スカースデール・テニスクラブ

@Nash_Keiss

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 スカースデール・テニスクラブの名前を世に知らしめる端緒となったのは、二〇一六年一〇月二七日に起きたズムウォルト級撃沈事件であった。これに続く一連のテロ事件と国際的な危機は、国際政治学者リー・エンによると、個々の事件が9.11に匹敵する影響力を有しており、全体としては第三次世界大戦に匹敵するものだった。

 ズムウォルト級ミサイル駆逐艦は、二〇一六年において最新鋭ステルス艦であり、同年五月に一番艦と二番艦が引き渡されたばかりだった。ピラミッド型の船体は反射したレーダー波を上空に跳ね上げることで高度なステルス性を発揮するものであり、開口部は最低限に制限され、のっぺりと平たい壁面には高価で地味なステルス塗料が塗られていた。ガスタービンエンジンの発電力を利用した電気推進を採用し、いずれはこの電力をレールガン搭載のために使用するとまで喧伝された。ノースプロップ・グラマン社は議会および米会計検査員に対し、他国に大きく差を付ける圧倒的な先進性とSF心を満足させる機能を誇張を交えつつプレゼンしたが、所得税を減税する財源を確保せねばならなかったために予算は減らされ続け、その上サブプライムローンを見誤ったウォール街がパニックを起こしたツケの支払いにより、三二隻だった建造数は最終的に三隻まで減らされていた。撃沈されたのはそのうちの一隻だった。

 事件が起こったのは民間への初お披露目であるネイビー・デイ・セレモニーの最中で、晴れやかな青空のもと一万人の人間がサンフランシスコ湾に集まり、フランクフルトとコーラを手に海風を感じていた。ブルーエンジェルスによる曲芸飛行が披露され、音楽隊が管楽器を使って愛国心を煽っていた。最先端の二層構造戦闘指揮所が披露され、その演出された未来は、ハリウッドがお手本とすべき未来のテクノロジーというより、ハリウッドが作り上げた想像上の未来観が、現実のテクノロジーへ投影された姿だった。

 金モールで着飾った海軍少将は大きな身体で壇上に立ち、集まった関係者や艦艇マニアとその家族、および特にメディアに向かって、ズムウォルト級の先進システムが世界秩序を新しい段階へと導くことを強調した。彼の演説は凡庸な内容だったが、真実の一部を突いていた。合衆国の軍事力は一時期ほどではないにしろ未だ間違いなく世界一の座を維持していて、たったの三隻しか建造されないにしろ、新造ミサイル駆逐艦の前衛的な外見はその地位を21世紀中盤に向けてまだまだ維持できると予感させるに十分な威容を持っていた。ズムウォルトはサイエンス・フィクションの先進性によって、偉大なる旧世紀へのノスタルジーを逆説的に身に宿すことに成功していたのだ。――少なくとも、海に浮いている間は。

 CNN.comのトップを飾った記事によると、事件は以下のように推移した。十月二十七日一三時四一分、太平洋艦隊副司令官ロバート・ゲイリー少将の演説中、背後で観覧に供されていたズムウォルト級一番艦ズムウォルトが、非常に大きくくぐもった爆発音を一回、続いて少し小さいが乾いた音を一回発し、煙を吹き出しはじめた。セキュリティに異常は感知されず、掃いて捨てるほどうようよしていたはずの軍人たちもなんら事前に察知することはできなかった。演説は中止され、観衆がどよめく中消火活動が行われた。まだ不慣れな乗員たちは二層式戦闘指揮所に飛び込み、ダメージコントロールを必死に行った(彼らの主な仕事は自動装置に代行されており、残されていたのは液晶ディスプレイに表示された推移に目を凝らす事だけだったのだが)。しかし努力の甲斐なく、ズムウォルトは少しずつ傾きを増しながら沈み続け、一六時一二分、サンフランシスコ湾に着底した。七名の乗員が死者となり、空撮したズムウォルトを背景に、顔写真とフルネーム付きで追悼の意が表された。

 ミズーリにも乗艦したことがあるという退役将校の詳細なコメントがついており、それによると、最初の爆発は機関であり、艦橋構造物に内蔵された煙路から爆風が勢いよく吹き出していたためにそれがわかった。録画がゆっくりと再生され、爆発の構成物たる音と煙が0.1秒ごとにどのように発生していったのか分かりやすいよう講評に付された。よくよく解析すると、最初の爆発は三重の音が重なり合って一つに聞こえており、これは左右の主機関と補助機関それぞれ同時に爆弾が仕掛けられたためだとされた。次の爆発は舷側を吹き飛ばしたため、ミサイル発射ユニットと予想された。音からして、どちらも魚雷など外部からの攻撃ではなく、内部からの爆発であった。消火装置は作動したし、二時間半の間浮いていられたのは良く設計された二重構造の船体と乗員たちの必死の努力の賜物だが、立て直すには底部に空いた穴が大きすぎた。一つ目の爆発が内側の隔壁を、二つ目が外側の隔壁を吹き飛ばしたことで、穴は海と船内をぽっかりと繋げてしまっていた。

 ホワイトハウスの発表は、これを設計上の欠陥と偶然によって起きた事故であるとして、ノースプロップ・グラマン社の株価を生贄に事件を乗り切ろうとした。しかし複数のテロリストグループから犯行声明が出されていた。多くはイスラム系のよく知られたテロ組織だったが、その中にスカースデール・テニス・クラブの名が含まれていた。YouTubeには観覧者からの動画が投稿され、メディアはこの動画を元にいくつも討論番組を組み、SNSでも多くの問答がなされ、彼らはこれを明らかにテロであると考えた。

 その動画はまず、ズムウォルトを背景に設えられた演壇の俯瞰から始まる。動画はASUS ZenFoneのカメラ機能で撮影されており、手ぶれは補正しきれていなかったものの、映像は鮮明だった。一回目の爆発は、ロバート・ゲイリー少将が自らの凡庸な演説をせめて愛国的高揚で締めるために発した「United States of……」という結語を遮る形で起こった。少将を含む全ての立会人が動揺し、ズムウォルトを見上げた。撮影者もまた動揺し映像は激しく揺れたが、衝撃的瞬間を撮影するという使命を天啓として得たのか、すぐに端末を持ち直した。二回目の爆発は四秒後で、もはやASUS ZenFoneを高く構える撮影者の手に迷いはなかった。

 一分のあいだ映像に動きはなく、混乱する市民や呆然と見上げる関係者、怒号を飛ばす将校を映していたが、ズムウォルトの甲板に一人の男が現れると、そこへズームアップした。このズームアップこそ彼の映像がCNN.comで紹介された理由であり、その他の投稿された映像から差別化され閲覧数を天文学的数字に押しあげた理由だった。彼のASUS ZenFoneは光学三倍ズーム機能を持っており、拡大された映像は解像度を保つことができた。

 男は艦橋構造物基部にある、ヘリ格納庫の脇から姿を現した。顔も身体もマントですっぽりと覆われており、この時点では何者か判別しがたかったが、アメリカ海軍の水兵はマントなど纏わないし、傾いた甲板をふらふらと歩く様は太平洋に鍛えられた海の男とは言いがたく、招かれざる者であることは明らかだった。マントはフランシスコ会の修道士を思わせるフード付きのもので、使い古されてはおらず新品の白さを保っており、眩しい太陽光に照らされてところどころ白飛びしていた。彼はおっかなびっくり、両手でダウジングするように進み、どうにかヘリポートを縦断して艦尾までたどり着いた。時代錯誤かつ季節柄も場所柄も錯誤しているその服装は、明らかな怪しさを演出していた。直角に切り立った船尾へ到着すると、どうにか直立して格好をつけ、振り返ってフードを返し、細りながら昇ってゆく煙を見上げた。表情は爽やかであり、少しだけ汗をかいていた。男は自分のこなした仕事に満足しており、充実した疲労感に包まれていて、不安はまったく感じていなかった。そして背中から倒れるようにして海へ飛び込み、姿を消した。

 煙を見上げる男の横顔および全身は映像から切り出され、慎重にシャープネスをかけた画像となって各所で使用された。男は赤毛と青い目を持った白人であり、控えめに言ってもハンサムな青年であった。年齢は二十代後半と予想された。フードを返すとき両手を使ったため、写真のコントラストを少し調整するだけで中の服装が判別できた。マントの下はグレーのタートルネックで、わずかに色落ち加工されたジーンズを履き、靴はクラシックなニューバランスを合わせていた。この服装を深読みし、彼はスティーブ・ジョブズのファンに違いないとの意見が提出されたが、このコーディネートはノームコアの中でも最もノーマルな組み合わせだったし、ジョブズのファンであることも今日の米国では全くノーマルなことだったので、捜査の役には立たなかった。それよりも、彼が手に持った木の棒に注目が集まった。

 それは細かく模様のついた細い木切れであり、持ち手には立体的な蔓の飾りが巻きつき、長さは1フィートほど、ダークブラウンで艶があった。それは「魔法の杖」であるとされた。米軍の誇るセキュリティを破り新造艦を爆破した手腕が魔法のようであったことも理由であるが、それ以上に、彼はスカースデール・テニスクラブのホームページ上において、「ジェームズ・ポッター」と名乗っていたからである。

 これに関して意見を求められたJ.K.ローリングはイギリスから遠隔インタビューに応じ、「作品に対するたいへんな冒涜」であり「早急な逮捕と然るべき処罰を切に望む」とした。いずれにせよ、杖については事件当日からフォーラムが立ち、夜を徹して議論が行われた結果、「柊、長さ32cm、芯はユニコーンの尾、しなやかで鋭い」という結論が出された。


 スカースデール・テニスクラブはその名の通り、ニューヨーク郊外で富裕層を相手にレッスンを行うテニスクラブだ。1928年に設立され、質の高いコーチとよく手入れされた天然芝、近年では開かれたコミュニティを売りに存続してきた。中心顧客はもちろん中高年だったが、ほかの歴史あるテニスクラブと比して若年層の獲得にも積極的だった。全体的によくあるテニスクラブであり、誰もテロ組織との関係性を読みとることはできなかったし、外から見る限り、あらゆる暴力から最も無縁な団体と言ってよかった。

 クラブは事件一分前、フェイスブック上で犯行声明を行っていた。特に政治的主張は併記されておらず、ズムウォルト級を破壊するという簡素なポストだった。クラブはホームページも持っており、いつもならば三六面のテニスコートとコーチ陣の笑顔が表示されているトップページに、「ジェームズ・ポッター」なる人物がフードをかぶり杖をかざしている写真が張られていた。そのうえで、「あらゆる兵器が攻撃対象」であることが付記されていた。

 FBIと軍関係者が先を争うようにクラブへ踏み込んだが、特別なものは発見されず、クラブの経営者は事態に困惑していた。ホームページは何者かにクラックされ、トップページだけが変更されてしまい、こちらから更新することが不可能になっているとの事だった。明らかになったのは、ジェームズ・ポッターなる人物が確かにメンバーとして所属しており、コーチ数人およびメンバーの半数と共に姿を消していること、彼の申告していた住所・電話番号は偽造であることだけであった。経営者はクラブを一時休業したが、ホームページアドレスとフェイスブックアカウントはジェームズ・ポッターによって継続して使用され、続く連続したテロ事件の犯行声明を発し続けた。

 捜査は行方不明となっているクラブ会員へと対象を広げた。彼らには共通のテニス・クラブに所属している以上の共通点があった。その多くが、フェンウェイ・ヒルズというゲーテッド・コミュニティに住居を構えていたのだ。


 フェンウェイ・ヒルズは1983年に大手不動産会社によって作られた富裕層向け集合住宅地である。ニューヨーク周辺に作られた同種のコミュニティの中でも特に高価なプライスタグがつけられ、マンハッタンから20分の利便性と豊かな自然、完全な安全性を兼ね備えているとされた。ちょうど働き盛りであったベビーブーム世代の成功者たちは不動産に対して購買意欲旺盛であり、フェンウェイ・ヒルズは発売から一ヶ月足らずで売り切れた。

 このゲーテッド・コミュニティは造成後10年のあいだ繁栄を保っていたが、90年代の初めごろから陰りを見せた。具体的にはルドルフ・ジュリアーニがニューヨーク市長に当選し、悪名を誇っていたブロンクスの治安にメスを入れた頃からである。各国マフィアが徹底的に摘発され、組織だった犯罪がニューヨーク市から撲滅された。しかし犯罪組織は消滅しなかった。彼らは今までの根城を捨て、ニューヨーク市外へ、つまりウェストチェスターへ移り住んだのである。辺り一帯をマフィア残党に囲まれ、フェンウェイ・ヒルズはその売り文句であるセキュリティ機能を存分に発揮する羽目に陥った。そしてこれこそが、ジェームズ・ポッターが産まれる原因となった。

 とにかく、「ジェームズ・ポッター」=「スカースデール・テニスクラブ」=「フェンウェイ・ヒルズ」というラインが繋がり、捜査は一気に解決へ向けて進むかに見えた。

 FBIがフェンウェイ・ヒルズに乗りこんだ頃、次のテロが発生した。今度は二件同時、それも中国とロシアであった。

 2016年11月3日、グリニッジ標準時にて午前8時21分および23分、つまりほぼ同時である。目標となったのはヤーセン型原子力潜水艦セヴェロドヴィンスク、航空母艦遼寧。いずれも港内で停泊中に撃沈された。

 手口はズムウォルト級撃沈事件と同じと推察された。もっとも、中国・ロシア両政府は米国以上に事件を秘匿したがったため、詳しい捜査結果は明かされなかったし、遼寧に至っては一般市民が遠巻きに撮影した港湾から立ち上る煙の写真すらネットから削除された。テロの対象があまりにセンシティブであったため、捜査協力が行われることはなかった。事件は各国の安全保障に深く関わりすぎていた。互いの情報機関による激しい探り合いの結果、いずれの事件でも「ジェームズ・ポッター」の姿が確認されたことが明らかになった。つまりこの魔法使いは4500マイルの距離を2分で移動したことになり、まさしく魔法使いであるか、もしくは演出好きな二人以上のジェームズ・ポッターが世界の大国相手にマジックショーを披露しているかだった。

 なぜアメリカ・中国・ロシアという対立する各国の艦艇を次々と撃沈したのか、その意図は議論の的であった。アメリカだけが標的というならば分からない話ではなかった。世界の警察たるアメリカは恨みを買う理由なら売るほどあったし、経験も豊富だった。国内(それも白人)からテロリストが現れたというのはショッキングといえばショッキングなことだが、多様性の坩堝たるアメリカには頭のおかしい連中が溢れており、それなら慣れ親しんだカルト教団と同種のものであるとして、嫌悪と共に理解不能と宣言すればよかった。しかしジェームズ・ポッターの理解不能さは、嫌悪というよりも何がしたいのか把握しかねるが故の理解不能であった。

 高名なセラピストが呼ばれ、ポッターは愉快犯であると断じた。彼は世間に注目されたいのであり、印象的な痕跡を残すシリアルキラーや、ヌーディスト・ビーチで全裸でいる写真をSNSにアップロードする若者と大差なく、ただ単に身の丈以上の玩具を――魔法であるにしろ、テクノロジーであるにしろ――手にしているだけなのだ。根拠として全ての現場に姿を現していることや、凝った衣装をあげ、明らかに愉快犯の特徴があるとした。それだけでなく、セラピストは彼の内面がティーンにすら達しておらず、自分を子供向けファンタジーのキャラクターと同一視してしまうほどに幼いのだと言った。さらに若者の幼稚化、国全体の精神年齢の低下について自説を披露しかけたが、司会者に時間を区切られたため完遂しなかった。

 テロリズムの専門家は、彼がテロ行為の請負人である可能性を示した。その専門家は、テロリズムも経済のグローバル化という波に流されており、軍がPMCに戦闘行為を外注するのと同じように、テロ行為をアウトソーシングしているとの論文を発表していた。論文では、アラブ世界の中で特にテロ行為の経験を積んだ組織が他のテロ集団に人材を派遣した例が示されていた。ジェームズ・ポッターはこれを拡大したバージョンであり、自らの名前を汚したくないが政府に不安を与えたい組織や、自分の手には負えない軍事の領域へ攻撃を仕掛けたい組織によって雇われており、アメリカ、中国、ソ連それぞれの事件で別々の顧客に奉仕しているだろうと考えていた。

 極端な立場をとる平和論者は、ジェームズ・ポッターは平和の体現者であるとした。彼らは戦争の道具さえなくなれば戦争がゼロになると常々主張しており、彼は世界の戦争をなくすために戦っているのだと考えた。人死にが出ている点に関しては口をまごつかせ、必要な犠牲だと言った。しかし死者数が必要最小限に抑えられている様子は全くなかった。セヴェロドヴィンスクは半舷休息中に撃沈されたが、中に残っていた全員が死亡していた。

 上記の三意見は有象無象にある主張のほんの一部であり、ブログやSNSを含めれば無数といっていいバリエーションが存在した。フェイスブック社がアカウントを凍結しなかったため、いずれの意見も本人に向けて発信された。ポッターはことごとくを無視した。

 とにかく、米国政府は「全ての可能性を考慮して」全力で捜査にあたる、と発表した。CIAはありとあらゆるテロ組織を追い、海軍は自慢の空母艦隊を編成して次のテロを待ち受け、陸空海兵隊はOBとPMC関係者を洗い出し、FBIは宗教セクト、マフィア、強盗団、ありとあらゆる犯罪組織、そしてフェンウェイ・ヒルズに乗りこんだ。


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