師匠どもに告ぐ いいかげん自重してください 著:神秋昌史

角川スニーカー文庫

序章 師の背を追いて 0-1

 のどかな草原に腰を下ろしたまま、ルーイは防壁の向こう側を想った。

 目の前を横切る、頑健な壁。

 茶色い岩石を積み重ね、高さは十四、五メートルもあるだろうか。横幅は知れない。大きなカーブを描いて、遠くルーイの視界から消えている。

 この大陸ではよく見られる、円形都市防壁である。

 中でもこれほどの威容。辺境の小国に似つかわしくない、なかなかに立派な代物だ。


「ちっこい国なのに、がんばってるなぁ……。だから目ぇつけられた、ってわけじゃ、さすがにないと思うけど」


 うららかな陽光に照らされて、のんきに呟くルーイの耳に、爆発音が届いた。

 大きく、小さく、何度もこだまする。次第に近づいてきているような。

 ルーイの座す草原の地面まで揺るがすその轟音は、そびえ立つ防壁の向こう側――外界との接触を隔てられている、街の中から響いてきていた。


 爆発だけではない。悲鳴。怒号。

 そして気のせいか、甲高い笑い声まで。


「そろそろか……」


 ルーイは立ち上がり、尻についたやわらかな土を払った。

 こぶしを作った両手を胸の前でクロスし、手首を軽く打ち合わせる。

 世界への祈り。

 一般的なしきたりでは、重ねた手首の前後を入れかえてもう一度、都合二度打ち合わせて完全な一動作とする。しかし、ルーイは一度だけで祈りを解いた。


 として自ら決めたルールだが、半人前なりにやらねばならないことがある。

 防壁の上をうろちょろしていた兵隊が、退避ぃ、とわめきながら逃げ去って――直後。

 頑丈なはずの岩壁が、粉微塵に吹き飛ばされた。

 轟音とともに、砕かれた破片が高々と宙を舞い、うちいくつかはルーイのほうへ飛んでくる。ちらりとそれらを一瞥し、彼は口の中で呪文を唱えた。


 上空の風がルーイの法術力に影響され、制御を受け、ひゅるりと渦を巻く。

 大きな破片を弾き飛ばす――などということができればカッコよかったが、ギリギリなんとか軌道をそらして回避することだけ成功した。

 問題はない。そのまま風魔術をメガホン代わりに、ルーイは声を乗せた。


『セリス・フォレストランナーに告ぐ!』


 拡声された口上が、もうもうと土煙の立ちこめる防壁に降りそそぐ。

 えへんえへん、とルーイは咳払いした。のどの調子を整えて、もう一度。


『セリス・フォレストランナー!……セリス師匠! 無駄な抵抗はやめなさい! あなたは完全に包囲されている! おとなしく降参してください!』


 風の副産物か、土煙が少しずつ晴れてきた。

 分厚い防壁に開いている大穴――いや、もはや穴どころではなく、完全に崩れて決壊している態なのがルーイにも見えてくる。

 更地にほど近くなったそこから、人影がひとつ、つかつかと歩み出てきた。

 何の気もない足取り。まるで串焼き片手に街を散策し、もののついでに外も回ろうと正門を通過してきたかのようだ。

 もしかすると、の感覚的には、本当にその程度なのかもしれないが。

 ルーイは両手を握りしめた。再び声を風に乗せる。


『そこで止まりなさい! おかしな動きはダメ! まずは両手をあげましょう! ひざまずいて足首を交差させるんです! 全身で無抵抗を主張するのが大事、もはや見た目が「ゴメンナサイ」って感じに――』


「うるっさいわこのバカ弟子があ!!」


 ひ、と息を呑むルーイを、深紅しんくの視線が射貫いた。


 若く美しい女性である。

 気の強そうな細面ほそおもてに、同じく意志の強そうな眉。繊細に整った容貌だが、気品や色気よりも表情の迫力が先にくる。ワインレッドの長い髪が、微風を受けてわずかになびいた。女性にしても小柄な体躯たいくだが、堂々たる物腰や立ち居振る舞いからは、圧倒的な自信と存在感がにじみ出ている。

 ひざまで届く黒マント。旅装のあちこちを彩る、様々な濃さのあか魔宝具アミュレット


 一目で魔法使い――それも、破壊をむねとする『赤の魔法』の使い手であることを感じさせる彼女は、おののくルーイをギロリとにらみつけた。


「誰に! デカいクチきいてんのよ!? 師匠の足首をどうしたいって!?」

『そこ取り上げるのやめてもらっていいですかね!? なんか俺がちょっと深入り気味の性癖ある人みたいじゃないですか!』

「物好きって意味じゃいっしょでしょ! こんなド田舎にまで追いかけてきて。そんなにあたしが好き!? あたしはそーでもない!」

『二重三重にショック与えんのやめろ!! 追いかけるに決まってるでしょーが!』

 なにせ、とルーイは奥歯を噛んだ。


 なんとなくくやしくて、風の魔術を終了する。相手はキンキンとよく通る声とはいえ、登場からここまで地声を貫いているのだ。

 右手を腰に当てて仁王立ちする、セリス・フォレストランナー。

 よわいはとうに二十をこえているはず、しかし十八の自分より幼く見える彼女を、たとえ大陸の端から端まででも追い続ける。


 弟子だから。


「呆れた。いつまでも師匠離れのできないやつねー」


 どこか他人事のように呆れているセリスに、違いますよ、とせいいっぱいの声を張り上げる。


「これ以上師匠に悪行を重ねられたら、弟子として肩身が狭いどころの話じゃないんですよ!」

「む。悪行って何よ! 人聞き悪いわね」

「じゃあその左手に持ってるのはなんですかッ!?」


 これ? とセリスがあっさり見せてくれるその手には、一体の彫像があった。

 人の二の腕ほどの大きさ。ルーイからは、細部の造作まで見て取れる距離ではないが、事前に聞いていた通りのかたちである――拳ほどもある大きさの宝石を、天に向かって捧げ持つ女性の像。一見して、なまなかな価値ではない。

 に、とセリスの口元に笑みが浮かぶのが見えた。


「リエリスの女神像。アラル公国ここの国宝だっけ? なかなかのものよねー、作った人もう死んじゃってるんだったかしら。宝石ごと売れば、大金貨二万枚はいくかも」

「セリス師匠……師匠のその銭ゲバ根性で、俺とミレーナがどんっだけ迷惑してるか! 今すぐその像を足下に置いて、何も言わずに立ち去ってください!」

「嫌だって言ったら?」

「ふんじばって、この国のえらい人の前に連れていきます! 泣くまでお尻ペンペンして、ごめんなさいって百回言わせます!」

「え、えらく具体的じゃない……。ってかあんた、完全に包囲されてるだかなんだか言ってなかった? 見たとこ、バカ弟子以外に人影がないんだけど」

「包囲は言葉のあやです。師匠を止めるのは俺! 師匠を超えるのも、俺ですから!」


 セリスの細い眉が、きりきりと吊り上がる。

 不愉快そうに――かつ、おもしろそうに。

 その右手が掲げられ、細い指先がルーイに向いた。


「まだそんなこと言ってんの? このあたしを、一人で止めてみせるって?」

「しょうがないでしょ! 他に誰もやろうとしないんだし」

「誰もやろうとしない、ってのはね……」


 セリスの伸ばした人差し指の先に、ぽつりと赤い光が宿る。


「誰にもできないってことなのよッ!」


「ちょ、待っ――」



赤破壊魔法デストロイドルージュ! 暴龍一赫閃ファフニールゲイン!!」



 ルーイが身構えるとほぼ同時。

 放たれた攻撃魔法が彼を直撃し、轟音と閃光をまき散らした。

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