棋士の矜持

ひょん

第1話

 学生街を通り、大学の校門を抜けて、いくつかの校舎を通り過ぎると、並木道に入る。通り過ぎたキャンパスは、夏休みの早朝なので誰も歩いてはいない。しかしその静けさが、別の大学だったにも拘らず、数年前に学生だった自分を思い起こさせた。掲示板の部員募集の貼り紙や休講の通知も、何か遠い昔にあったことの様に、色の薄い記憶の一部を見ている様な気にさせた。


 理系の研究室棟はこの並木道の先にある。文系だったので、大学の理系の研究室に行く機会はなかった。夏の早朝とはいえ、並木道に入ってすぐに感じたほんの僅かの冷気と、木々の向こうの見慣れない低層の建物が、キャンパスで感じた郷愁を拭い去った。


 松山透25歳、彼は将棋の棋士である。小学生の頃から天才と言われ、中学3年でプロ棋士になった。現在は8段で、タイトルを取ったことはないが挑戦経験はある。来月も棋竜戦に挑戦する予定だ。若手トップ棋士の筆頭格である。


 今日、彼が向かっている研究室は、脳の機能を解析している。具体的には直感力である。たった数秒で最善手を見つけてしまう棋士達の、一手一手を読む時の脳の働きを調査している。将棋連盟がこの研究に協力をしていて、彼はその日データを取るために、指名されたのである。

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