第149話 俺、今、女子議論中

 駅で武蔵さんを見送ったあと、今日集まってもらった審問会の女子たちは解散。夜も遅くなる前に家に戻る。

 そんな帰り道の途中のことだった。

 代々木と赤坂の斉藤フラメンコのお姉さん二人以外はみんな地元だとはいえ、女子の夜遅くの一人歩きは危ないからと、帰る方向でふた手に別れる。生田緑、和泉珠琴、下北沢花奈、片瀬セリナは駅から東へ、残りの俺、あいつ、稲田先生は西側へそれぞれ歩き出す。

 で、この中では一人女子高生の体に入っている稲田先生をまずは送ろうと、喜多見家まで行く途中、買い物したいと言った稲田先生がコンビニに入っている間に、喜多見美亜あいつは言うのであった。


「どうしてあんなこと言ったのよ……」


 それは、俺を糾弾するような口調だった。

 俺は、コンビニの灯から顔をそむけ、暗闇に向かい、表情をなるべく見せない様にしながら言う。

「それは……」

「え? 何?」

 しかし、その応えた言葉は、通り過ぎたトラックの音にかき消されて聞こえない。

「いや……」

 そして、一度呟いてしまったその言葉を、俺は、二度と言うことができない。

 言おうとすると、喉につかえ、それ以上口が動かない。

「おかしくない?」

「…………」

 俺は顔を伏せて無言となる。

「わかってたんでしょ?」

 俺は、動かしたかわからないくらい微妙に首肯をする。

「わかってたなら……、なんで……?」

「…………」

 無言。

 そして、あいつも無言となり、沈黙が二人の間を支配する。

 ——ああ、わかってるよ。

 俺はそれ・・を知っていて、あえて武蔵さんを迷わせるような答えをした。

 喜多見美亜あいつが思っていることと同じことを、俺も思っていた。

 武蔵さんは、本当は、相談をしたかったんじゃない。

 奥さんに出て行かれて、この後、武蔵さんは、自分がどうすればよいのか迷っていたんじゃない。

 ……って言うことだ。

 相談したいとは言っていたが、その「相談」の真の意味は、答えを教えて欲しいと言うことでなく——武蔵さんの答えは決まっていて、それ・・を誰かに、後押しして欲しかっただけなのだった。

 つまり、武蔵さんは、奥さんとよりを戻したいと思っていて、そのためには——そのための勇気をもらうには——稲田先生がうってつけだったと言うことだった。

 間違いなく、武蔵さんが、かつて本気で好きだった稲田先生。その人に、奥さんとやり直せと言って欲しかったに違いないのだっった。

 勇気を欲しかったのだった。武蔵さんが、こじれてしまった奥さんとの関係を修復するよりも安易な他の可能性に逃げようとしてしまう臆病に引かれる心の糸を、稲田先生に断ち切って欲しかったのだった。

 もしかして……。

 と、武蔵さんは思うのではないか?

 自分の結婚相手が稲田先生——稲田初美であったらと。

 大学時代にとても仲がよく、実際、ただの友達以上の感情を持っていた女性であったらと。

 今の我慢とストレスに満ちた結婚生活。それが、優しくおっとりとした別の人物とのものであったなら、人生はどう変わっていたのかと思うのではないか?

 もっと穏やかに、ゆっくりと生きれたのではないか?

 毎日を、もっと幸せに生きれたのではないか?

 実際のところ、話を聞くだに、今の武蔵さんの奥さんは理想的な結婚相手とも思えない。

 常に怒られ、非難され、罵倒される。

 もちろん結婚した当人達でないとその会話のやりとりに含まれるだろう微妙なニュアンスなんてわからないかもしれない。

 『女房に尻に敷かれていて』なんて自笑気味にいいながらも、それゆえの円満をアピールしているおじさんとか良くいるよね。

 でも、武蔵さんの場合は、奥さんの行動は、そんなレベルを超えて明らかにストレスとなっていたと思われる。その果てに、奥さんの言葉をずっと我慢していた武蔵さんが、ちょっと正論を反論したくらいで、一方的に怒って家を出てしまっているという今の状況。

 このまま離婚してしまっても武蔵さんに非はないように思える。

 武蔵さんが愛想つかしても当然のように俺には思えるのだった。。

 しかし、もし、武蔵さんが今の状況に戸惑っているとしても、やっぱり、まだ奥さんのことを好きなのならば?

 それなら……。


   *


「正直、武蔵さんは未練タラタラなんだと思う……」

 俺は長い沈黙を破って話しだす。

「でしょ! 出て行った奥さんのこと結局好きでたまらないのよ」

「きっと、そうだと思う」

「じゃあ、なぜあんなこと言ったの! あんた——稲田先生に入れ替わってる向ヶ丘勇って、そんな空気読めない男じゃないよね!」

 そうだ。俺はボッチで孤高の男であったが、決して空気が読めないタイプでは無い。

 孤高であるため、余計な些事に関わらない様にするため、クラスの連中の空気を、分子レベルで、ラプラスの悪魔よろしくの精密さで選り分けて自分の平安を守っていた男。それが俺——向ヶ丘勇であった。

 しかし、

「なぜなのよ? あんたが、早く稲田先生の体から抜けたがっているのはわかるけど、だからと言って武蔵さんと先生くっつけてしまおうなんて安易な答えを選んだなんて信じたく無いんだけど?」

 俺は、今は聖なるボッチ高校生向ヶ丘勇ではない。

 今、俺は、アラサーの独身教師稲田初美であって、そしてその稲田初美とは、


「……そこから私が答えようかしら?」


「え?」


 話に夢中になっていた俺たち後ろに、いつの間にか立っていた稲田先生——喜多見美亜の顔は少し悲しそうでありながらも決意に満ちた表情であり、


「私はやっぱり武蔵くんのことが好き……ならば、この機を逃すわけにはいかないのよ」


 と語る様子を見ながら俺は思うのであった。

 体が拒否したのだと。

 いつも行儀よく、良い子であり、何事も、ましてや恋愛においてずっと人に奪われっぱなしだった稲田先生。

 そんな先生が、今回は、そう・・はいかないと思っているのだった。

 俺は、体の奥からわいてくる、黒いもやもやとした何物かに乞われるがままに、あんなことを言ってしまったのだった。


「良くやってくれたわ向ヶ丘くん。このまま、もうひと押しして——決めちゃおうか!」


 俺は、正直心は納得できないままに、稲田先生の体がその言葉に同意するのを感じる。

 なにか、もやっとしながらも、胸が締め付けられる様に苦しく……これがもしかして、恋する乙女——の気持ち?




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