『その女、好敵手につき』 其の壱

 打倒恋火れんかの為にとトレーニングを開始して以来、ミラは一層対抗心と敵対心を燃やし、毎日のように彼女に突っかかっていた。



 ある時は、座学の小テストで。


「勝負よ、鷲峰恋火わしみねれんか!」

「……くだらん。前にも言ったはずだ、今戦ったところで時間の無駄だと。相手をして欲しければ鍛え直して」

「No、No、No、No、今回は戦いではありませんわ。本日行われる科学の小テスト、その点数で勝負をするのよ」

「……ならばなおの事だ。試験とは他人と競う物ではなく、己を試すための物。わざわざ相手を作って勝敗を付けて、それでどうなると言うのだ」

「あ〜〜ら、随分と逃げ腰なのね。もしかして体は鍛えていても、頭の方には自信が無いのかしら?」

「ほざけ、私がそんな安い挑発に乗るとでも思うのか。やるならもう少し言葉を選ぶ事だな」

「ふ〜ん……そう、そんなに勝負を避けたがるだなんて、よっぽど敗北が怖いのね。やっぱり“胸が無い”人間というのは度胸も持ち合わせていらっしゃらないのかしらね〜?」

「…………いいだろう、そこまで言うのなら受けてやる。後で恥をかく事になっても知らんぞ?」

「フッフフ、そう来なくては。……意外と単純なのね」



「ムムム……お互いパーフェクトとは……フン、なかなかやるではありませんの、鷲峰恋火」

「くだらん。この程度の問題で満点を逃すようでは、私に挑む資格すら無いというものだ。小手調べにもならん」

「……ええ、そうね。確かにわたくし達の頭脳の優劣を競うには、今回の小テストは不十分でございましたわね。では、次に行われる大きなテストで再戦と致しましょう。そこでどちらの頭脳が真に優れているか、決着をつけますわよ!」

「だから試験は競う物ではないと言っているだろう、たわけ……」


* * *


 ある時は、昼の休憩時間で。


「鷲峰恋火、今日はチェスで勝負するわよ! それも我が財閥製の、黄金に輝くこのチェス盤と駒を使ってね!」

「……毎度毎度やかましいな、貴様は。見て分からんのか? 何も無い昼休みなどたまにしか無いんだ、少しは休ませろ……」

「いいから早くしなさい、昼休みが終わってしまいますわよ。ほらほら、そんなグデっとしている暇なんてありませんわっ、さあ、Hurry、Hurry!」

「……分かった、少しだけ付き合ってやる、それ以上喚くな。全く……仕方の無い奴め」

「フン、また偉そうに余裕ぶって……今日こそアナタに吠え面をかかせてやるんだから。せいぜい覚悟する事ね!」



「チェックメイト」

「No〜〜〜! Why!? まさか、こんなにも圧倒的に負けるなんて……!」

「簡単な話だ。貴様は自分の手を考える事しか頭に無く、相手の先を読むという事をしない。故に、手玉に取るなど児戯にも等しい。私でなくとも、貴様に勝つのは容易いだろう」

「ぐっ……!」

「とにかく、私の勝ちだ。また相手をしてほしければ出直してこい。私は仮眠を取らせてもらうぞ」

「〜〜! なによ、偉そうにぃ……! もう1ゲームよ、もう1ゲーム! 勝ち逃げなんて許しませんわ!! ……って、突っ伏してないで起きなさいよ〜〜!」

(……子供か)


* * *


 またある時は、体育の授業で。


「勝負ですわよ、鷲峰恋火!」

「また貴様か、懲りない奴だ……いいだろう、ここらで格の違いというものを思い知らせてやる」

「フン、それはこちらのセリフですわ! Bring it on(かかってきなさい)!」



「ぐっ……まさか、このわたくしが、アメリカで現役のプロにも勝った事のあるこのわたくしが、テニスで負けるなんて……」

「私の勝ちだ。だが、こんなにもスリルのあるゲームは初めてだった……少しだけ褒めてやる」

「っ〜〜! このわたくしにその上から目線っ、なんと無礼な! もう1ゲームよ、次こそブチのめして差し上げますわ!」

「ふっ、仕様の無い。もう一度だけだぞ」


「いや、あの、もう授業終わりなんだけど、お二人さん……?」


* * *


 はたまた、放課後の生徒会室で。


「鷲峰恋火ー! 勝負よ勝負ー!」

「続いて、議題を来月に控えている体育祭に移そうと思う。基本的には例年通りで問題無しと見ているが……」

「っ、ちょっと! このわたくしを無視するとは、あまりにも無礼なのではありませんのっ?」

「皆の中で、何か意見、要望はあるか? あればそれを元に、全校生徒にアンケートを取ろうと考えているのだが」

「うっ、なんという見事なスルー……だが甘いですわよ、鷲峰恋火っ。この程度で諦めるわたくしではありませんわ!」

「では会長、早速なんですけど、新しくクラスの代表同士の力比べ的な物とかやってみたらどうでしょう? 例えばバーベル上げみたいな」

「ん、その意見は確か去年も出ていたな。残念だが、怪我人が出る可能性があるので却下させてもらう」

「鷲峰恋火、ほら、勝負よ勝負、勝負しましょうっ」

「あっ、それだったら、単純に腕相撲なんてどうです? それなら怪我はしづらいと思うし、男女で分けてやっても盛り上がりそうだしっ」

「こんなつまらない話し合いよりも、わたくしと勝負する方が億倍楽しいというものでしょう? ね?」

「ふむ……なるほど、放送部に実況を任せるなど工夫を凝らせば、確かに面白くなるかもしれんな。候補に加えておこう」

「あ、ありがとうございますっ。へへへ……会長に意見通してもらえた……えへへ……」

「ねえ、ちょっと……わたくしとの勝負より、こんな会議の方が良いと言うの? ねえ……?」

「あ、次、自分いいっすか?」

「ああ、いいとも。言ってみたまえ」

「どうもっす。え〜っと、種目の要望っていうか、ルールの追加みたいな感じなんすけど。毎年やってるパン食い競争で、なんか毎回ただパァン! の音で走り出すっていうのも、徒競走とかとおんなじで変わり映え無くてつまんないんで、走る前になんか一工程噛ませてみるとかっていうのはどうっすか?」

「例えば?」

「……わーしみーねれーんかー、あーそびーましょー」

「例えば〜、あ〜……箸でピンポン球掴んで何個か別の皿に移した奴から走って良し! みたいな」

「なにその嫌がらせみたいな地味な一芸……」

「まあ、内容はともかく、少し変化を入れてみるというのも、生徒のモチベーションの低下を防ぐという意味では有効かもしれん。検討しておこう」

「あ、マジっすか? どうもっすっ」

「どうだ? 他には何かあるか?」

「…………貧にゅ——ウゲッ!!」

 「帰れ……!」


* * *


 あらゆる時に、あらゆる場所で、あらゆる種目で。

 ミラは衝動と闘争心に従い、積極果敢に恋火に挑みかかっていた。

 毎日のような頻度で起こる二人の対決は、いつしかクラスメイトの間で、恒例行事兼名物として定着する程注目される物となっていた。ちなみに、これまでの戦績は二十九戦二十四勝五引き分けで、授業のテスト等の上限が設けられている物を除いては、全てにおいて恋火が勝利を収めていた。

 しかし当人は、最終的には結局応じているものの、基本的にはあくまでもミラを厄介者扱いし、降りかかる火の粉を払うようにあしらっているのみであった。当然、エベレスト級に高いプライドを持つミラが、その不当な扱いを良しとするはずもなく、彼女の敵対心とそこから来る行動力は、日に日に勢いを増していくばかりであった。

 そうして、格闘以外の様々な形での闘いを繰り広げていき、時期も皐月さつきに足を踏み入れ出した頃。


 ある、大きな変化が起きた。


「ウォ〜〜〜ッホッホッホッホ!!! 鷲峰恋火、勝負ありですわ〜! バスケットはこのわたくしが最も得意とするスポーツ、さすがに今回ばかりは、アナタが勝つ事などありえませんわ〜っ」


 昼休み中の教室に象徴的な高笑いを響かせ、早くも強気に勝利を宣言するミラ。

 次の五、六時間目の体育の授業で行う種目が、自身の得意分野であるバスケットボールだという話を耳にし、彼女は水を得た魚のようにイキイキとし始めたのだ。

 普段に輪を掛けて挑戦的な態度を取るミラであったが、恋火はそれもどうせいつもの事だと見て、小慣れたように返した。

「ふん、聞いた台詞だな。そうやって大見得を切って、貴様が一度でも私に勝ったためしがあったか?」

「フン、これまでのはただのお遊びよ、今度は今までのようにはいかないわ。今日こそアナタに敗北の味を教えてあげますっ、せいぜい今の内に余裕ぶっているがいいですわ!」

 恋火に正面から指を差して堂々と言い放ち、ミラはジャージを手に取って、早々に教室を飛び出して行った。

「……」

 その姿を、恋火は疑問を含ませた視線で追う。

 ミラが大袈裟に啖呵を切るなどいつもの事だが、今日の彼女はどこか雰囲気が違った。

 これまでも常に自信に満ち溢れてはいたが、開始前から微小の躊躇も無く勝利を宣言してのけたあの気迫には、その言葉に不思議と真実味を感じてしまう程の凄味があった。

 少なくとも、今までのようにはいかなそうだ——危機感とまでとはいかずとも、多少の警戒心は持って臨むべきだと、恋火は少しだけ気を引き締めた。

「おぉ……今日はいつになく自信に溢れてますな〜ミラっち」

「まあアメリカはバスケの本場だからね〜。ミラさん運動神経抜群だし、バスケも凄い強そうなイメージはあるわね」

 いつもとは違う空気を同じように感じ取ったのか、いつの間にか傍に寄ってきていた信者コンビ多美&雅が、彼女に感嘆するように言う。

「でもでも〜、それでもやっぱりぃ、最後には恋火様が勝っちゃうんですよね〜〜?」

「ですよねぇ〜??」

 かと思えばくるりと振り向き、崇めるように手を組んで、目を蕩けさせ、分かりやすい猫撫で声で問う。

 一瞥し、恋火は眼を閉じてミラと同様、自信と強固な意志に支えられた宣言を立てる。

「ああ、言うまでもなく——勝つのは私だ」

「いや〜〜〜!!! んむぅぉ超カッコいいいぃ〜〜〜〜!!! さすが恋火様だぅわぁあ〜〜〜!」

「あぁ〜っ、マジぱねえし! やべえし! イケメンすぎるし〜〜っ!!」

 恍惚するあまり、その場でくねくねした踊りをし始める二人。さながら、尻尾を掴まれたうなぎのような動きである。

「……そろそろ移動するぞ」

 若干の憐憫を含んだ目で見ながら恋火が冷静に言うと、二人は「はーいっ」と従順に返事をし、教室を移動し始めた。恋火もそれに続いて、教室を後にした。


 この時、彼女はまだ予測すらしていなかった。

 かつてない敗北の危機が、自身に訪れようとしている事を。


* * *


 授業は、クラス内で二つのチームに分かれての試合形式で行われる事となった。

 正式な物と違い、前後半それぞれ五分、ハーフタイム一分というルールが設定されている。非部員の生徒への、体力的な要素を考慮した上での結果である。

 そして肝心のチーム分けはと言うと——恋火、多美、中学時代にバスケ部の部長を務めていた経験のある花澤手鞠はなざわてまりと、クラスメイトの鳩谷はとがや雀部ささべで構成された赤のゼッケンチーム(以降赤チーム)と、ミラ、葵、雅、他二名の黄のゼッケンチーム(以降黄チーム)という構成となった。

 ウォーミングアップもそこそこに、すぐに試合は開始される事となった。ジャンプボールのために、赤チームからは恋火が、黄チームからは背が高めの女子生徒が、それぞれコートの中央に近づいて行く。

(奴ではないのか?)

 目立ちたがりで自己顕示欲が強い性格と、身体能力に絶対の自信を持っている事から、てっきりミラがこの役を買って出ると思っていた恋火は、不審の念を抱き、右後方にいる彼女に目を向けた。

 腰を落とし、眼を鋭くして一点に前を見つめ、集中力を高めている。

 やはりこれまでとは、何か“懸けている物”が違うようだ。

「……」

 戦いに臨む時に匹敵する程剥き出しの闘志に、恋火はより警戒心を強め、再び前に向き直った。

 すぐに教師の手により、ボールが真上に放られる。それが最高点まで達した瞬間、中央で向かい合っていた両名も、同時に全身のバネを活かしてその場で跳び上がる。

 空中戦を制したのは恋火であった。敵陣の一番ゴールに近い場所に立っていた多美に鋭くボールを送り、早々に先制点をもぎ取りに行く。

「ハァハァ……恋火様が触った、ボール……ハァハァ……」

 汚らしく鼻息を荒げつつ、多美は意外にもしっかりと形になっているドリブルで、すぐにゴール下まで辿り着く。

「うっしゃあっっ!! 恋火様から受け取った想い、私が決めてみせ——」

 思い込みの使命感に駆られるままにレイアップシュートを打とうとした、その時だった。

「フンッ!」

「えっっ」

 背後から跳び掛かってきたミラが、“手から完全に離れる前にボールを叩き落とした”のである。

(ちょっ、あなたさっきまで反対側のコートにいたじゃない。追いつくの速すぎでしょ……っ)

 あまりのスピードに驚愕を隠せない多美。ミラはただ、したり顔で彼女を見下ろすのみであった。


 だが、多美を含めた赤チームの全員が、これがまだ序の口であるという事を、これから身をもって思い知る事になるのであった。


 赤チームのスローインからゲームは再開。手鞠と恋火に狙いを絞り、ディフェンスに回った葵の隙を探る。

「うっ、いい動きね……さすがは恋火様の弟子だわ……っ」

「ど、どうもっ」

 恐縮しながらも葵の防御に一切の抜かりはなく、多美はなかなかパスを出す事ができない。そんな時、手鞠が率先してコート内を大きく動き、苦戦する多美に呼びかける。

「へい! こっちや!」

「!」

 そこだ——左右の揺さぶりで出来た細い道筋に、多美は的確にボールをバウンドさせ、攻めの手を繋ぎに行く。

「っ、なんやてっ?」

 だがその糸は、またもミラによって無情に断ち切られてしまった。パスコースを読み切った素早いスティールでボールを奪い、瞬時に相手の陣地へと攻め入る。

 そこに、いち早く自陣に戻った恋火が立ちはだかる。まだ誰も二人に追いついておらず、必然的に一対一の格好となった。

 腰を落として両腕を軽く広げ、恋火は突撃してくるミラを止めるべく備える。

「……フッ」

 これはまた、願っても無いシチュエーションね——準備万端の宿敵を眼前にして、ミラは強気にニタリと口の端を吊り上げたかと思うと、急激に速度を上げた。

「っ!」

 向かって左への高速のドライブ。より体勢を低くしての踏み込みは、まさに突進と言える程の爆発的な勢いと迫力が備わっていた。

 しかし恋火も並の人間ではない。“鷲の目”と評される驚異的な観察眼と、持ち前の反射神経を遺憾無く発揮し、左側を抜こうとするミラに、遅れる事なくぴったり張り付いていく。

 だが、ミラはそれにも瞬時に対応し、流れるままにロールターンを決めた。それによって、ミラが逆サイドを抜きに来たと一瞬で判断した恋火が、脚に力を入れて踏み止まり、体を翻した直後の隙を突いてボールを奪うため、剛速で手を伸ばす。

 ところが、それさえも罠であった。ミラはロールを囮にし、更にもう一度右に切り返す事で、恋火という防壁を見事突破し、初得点を決めてのけたのである。

「むっ」

 繋ぎ目さえ分からない程の超高速で繰り出された連続技。如何に恋火と言えど、その洗練されたテクニックの前では、僅かな足止め程度の役割しか果たす事ができなかった。

 相手を真っ向から粉砕し、逆に先制点を奪取してのけたミラは振り返り、堂々たる振る舞いで指を突き付けながら、恋火に告げた。


「先制点、もらいましたわ!」

「……面白い」


 これは、想像以上に難儀になりそうだ。

 感心したように、気を張り直すように、恋火は声を漏らしたのであった。


* * *


 自身が口にした通り、主導権を握った黄チームの快進撃は続く。

 恋火と手鞠の功労により辛うじて点は取れているものの、他のスポーツ以上に熟練された動きでコートを蹂躙するミラによって、みるみる点差を広げられていた。

「アカンなこのままじゃ……鷲峰さん!」

「ああ」

 前半が残り一分となり、スコアも32対15とダブルスコアとなったところで、このままでは取り返しがつかなくなると考え、司令塔である手鞠は自分と恋火の二人掛かりで、徹底してミラを止めに行く作戦を決行する。

 今黄チームで点を取っているのは実質ミラ一人。故に、彼女を止める事ができれば、少なくともこれ以上の大幅な失点は防げるだろうという算段に基づいての策であった。かなり守りに入った考えではあるが、現状ではそうするしか、彼女達に生きる道は残されていなかった。

「そこまでや!」

「図に乗るなよ」

 ボールを持ったミラに、二人が立ち塞がる。経験者と実力者、双方が隙間を作らぬように並び立ち、文字通り壁として食い止めにかかる。

 しかし、ミラは怯むどころか全く動じもせず、あろうことか自信ありげに真っ正面から突っ込んで行く。言うまでもなく二人がプレッシャーをかけに行くが、ミラは寸前でキレのあるロールを繰り出し、横からすり抜けようと試みる。

(同じ手は食わん……!)

 一度抜かれた経験から先の手を読んでいた恋火は、今度は切り返す事も間に合わない絶好のタイミングでのスティールを狙う。

 しかし。

「Immature(甘い)!」

 ミラは、誰もが予想もし得ないプレイに走った。


 彼女は回っている最中に、頭の後ろに放るようにして、ゴールに向かってノールックでボールを投げたのだ。


「なに……っ」

「んなアホなっ……!」

 一見すれば投げやりとも思える信じられない奇抜な行動に、恋火と手鞠は一瞬動きを止めてしまう。そこに生じた僅かな隙に、ミラはターンした方向とは逆に身を翻して二人を抜き、難無くダブルチームを突破。そのまま勢いを付けて跳び、先刻投げたボールを空中でキャッチして柔らかく放り、リングに掠りもさせずにネットを通過させた。

 アクロバティックを極めた変則的で派手な大技に、敵も味方も例外無く唖然とする中、彼女は着地するなり、勝ち誇った高笑いを体育館に反響させる。

「ウォ〜〜〜ッホッホッホッホ!!! なんて滑稽なのでしょうっ。アナタ達のような小物がいくら足掻こうと、どんな策を弄そうと無駄。わたくしは、誰にも止められませんわよ……!」

 ただでさえ劣勢を強いられていたというのに、高校生離れしたスーパープレイをまざまざと見せつけられてからの、この強かな宣告。

 他の三人は当然の事、元バスケ部部長の手鞠でさえ嫌でも地力の違いを悟り、一気に精神を削り取られてしまった。

 もはや赤チームは、全員が戦意をがれた状態となった。


 ——ただ一人を、除いては。


「あ……!」

「っ!」

 ミラへのパスをカットし、恋火は冷静にジャンプからの3Pスリーポイントシュートを決めた。

 圧倒的な力の差を示された直後に怯まず叩き返した反撃の一打に、赤チームの全員が目を覚ましたように顔を上げる。

 恋火は今し方までしょぼくれていた仲間に向けて、鼓舞の言葉を掛ける。

「投げ棄てるにはまだ早い。最後まで、諦めずにやろう」

 弱気など微塵も混じっていない、シンプルな激励。

 その直球で力強い言葉が味方を絶大に盛り立てるまでに至ったのは、自ら率先してシュートを決めて可能性を示してみせた実行力と、恋火自身の生まれ持ってのカリスマ性によるものだった。

「……せやな。鷲峰さんの言う通りや、まだ負けと決まったわけやない。とりあえずは、前半終了までの残り三十秒、しっかり守り抜くで!」

「恋火様のためにも、精一杯踏ん張ってみせるわ……!」

「はいっ」

「うん!」

 ほとんど折れかかっていた心を持ち直し、赤チームは再びその目に闘志の火を灯す。恋火は安堵したように、クールに小さく微笑んだ。

「……フンッ」

 普通の相手なら、まず立ち上がってこれないはずなのに——あっさりと息を吹き返した敵軍と、何よりも、それをたった一声によって成し得た鷲峰恋火という存在に対して、ミラは極めてつまらなさそうに眉間に皺を寄せる。

 やはりあの女、気に入らない。

 取るに足らない庶民如きが、生意気な。

「どうやら、ダメ押しが必要みたいね」

 バスケの実力云々などは関係無い。あのチームの要は、確実に恋火だ。この学校のリーダーとも言える彼女が味方につき、戦意を失わずに共に戦ってくれているからこそ、他のメンバーはなんとか士気を保つ事ができているのだ。


 ならば——ミラは小悪魔じみた笑みを浮かべ、次なる行動に出る。


「っ、しまった……!」

 スローインから手鞠に繋ごうとしたパスを容易くカットし、ミラはまたも点を稼ぎに走る。

 パスをことごとく邪魔されるあまり、挫けそうになるメンバーだったが、こうなる事を見越して自陣に残っていた恋火の姿を見て、希望の光を取り戻した。

「鷲峰さん、頼んだで!」

「お願いっ、恋火様〜!」

 ハーフラインを越えたところまで走り出していたために、戻りが間に合わないと見て、手鞠と多美は恋火に望みを託す。

 だが、彼女の耳には既に届いていない。尋常ならざる集中力を持って、黄金の髪を携えた暴君からゴールを死守するべく、全神経を研ぎ澄ませていた。

「フッフフ、またこのシチュエーションね、鷲峰恋火。きっと結果も同じでしょうけれど」

「図に乗るなと言ったはずだ。次こそ、貴様を止める……!」

 わざと一度止まって煽るミラに、恋火は並の者では見ただけで圧倒されてしまう程の剣幕で応じる。

 対峙するミラは、そのプレッシャーを正面から受け止め、それを跳ね除ける語気で、闘志に満ちた台詞を返す。

「フン、いいわ。それでこそ、潰し甲斐があるというものよ!」

 残り五秒、相手チームの柱である恋火を倒し、完全にトドメを刺すべく、ミラは前半最後となる攻撃を開始した。

「来い……!」

 眉間と足腰に力を込め、恋火は完全なる臨戦態勢に入る。

 ここまでのプレイを見る限り、ミラがまともに太刀打ちできる相手でない事は明らか。なれば現時点では、出来る限り先を読んでボールを奪い、タイムアップに持ち込む事が最善。

 “鷲の目”を最大限に活かし、一挙手一投足に細心の注意を払い、是が非でもミラの侵攻を止める——自身に課せられた役割を果たすため、恋火は踏み込んできた彼女に照準を合わせる。

 開幕は向かって右へのドリブル。しかし目線と重心の傾き、手首の向きから考えてこれはフェイク、片側に寄せてから一瞬で逆に切り返して抜きに行く、得意のパターンだ。

 そしてこれまでの傾向から見るに、ミラはそこから更にもう一段技を繋いでくる可能性が高い。中でも最も多用しているのが、目にも留まらぬ速さで強引に突破してくるロール。最初のドライブの後に使用してきた事もあるが、いずれにせよ、最警戒しなければならない技だ。

 だがミラは、ロールの途中でボールを放り投げたりなど、時折セオリーが通じない手段に走る時がある。そこも考慮するとなると、もはや選択肢は無限と言っていい程に広がり、対応不可能という結論に至るしか無くなってしまう。

 故に、そこはあえて考える事を放棄。

 出方を見てから後の先を取り、強引に叩き伏せる——それが、ミラの自由自在なプレイスタイルに対抗するための、恋火が現状の最適解として出した結論であった。

 果たして予測通り、ミラは一度強くボールを突いて大きく左に切り返した。それを防ぎに行くと、やはりロールで出し抜きに来た。恋火は足を機敏にスライドさせ、回転した先のコースに刹那の差で立ちはだかる。

 ここまでは、どうにか予定通り。

 次は、正真正銘の出たとこ勝負。読み切れない無限の手に対応するべく、恋火はこれまで以上の集中を見せる。

「フッ」

 ふと、ミラが鋭く笑った——と思った次の瞬間、彼女の姿が急激に縮んだ。

 ボールを手元に吸い込みながらの、猛烈なバックステップ。あまりにスムーズであまりに速く、あまりに大幅な後退によって、身体が縮んだと錯覚してしまったのだ。

「ちぃ……!」

 恋火は微かに目を見開き、慌てて脚を曲げ、手を真上に高く掲げながら前方に跳び掛かる。

 後ろに下がる事を想像していなったわけではないし、そうする事もえてはいたが、ここまでの物とは想定していなかった。ましてやこのゲームにおいて初めて見せられた技、どの程度の技量をもって仕掛けられるかを見極めるなど、至難の技だ。

 結果、僅かに出遅れた事が致命的に響き、ミラが流れのままにライン外から放った3Pスリーポイントシュートは、恋火の指先を易々と躱し、高いループを描いてバスケットへと吸い込まれて行く。

「くっ……」

 完全に出し抜かれたと歯噛みする恋火に向かって、ミラはシュートを打った姿のまま、愉悦に浸る悪どい顔で、優越感満載の言葉を振り下ろした。


「無様な姿ねぇ、鷲峰恋火。この場で敗北をもって思い知りなさい。このわたくしに生意気にも刃向かってきた事の、その愚かさを」


 バシュッ——ボールがネットのみに触れた事を証明する快音と同時に、前半終了を知らせるブザーが木霊した。



* * *


「フッフフ、気分が良いですわ〜」

 ハーフタイムとなり、ステージの左側に集まって休憩を取る黄チーム。

 そのリーダーにしてメインウェポンであるミラは、大層満足そうに呟き、タオルで汗を拭い始める。

 ずっと負かされ続けてきた相手を圧倒している事が——そもそもここ七天に来るまでは当たり前だったその常識がやっと自分の元へと戻ってきた事が、彼女にとっては堪らなく安らげる快感だったのであった。

「ミラ様、前半お疲れ様でした! クラスの男子皆を代表して、この田中めがお届けに参りました、どうぞ!」

 タオルを顔に当てていると、隣で同じく体育の授業を受けていたクラスの男子の一人がダッシュでこちらに近づき、まるで王族に献上するように跪いて、スポーツドリンクを差し出してきた。男女双方の体育教師が「またか……」と、異様な光景に諦めたように肩をすくめた。

 ミラは、その待遇をさも特別でもなんでもない当たり前の事のように受け取り、淡々と対応する。

「あら、気が利くじゃない。その心掛け、特別に褒めて差し上げますわよ、ブタ。ご苦労様、もう下がっていいわ」

「ブッヒッ」

「うわすげえ、返事もブタ仕様……完全に信者じゃん……なんかミラっち、たまに男子にこういう扱いされてるよね」

 貰ったドリンクを勢い良く飲み、「いい加減その呼び方止めなさいよね」と前置きしてから、不服混じりに雅の問いに答える。

「何故かは知らないけれど、あいつら男子に崇められているのよね、わたくし。というか、大人も含め、学校で出会うほとんどのオスがそんな感じですし。わたくしの至極の玉体と優美な振る舞いに酔いしれてしまいたくなるというのも、生物として仕方の無い事だとは思いますけれど……サルとそれ以下のブタどもばかりにおだてられたところでなんの喜びも湧いて来ないというのが、どうにも困りものなのよね……」

「おお……相変わらずのミラっち節だあ。でも、ん〜、男に人気があるのもしゃあないよね〜。だって、ミラっちおっぱいマジでけーし、やべーし、試合中もバインバイン揺れまくってたし」

「……それはSEKUHARAセクハラと受け取ってよろしいのかしら?」

 思慮の無い発言にジト目を寄越すミラだったが、雅は絶えずお気楽な様子で喋り続ける。『まるであのサル隼弥みたいだわ……』と、ミラは倦厭けんえんするように目を閉じた。

 その二人の脇で、ステージに寄りかかって休んでいた葵が、驚愕と戦慄を綯い交ぜにした眼差しでミラを見つめていた。

(ミラさん、本当に強い。私達は言われた通りパスしかしていないのに、たった一人でこの点差……あの言葉も、いつもの単なる見栄じゃなかったのかもしれない……)

 試合が始まる前、チーム分けが決まった後の作戦会議でミラがメンバー全員に話していた内容を、彼女は思い出す。


* * *


「あの、ミラさん……? し、勝算はあるんですか?」

「ハ? それはどういう意味ですの、葵」

 おずおずと尋ねる葵に、ミラは片眉を上げて威圧するように問い返した。一層怖気付くも、彼女は不安に駆られるあまり、なおも食い下がっていく。

「だ、だって……向こうには鷲峰さんがいますし、花澤さんも中学の時にバスケ部の部長をやってたって聞いてますけど……こっちはミラさん以外、誰もバスケの経験が無いんですよ? そ、それでどうやって、勝つつもりなんですか……?」

 それを聞いて、他の三人も同じ事を考えていたのか、同調するように弱気な目で訴えかけてきた。

 しかしミラは、心底くだらないといった風に溜息を吐き出し、芯の通った声で、彼女なりの鼓舞をする。

「何を言うかと思えばそんな事……人をバカにするのも大概にしておきなさい。いいこと? わたくしが加わった時点で、このチームの勝利は確定しているの。不安になる事など何も無い、アナタ達はただわたくしにボールを渡す事だけを考えてくれれば、それでいい。……それになんですの? その“勝算”って。まるで意味が分かりませんわ」

 ヘアゴムを口に咥え、自慢の煌めくブロンドの長髪を後ろに纏めてゴムで結い、一層闘志に研がれた眼と共に傲然ごうぜんと言った。


「勝たなければならないのだから——何があろうと勝つだけでしょう?」


 迷いの無い勝気な発言を残し、ミラは依然ギラつく闘争心を表出させたまま、コートの中央へと一足先に赴いた。

「…………カッコいい……」

「ミラ……様……」

「マジぱねーし、やべーし、カッケーし……レンカ様以外の女子にときめいたのいつぶりだよ……」

 その勇ましい背中に視線を奪われた女生徒達は、頰を上気させて、熱に浮かされた情を零したのであった。

「……」

 しかし葵だけは、唯一無言のまま、複雑な面持ちで視線を同じくしていた。

 

* * *


(もしこのまま上手くいけば、本当にミラさん一人だけで勝ってしまうかもしれない。でも……そうなると、鷲峰さんが負ける事になっちゃう……鷲峰さんが誰かに何かで負けるところなんて見たくない。けど、やっぱり勝負としてやってる以上は皆で勝ちたいっていう気持ちもあるし……うぅ、私はどうすればいいの〜……?)

 一騎当千の活躍を見せる味方への信頼から来る勝利への期待は、自身が敬服して止まない相手に敗北を味わわせる事になってしまうという不安と罪悪感を同時に増大させる。

 恋火への憧れが強過ぎるあまり生じた二極の想いに挟まれ、葵は頭を抱えて堂々巡りをするのであった。

「……あのは一人で何をやってるんですの?」

「さあ? なんかたまにああなってる時あるけど」

 ぶつぶつと小声を漏らしながら悶々とする葵を、二人は不思議に思いつつ放置する事にした。

「まあ、いいわ」

 そんな事はさておき——ミラはもう一口含んで、たのしげに笑う。

(最後に力の差も見せつけてやった事だし、連中の戦意は虫の息でしょう……。これも結局は、メインイベント戦いの前の余興に過ぎないのだけれど、この際構わないわ。あの女に勝てるのなら……昔、数ある習い事の中でも特にお父様に褒めていただいたバスケットで、あの女に苦々しい敗北を味わわせてやれるのなら、それで)

 最上ではなくとも、最善の結果であるならば、ひとまずは及第点だ。せっかくの勝利の機会をわざわざ逃す手など無い。

 それに、真の意味での勝利を得る前に少しばかり美酒を味わわせてもらうというのも、悪くない。

(フッフフ。ここまで生意気にもわたくしに屈辱を重ねてきたのですもの、ここらで一つ……痛い目を見るがいいですわ、鷲峰恋火……!)

 口の端を上げながら、逆サイドにいる恋火を横目で睨みつけ、ミラは内心で復讐リベンジの炎を燃え立たせるのであった。

「後半も変わらずよ。アナタ達の仕事はわたくしにボールを渡す事、ただ一点のみ。他の余分な考えは、一切切り捨てて構いません。そうしてくれれば、このわたくしが必ずや、アナタ達に優美な勝利をもたらして差し上げましょう。さあ、行きますわよ!」

「おー!」

 ハーフタイムも終わり、ミラは葵達を引き連れ、再び戦場コートに戻っていくのであった。


* * *


 一方、同じくハーフタイム中の赤チーム。

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 黄チームとは対極的に、りんが鳴るような音がどこかから聞こえてきそうな程に、どんよりとしたお通夜ムードとなっていた。

 しかし、他の三人は言うに及ばず、バスケ経験のある手鞠と、完璧超人の恋火の力を合わせてもまるで歯が立たなかったとなれば、そうなるのも必定であった。

(アカン……ウチらとは次元が違いすぎる。身体能力だけなら鷲峰さんも全然負けてへんが、経験値も技術も勘も、なんもかんもミラさんの方が数倍上回っとる。ウチもまるで相手にならんし……あんなんどうやって立ち向かえばええっちゅうねん)

 ステージにもたれかかるようにして座り込み、放心したように天井を見上げながら、手鞠はミラの強大な力に打ちひしがれる。

 後ろに束ねた金髪を揺らして猛威を振るうミラは、まさに“金獅子”と呼ぶに相応しい八面六臂はちめんろっぴの蹂躙ぶりであった。

 対してこちらには、そんな怪物に対抗しうる戦力も、手段も無い。

 もはやこのまま、彼女に食い殺されるしか道は無いのか——手鞠はふと、首を回して横を見る。

「……」

 恋火が、壁の方を向いて、一人黙って立ち尽くしていた。

 前半最後の場面で、チームの希望を託されながら、それに応えられなかった——責任感の強い彼女だ、その事に相当罪の意識を感じているに違いない。

 それに、いくらこれが授業だとは言っても、プライドだってかなり傷付いただろう。今まで難無く勝ち続けて来た相手にここまで良いようにやられて、挙げ句の果てに、あんな台詞まで言われてしまったのだから。

 彼女は格闘家だ。どんな種目であろうと、それが白黒はっきり付くような形式の勝負事であるならば、必ずや強い情熱を持って臨んでいるはずだ。きっと今、さぞ悔しいと感じているのだろう。

 恋火の憂いを帯びた背中を見つめ、手鞠もまたシュンとしたように下を向く。

(鷲峰さん、やっぱりヘコんどるんかなあ。そらヘコんどるよなあ、はぁ……せっかく信頼してもらえたのに、申し訳ないわ……)

 彼女はゲーム開始前に恋火に言われた話の内容を思い出し、一層の罪悪感に駆られるのであった。


* * *


「指揮は君に任せたい、花澤さん」

「え? う、ウチが?」

 五人で集まって話し合いを始めて早々、恋火から受けた突然の任命に、手鞠は自分を指差しながら驚いた様子を見せる。

「え、ええんか? 確かに中学ん時部長もやってたし、別に嫌ってわけでもないけど、こういうのは鷲峰さんがやるんとちゃうのか? ほら、鷲峰さん生徒会長やってるし……」

「何を言う、バスケと生徒会は全くの無関係だ。何でも私が仕切らなければならない道理は無い。それに……」

 諭すように言って、恋火は手鞠の士気を引き出すような言葉を掛けていく。

「バスケに関しては、私はほとんど素人と言っていい。それでも弱いつもりは毛頭無いが、中学時代に厳しい修練を積んできた君の方が、遥かに実力は上のはずだ。経験値は当然、ゲームメイク能力も指揮能力も、ここぞという時の勘の良さも、全てにおいて私より優れているだろう。そんな君を差し置いて私が出しゃばるのは愚行、君がリーダーを務め指揮を取る事こそが全員にとっての最善であると、私は思う。体育の授業とはいえ、勝負は勝負。どうせやるなら、勝ちに行こう。そのためには、私ではなく君の力が必要なんだ、花澤さん。どうか君の手で、私達を勝利へと導いてほしい」

「ほえっ?? あっ……」

 ポン、と手鞠の肩に手を置き、恋火は信頼に満ちた穏やかな眼差しで真っ直ぐ目を射抜きながら、決定的な一言を放った。


「君の力を、頼りにしているよ」


「…………はいっ……」

 手鞠はまるで恋にでも落ちたかのようなうっとりした瞳で、恋火をぽうっと一点に見上げたまま、蕩けたような声で従順に了承の返事をしたのであった。

「あ、あの娘落ちた」

「落ちたな」

「まああんな風に恋火様に頼られたら、そりゃ惚れるのも仕方ないわよね……あ"ぁ"〜羨ましいっっっ! 私もバスケやっときゃよかった〜〜!」

「もう手遅れだからね、しょうがないね」

 完全に恋火に心を奪われた手鞠の姿を傍で眺め、多美と雅が勝手に盛り上がり始めた。それを聞いて我に返った手鞠が、だこのように顔を赤くして狼狽する。

「べ、別に落ちてへんわ! 惚れてへんわ! 何好き勝手言うとんねん! そ、そもそも雅は向こうのチームやろ! なんでこっち来てんねや!」

「あ、そうだった。近くでレンカ様に落ちた女の子の気配がしたからつい来ちゃったよ」

「どんだけピンポイントなセンサーやねんっ」

「あっはは〜。そんじゃタミ、今回は敵同士だけど正々堂々やろうず〜。あっ、レンカ様も、よろしくおねがシャス!」

「うん、お互い手加減無しでいきましょう。あ、そうだ雅、動いたらたぶんお腹空くし、帰りマック寄ろうっ?」

「おー、おKー! 行こー行こー!」

「あんたらこんな時に何話してんねや……」

 TPOなどお構い無しに、仲の良さを自由に周囲に見せつける二人を眺め、手鞠は乾いた声を漏らした。

「そろそろゲーム開始だ。花澤さん」

「えっ? お、おぅ……」

 恋火に呼び掛けられ、意識をバスケに向け直す手鞠。

 この学校の生徒会長で、皆のリーダーで、万事において万能な完璧超人である鷲峰恋火に、一時でも信頼を寄せてもらえた——彼女の期待に応えるべく、手鞠は奮起し、目を燃え立たせて拳を上げ、チームのリーダーである自覚を持って、張り切って声を上げる。

「よ、よーし、やったろうやないかあ! ウチについてこいみんな! ぜってえ勝つでぇ!」

「おー!」


 そうして、恋火の働きも手伝って、全員がやる気に満ちた状態で試合に臨んだのであったが——


* * *


(このザマやもんなあ……)

 結果は見ての通りの大差。やるだけの事はやったつもりだが、それでも点差をここまでに留めておくのが関の山。戦略も実力も、ミラたった一人に遠く及ばない。

 戦意も、希望も、風前の灯火。

 見渡す限りの絶望が、チームを覆い尽くしていた。

(…………ダメや、このままじゃダメや!)

 だが、手鞠はそんな暗い光景を見て、逆に自分を奮い立たせるように拳を握る。

(鷲峰さんは、ウチを信頼してみんなを任せてくれたんや。そのウチがいつまでもヘコんでるなんて、そんなんアカンやろ。正直、今のとこは勝ち筋なんてさっぱり見えへん……けど、リーダーのウチが諦めてしまったら、勝てるもんも絶対に勝てへん! ウチだけでもしっかりせんと……!)

 自分に与えられた役割と責任を、この窮地の中で再認識し、それを果たすべく、手鞠は目を険しくして決意する。

 そして勢いを付けて立ち上がり、全員に向かって声を張った。

「よし! みん——」

「花澤さん」

「へ、へい!」

 が、背を向けたままの恋火に低い声を被せられ、慌てて萎縮したように閉口してしまう。

 彼女は振り向くなり、全員の元に歩み寄りながら、話を持ちかける。

「皆もだ、一つ頼みがある。後半の最初の一分——なるべく私を奴にぶつけさせてくれないだろうか?」

「え?」

「何するつもりなんや……?」

 恋火は決意を秘めた眼差しで、強かに答えた。


「奴を、倒す」


 打ちのめされて気落ちしているかと思っていたが、むしろ持ち前の勝負魂に火がついたのか、彼女は静かに闘気を燃え盛らせていた。

 自信と、覚悟と、勝利への絶対的な意志が揺らめくその立ち姿に、全員が圧倒され、息を呑む。

「……」

 手鞠は彼女の真剣な瞳の奥に見た確信めいた物を信じ、首肯とともに提案を承諾した。

「わかった、ほんなら任したわ。そしたらウチらは、ミラさん以外への警戒に専念するで。とにかく、ミラさんへのパスをできる限り防いでボールを回して、少しでも失点を抑えるようにするんや。こっちの点はウチがなんとかするから、みんなはパスとディフェンスに集中しいや、ええか?」

「はい!」

「ええ」

「うんっ」

「おし、したら行くで!」

 チーム内の意識を合わせたところで、彼女達はコート中央へと戻る。

「……?」

 その時——隣を先行く恋火の横顔を見た多美が、目を開いて立ち止まる。

「どないしたん?」

 手鞠が声を掛けると、彼女はかぶりを振るようにして、ぎこちなく答えた。

「え、いや……な、なんでもないよ。行こっ」

 はぐらかすように言って、多美は急ぎ足でコートへと向かった。

 だが、これまで目にした事がなかった“それ”は、彼女の頭の中に、鮮明に焼き付いていた。


(今、恋火様——笑ってた……?)


* * *


 後半が始まった。

 情勢は変わらず、他のメンバーのバックアップを全面に受けて存分に荒ぶるミラ一人によって、赤チームは劣勢を強いられていた。

 きちんと意識を合わせたおかけでそれぞれが役割を明確に自覚した事、また、手鞠が随時細かく味方に指示を出している事が功を奏し、前半のような大幅な失点はどうにか免れているが、それでもほぼ一方的な試合を強いられていた。

 そして、ミラとの対決を自ら買って出た恋火は、未だに一度もミラを止められずにいた——というよりも、幾度か1on1ワンオンワンの状況になっても、ただ前に立って、ジッとミラの動きを観察するように見ているだけで、止めようとする意志さえも見受けられずにいた。

 ミラも味方も、彼女のその不審な行動に首を傾げていた。

(この女、どういうつもりですの……? まさかわたくしとの勝負を諦めたとでも? いや、こいつに限ってそんな事はありえない。だとしたら、何か……)

 あと十秒程で一分が経過するというところで、ミラは疑いを深める。しかしすぐにそれを消し去り、ゲームに集中を戻す。

(まあいいですわ、何を企んでいたとしても関係無い。誰であろうと、何であろうと、このわたくしに勝つ事などできはしない!)

 勝気に笑い、ミラはまたも恋火と、その後ろに控えていた手鞠をも堂々とすり抜けて、颯爽と得点を決めた。

「くそ、ほんまバケモンやなあの人……っ」

 膝に左手を置き、逆の手の甲で額の汗を払い、肩で息をしながら、手鞠が悔しげに零す。

 その時、前にいた恋火が、閉ざしていた口を開き、背中越しに呼びかけた。

「花澤さん。次の攻撃だけ、君達四人で攻めてくれ」

「え?」

「頼む」

 軽く顔を傾け、再度端的に、強く願い出る。

 表情は窺えないが、その高い背中からは、有無を言わさぬ頼もしさと、何者をも打倒し、万事をも成さんと言う程の、牢乎ろうこたる自信が溢れ出ていた。

 この一分で、彼女は何かを掴んだ——直感で確信した手鞠は、されど厳しい忠言とともに了解の言葉を返す。

「……わかった。でももう時間があらへん、失敗は許されへんで」

「任せてくれ」

 皆目の不安を見せず即答し、恋火はボールを持ってエンドラインの外に立った。

(ほんま頼りになるな、この人は……!)

 その逞しい様に、手鞠は恋火に全幅の信頼を預ける事を決め、チームへ叫ぶ。

「みんな走れーーっ!」

 迫真の号令を受け、四人は一斉に敵陣へと走り出す。恋火はそれに合わせて、コートの外から銃弾のような高速パスを一直線に投げた。

「っ! 皆さん、もど……?」

 一瞬で中央まで突破してきた相手に、葵が焦って声を掛けようとするが、ある違和感に気付き、言葉を詰まらせる。自陣に切り込んできた四人に注意を払いつつ、その所在へと目を寄越す。

 動いていない——恋火はパスを出したそのすぐ先のゴール下で、微動だにせずに棒立ちしていたのだ。

(鷲峰さん……? いったいなにを……)

 この一人でも多く奮戦しなければならない状況で、自分だけは動かず、味方に任せ切るような戦術。

 なんとも彼女らしくない行動に、葵は敵ながら疑問と、判然としない不安を抱いた。

「フンッ」

「むあっ!」

 しかし、ミラはだからなんだと言わんばかりに一蹴し、手鞠からボールを奪い取って、猛烈なドリブルで敵のゴールへと単身駆けて行く。それを目にしてもまだ、恋火はその場からピクリとも動こうとしない。

 ミラは心の中で彼女に失望し、なおも容赦無く追い討ちを狙う。

(さっきからどういうつもりか知らないけど、途端につまらなくなったものね……アナタも所詮はその程度なの? ……まあいいでしょう。ならばそのまま、黙して散るがいいわ!)

 ドリブルを止め、瞬時にシュートモーションに入り、跳ぶ。長い月日を経て磨き上げられたと一目で分かる理想的な姿で、正確無比な一発をバスケットに投げ入れる。

 その、はずであった。

「——!!」


 一閃。


 まるで鞘から勢いよく抜き放たれた刀のような、大きく引き絞って放たれた弓矢のような、閃光の如き爆発的な速度で踏み出し、恋火は“ミラの足が床から離れる前に”ボールをカットしたのであった。

「なっ……!」

 あまりにも刹那的な出来事だったせいで、脳の認識が置いてけぼりとなり、ミラは跳躍が最高点に達した時点で初めて、自分の手からボールが消えている事に気が付いた。

「大差をつけて随分と得意になっているようだが」

 宙にいながら呆然とするミラの、その後ろで、奪ったボールを手にしながら、恋火が強圧的に低く告げる。


独壇場サーカスもここまでだ、猛獣」


「!」

 コートを貫いた覇気に、焔が立ち上っていると錯覚する程迸ほとばしる戦意に、全員がもはや本能的に身震いする。これまで我が物顔でゲームを支配してきた、ミラでさえも。

 突然の出来事に静止したように固まる周囲を置き去りにして、恋火は首を鳴らすなり攻撃を開始する。

 静から動へ、緩から急へ、ゼロからトップギアへ——ボールを突きつつ一呼吸の間に最高速へと達し、敵の元へと切り込んで行く。

「っ、待ちなさい!」

 一束にした金髪を翻し、ミラは先を行く恋火を全速力で追い掛ける。

 だが——近付いてはつき離され、直接ボールを奪いに行けばかわされ、まるで相手にもならない。“ボールを持たない”ミラさえも寄せ付けない電光石火の如きドリブルで、恋火は紺の残光を引きながらゴール目掛けて突撃していく。

「そんな……っ!」

 不可解なまでの現象に動揺を隠せないミラ。

その後も、恋火は待ち構えていた四人のディフェンスを、薄氷を割るが如く容易にかわし、僅かな危なげも無くボールをネットに潜らせた。

 恋火はコートの端から端までを自力だけで縦断し、そのまま得点を決めてみせたのであった。

「貴様こそ思い知るがいい。私を本気にさせた、その愚行を」

 敵味方問わず、この場にいる者全ての度肝を抜いた上で、前半に言われた台詞へ負けじと叩き返す。

「……っっ!」

 暫し面を喰らったものの、ミラはすぐに屈辱と憤怒に歯を軋ませる。

 こんなのはマグレだ、油断しなければあんなド素人、なんて事はない。気持ちを引き締め、ミラはボールをキープし、点を取り返しに赤チームの陣地に足を踏み入れる。


 その時——全身を捕らえるようなプレッシャーが、ミラ達を襲った。


(なに、この感覚……っ? まさか、この位置でもう……!?)

 勘付いた時には、既に手遅れであった。

「しま……っ!」

 先程と同じ、濃紺の閃光を残す抜刀術の如き豪速のスティールによってボールを取られ、続けて得点を許してしまった。

 恋火の守備範囲は、もはや常人にこなせる域を完全に脱しており、ミラでさえそのあまりの広さに出し抜かれてしまったのであった。

「…………!!」

 一度ならず、重ね重ねの不敬。ゲームの支配者たる女王わたくしへの、許されざる侮辱。

 不可侵であったはずの高みに平気で土足を踏み入れられた事、もう幾度目かになる屈辱をまたしても味わわされた事、ミラはその全てに激しく憤る。

 それを嘲笑うように、突如として覚醒した恋火は、黄チームから次々と点を奪い去り、瞬く間に差を詰めて行く。まるで、これまでミラが赤チームに対して行ってきた無双、それをそのまま返礼しているかのように。

「いい加減になさいっ、下民が……!」

 看過しかねる暴挙を止めるべく、ミラは絶対の意志をもって、恋火の前に立ち塞がった。彼女の反抗を真っ向から叩き伏せるため、これまでにない程のプレッシャーを放って身構える。

 しかし、恋火は全く臆する事なく、なおも単身で猛々しく進軍を続ける。向かって右への俊敏なドライブで、サイドから抜きにかかる。当然、ミラも即座に対応し、それを防ぎにかかる。

 そこでミラは、またも度肝を抜かれる事となる。

 攻めの姿勢で、ボールを奪いに行こうと手を伸ばした瞬間——流麗極まる回転でそれを避けられ、あっさりと呼べる程簡単に脇を抜かれてしまったのであった。

(! 今の技は、ミラさんの……っ、もしかして……!)

 逆サイドでその様を目撃していた葵は、恋火の突然の進化の理由わけに気付く。

 後半が始まってからの約一分、恋火は幾度となくミラに出し抜かれていたが、それはただ手をこまねいていたからというわけではなかった。


 バスケットにおいて最上級の能力を持つミラの動きをより近くで、より深く観察し、それを余さず自分が吸収するために、彼女はあえて一切の手を出さず、眼を凝らす事に全神経を注いでいたのだ。


 更に葵は、もう一つ浮かび上がった推測にただただ驚き、震撼する。

(しかもあれは……たぶんただのコピーじゃない。ミラさんが持つバスケットの骨格と技術を取り込んで、それを自分に馴染む形に作り変えてる……ありえない話だけど、鷲峰さん程の人なら、それさえもできてしまうのかもしれない……)

 ただけで相手の動きを模倣するだけでなく、それを自己流にカスタムし、完璧に我が物とする、鷲峰流によって培われた信じ難い技量、能力。そして、経験の差さえ覆す、万事に通ずる天性の才能。

 恋火は、一分という極短い時間に——素人同然であった自らの力を一流の熟練者のそれへと、真っ当に、そして非常識なまでの速さで進化させてのけたのである。


 未曾有の窮地が、逆に“紺鷲”の力を目醒めさせる事となってしまったのだ。


(鷲峰さん、やっぱり凄い、凄すぎる……素敵……! って、今は敵同士なのに感心してどうするの私ぃ……)

 師事する人間の驚異的な力の真髄に魅了されるも、葵の想いはまたも現在の立場との間で揺れ動くのであった。

「葵っ、何をしていますの! ボサッとする暇があるなら、少しでもわたくしにボールを回す努力をしなさいっ! アナタ達もよっ!!」

「は、はぃぃっ。すみませんっ……っ」

「ご、ごめん……なさい……」

 コートで悶々として立ち尽くす彼女に、ミラが怒鳴るように喝を入れる。更にその激昂は、他のメンバーにも飛び火した。

 ミラの怒りと悔しさは、今にも破裂しそうな程に膨れ上がっていた。

(なによっ……ふざけるんじゃないわよ……! お父様にも褒めていただいた技の数々を、庶民如きにそう簡単にマネされてたまるものですかっ。このわたくしが、ただの素人の見よう見まねなんかに、負けてたまるものですか……っ!)

 輝かしかった過去と、そこから来るプライドと、自身の負けず嫌いな性格とが、彼女の芯にある闘争への燃料を燃焼させる。

 誇り高き金獅子は、鮮烈に猛る焔により、その真の底を解放した。

「Don’t get so cocky(調子に乗るなぁぁあ)!!」

「!」

 烈風の如くコートを吹き荒れる恋火が手にするボールを、それを上回るミラの獰猛さが場外に弾き飛ばす。さしもの恋火も、これには少しばかり目を開けて、感情の変化を見せた。

 獣が敵に牙を剥き、唸るように、ミラは強い語気と眼差しで正面切って宣言する。

「アンタには、絶対負けない……!」

 すると、恋火は微笑を見せながら、毅然として応じた。

「ふっ……そうでなくては」


 後半、残り二分。

 二人の真剣勝負は、ここから更なる超常のステージへと突入する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る