第153話 俺、今、女子サラリーマン観察中

 というわけで、アラサー女子稲田先生に入れ替わった、俺——向ヶ丘勇が、夕方遅く、日もすっかりくれた頃についたのは新橋。サラリーマンの天国として世に知られる場所であった。

 まあ、天国というか……、ともかく、やたらとサラリーマンの多い場所だ。で、それに街が適応して、サラリーマン向けの飲み屋なんかが軒を連ねている場所らしい。だから、天国と呼ばれるのかな? とか考えながら、俺は、駅から出ると、テレビのニュースの街頭インタビューがよく行われている、SLのある広場に立ち、周りのちょっと雑然とした昭和テイストの町並みをぐるりと眺める。

 すると感じる違和感?

 なんと言うか……。

 親父ばかりだ。

 女の人がいない。若い人もいない。

 ……。

 いや、ちょうど、見た瞬間がそうだっただけで、この街には女性も若者も皆無ということはないのだろうけど、少なくとも俺が見た今この瞬間の駅前の広場はひとり残らず全員親父。

 なんかくらっと来た。

 もしかして、また異世界に紛れ込んでしまったのかと思ったよ。

 この間は欧州中世風異世界であったが、——これは親父だけしか住んでいない親父世界?

 それって、なんか嫌なような……。もしかしたら意外と居心地が良いかもしれないような……。とかとか。目の前の夕暮れ深い雑踏を眺めながら、考えるうちに——。

 俺は、自分の心に浮かんだ相反する二つの思いのうち、後者の方に自分の気持ちの天秤が大きく傾くのを感じる。

 だって、目の前の駅前の様子、若いリア充って感じの人皆無だよ。

 それって、そうじゃない人にとって——幸せな場所なんじゃないか?

 そんな風に思うのだった。

 この数ヶ月の、リア充女子の体と入れ替わってしまったまま戻れない自らの境遇を思いおこし——。ああ、目をつぶれば脳裏に次々に浮かんでくる、春に俺が喜多見美亜あいつに入れ替わってからの辛い日々。

 なんの因果でこんな羽目になってしまったのか知らないが、リアルのクラスカースト上位の維持のため、いつもかっこつけて、気を使って……。そんな、可愛いやら素敵だなんてしょっちゅう言い続けるられるかよ! って感じのストレスフルな毎日であったのだが、ここが親父の世界なら、そんな心配は皆無だよ。

 太ってても、髪型イケてなくても(そもそも髪の毛無くても)気にしない。

 外見を飾らなくても——かっこつけなくても気にしない。

 高校のクラスでこの格好で歩いてたら一発で序列転落まっしぐらって見た目の、——つまり、俺的にはいい感じのおじさんたちが群れをなして赤ら顔で歩くのを見ながら思う。

 ……俺も、歳をとったら、こんな風に枯れた感じで、格好良さなんて微塵もないけど、楽しく飲み屋街を闊歩したりするのだろうかと。

 それなら——早くそうなってしまうのも悪くないかななんて……。

 ——いやいや。

 もちろん親父は親父の辛いことあるんだろう。

 というか、世の中の辛さは大人になってからの方が大変だろうとは、今、アラサー女子教師——稲田先生に入れ替わってしまっている俺は身にしみて分かっている。

 高校でクラスカーストがどうしたこうした言ってるような状態なんて、出世や給料の上下やらの、学生時代みたいな練習じゃない人生の本番おいてはもっとプレッシャーがきついのだろうなって思う。

 働き方改革とか言われる昨今の社会の中でも、いまだ過労で倒れたり、心労で心をやんだり自殺してしまったり、サラリーマンの辛い話はいくらでも聞こえてくる。

 やはり、一般には、この目の前のお気楽そうに見える親父たちの方が、高校生たちよりも困難な人生ミッションを遂行しているのかもしれないなって思う

 ——でもなあ、向き不向きってあるでしょ。

 少なくとも——イケてないオタク男子高校生の俺にリア充女子は無理だよな。

 いずれ、みっともない中年親父となるだろう向ヶ丘勇が俺なのであるとしても、俺は、その自分の体に戻りたい。

 はあ……。

 なんか、親父の群れを見てそんなふうに思ってしまう俺。あらためて、そういう意味の向上心じゃゼロだなって思うのだけれども……。

 俺は俺。

 孤高の聖なるボッチ高校生にして、将来のみっともない親父。

 でも、自分は自分としてしか生きられない。

 俺って、もしかして、結婚せずに、子供もおらず、独居老人として孤独に心で行くかもしれないが、そんな俺でも、俺は俺の人生を生きていきたい。

 とかとか——。

 新橋の駅に降り立ったとたん、やたらとこの街を歩く人々にシンパシーを感じて、自分の将来をいろいろ考える俺なのであったが、


「あ、初見、ついてたの、待たせちゃた?」


 ちょうどそんな時に、俺が、今、入れ替わってしまっている稲田初美先生に声をかけて来たのは、桜さん——今日の待ち人の到着であった。


  *


「ううん。いま着いたばかり」


 という、いくら本当のことでも、発するとなんか嘘に聞こえる不思議な言葉を桜さんにかえしながら、駅前から俺たちは歩き出す。

 新橋。日本の政治の中心地霞が関にもほど近く、その周りには、大小硬軟様々な企業が居をかまえる。が、逆に言えば本当にそればっかりの場所だ。ほんと、ここ、ビルばっかり、サラリーマンばっかりなのである。

 そしてサラリーマンは年配男性が多いと言う、日本の男女平等や高齢化の問題が反映されたその人口構成からして——やっぱ親父ばっかの場所。

 一駅離れた有楽町ならば、銀座も近く、いろんなデパートなんかの商業施設もあり、劇場、映画館、歌劇場——女子受けする施設もいっぱいあるのだが、逆に隣駅がそうならば新橋はそうなる必要はなかったのか、とにかく飲み屋食べ物屋ピンクの看板ばっかの駅前である。

 で、それならば、イケてない男子ではあってもまだ親父ではない、女子に入れ替わる前の男子高校生たる俺——向ヶ丘勇的にも、新橋に用事などあったこともなく、正直、この駅に降りたことなど今まであっただろうか? と言う場所であった。

 秋葉原に行く時には、途中の経路によっては通過することもないではなかったが……。

 あ、小学校の時遠足でお台場行くときにゆりかもめの乗り換えで降りたような気がするな。降りたと言っても、乗り換えの間のちょっとした距離だけだけど。 

「初美、新橋いつぶり?」

 と、俺の考えをよんでいたかのような桜さんの言葉。

「ううん……」

 さすがに小学校ぶりとは言えないよな。中の人的な話での。

「……そうだよね。わざわざ新橋くる用事ってないよね。女子的に……」

 曖昧に頷く俺。いや本当に、稲田先生が用事ないか俺知らんもんね。

 実は馴染みの親父飲み屋あって、結構通ってるとか?

 ……ないな。

 そんな行動力あるなら、先生はいまだアラサー独身で苦しんでないだろ。

「……とか思ってる? もしかして、まだ?」

 へ? 心読まれた? 

 先生が行動力なくて独身で悩んでると俺が思ってるの知られた。

「……でも、この頃は違うみたいなのよね」

 ん? 違う? それは良かったが、何が?

「まあ、新橋と言ってもこっち側の昔からの街の方じゃなくて……」

 あ、やっぱり新橋の話か。そりゃそうだよな。

 でも、こっち側じゃないとすると……。

「反対側には今は女子がいっぱいいるわよ。コリドー街……ああ、そうか今日はそっち側いってみようか」

 と、俺は、桜さんの思いつきにより、いまや日本一のナンパスポットととも言われていると後で知る、男の女の交差点——コリドー街に向かうことになるのであった。

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