第186話 何なのよ、この人!

 いつものように秘密結社のアジトに入って来て自転車を停めると、神崎さんが鉄棒に向かいながらボソッと呟いたのが聞こえたんだよ。


「ここに来るのも今日が最後ですね」

「……そうだね」


 神崎さんはいつものように鉄棒にぶら下がって懸垂しながら、じーっとあたしを見てるんだ。月明りで見る神崎さんはいつにも増してカッコ良くてセクシーで……あー、もう溜息出ちゃうし。

 あたしは相変わらずカバのまま。でも運動して食事が5分の1になって、体重が一カ月で10kgも減ったんだよ。そろそろカバ卒業してウシくらいになったかな?

 初日に上がらなかった脚も、フツーにブランコの柵に乗っけられるようになったし。凄く体が軽くなったよ。チアシードとアガーとおからは最高だね!


 暫くして、神崎さんがいつも通りブランコの方にプランクしに来る。その正面の柵のところにあたしが居て、なんとなくお互い正面なもんだから、見つめ合ってしまう。

 あー、ヤバいよ、どうしよ。目が離せない。プランクなんかしてても素敵だよ。懸垂してても走ってても、もう何やっても素敵だよ。今のあたし『恋は盲目』を地で行ってるよ。これで神崎さんが安木節なんてやっててもきっとカッコいいんだ。バカ殿様やっててもセクシーなんだ。


「山田さん」

「何?」

「今、何考えてらっしゃいました?」

「言っていいの?」


 そしたら神崎さん、フッて笑うんだよ。


「変な事を考えてらっしゃいましたね?」

「神崎さんが安木節踊ってるとこと、バカ殿様やってるとこ想像した」

「似合ってましたか?」

「想像つかなかった」

「いつかお目にかけたいものです。太秦に行けばバカ殿様のメイクはして貰えるかもしれませんよ」

「それでも神崎さんは素敵だと思う」


 神崎さん、急に黙っちゃった。変な事言っちゃったからかな。

 それからいつものようにドラゴンフラッグをやって、一通りいつものメニューをこなしたら、ふと思いついたように神崎さんが言い出したんだよ。


「向こう、行きませんか?」

「向こうって?」

「ほら、ここには子供向けのアスレチックがあったでしょう」

「ああ、あったね。うん、行こう」


 急に。神崎さんがあたしの手を取ったんだ。天橋立の時みたいに凄いドキッとして、神崎さんを見上げてしまった。変なの、手なんてあれから何度も繋いだのに。初めての時みたいにドキドキする。

 だけど、こんなのおかしいよね。心に決めた人が居るんでしょ。7ケタの婚約指輪をあげる人が。そう思ってても振り払えないのは、あたしがこうしていたいと思う気持ちが勝ってるから。悔しいけどそれは否定できないから。


「土管……ありますね」

「うん」

「僕は小さい頃、よく土管に入って遊んだんです。そのまま土管で眠ってしまって、家中大騒ぎになって僕を探して……妹が「土管じゃないか」って言った事で見つかったんですが」

「叱られなかった?」

「特に何も言われませんでした。ああ、一つだけ言われましたね『家以外では寝るな』と……」

「ワイルドな家庭だったんだね」


 神崎さんがアスレチックネットに登って行っちゃう。なんか子供みたいで可愛い。


「待ってよ~」

「登れますか?」

「登れるけど壊れない?」

「子供が一度に20人乗ったって平気なんですよ」


 そう言って手を伸ばしてくれる。ドキドキしながらその手につかまると、ヒョイって引っ張ってくれて。

 天辺にはネットを真横に張ってあって、そこに神崎さんがゴロンってひっくり返るんだよ。


「ハンモックみたいだね」

「ここだと星が良く見えますよ。山田さんも来ませんか?」

「行く」


 あたしが神崎さんの側に少し近寄ったらさ、これ、ネットなもんだから重みが一点に集中しようとすんのよ、それでバランス崩して神崎さんの上に……。


「ひゃあ~」

「山田さん、大胆ですね、アウトドアでこのような」

「やっ、ちょっ、そーゆーわけじゃなくて!」

「そう言いながら、僕の上から退こうとなさらない」

「ちがっ! ネットがぐにゃぐにゃして重心が移動できな……あっ!」


 ネットを掴んだつもりが左手がネットの穴の間に通っちゃって、支えるものが無くなったあたしの身体は、そのまま神崎さんの上に乗っかっちゃった!


「ひゃあ! 神崎さんっ!」


 っていいつつも、仰向けの彼の上にモロうつ伏せで、しかも左腕がすっぽりネットにハマっちゃって宙を掻いてるような状態で。急いで右手でネットを探すんだけど、慌ててるもんだから上手に摑めなくて……。


「ちょっ、ごっ、ごめ……」


 その時さ。神崎さんがあたしの背中に腕を回したんだよ。「大丈夫」って優しくあたしの背中を撫でてくれて、その手が肩を滑ってあたしの頬を撫でて……それで、それであたしは引き寄せられて……彼の唇があたしのそれを迎えに来て。


 彼の感触があたしの思考をトロトロに溶かしちゃって、もうなんにも考えらんないよ。体中が痺れちゃって言うこと聞かないんだよ。脳が溶けて耳から出て来るよ。どうしよう。だけどその甘い痺れに酔ってしまって、身動き取れなくて、いつまでもずっとこうして居たくて、神崎さんに身を任せたままで……。


 じゃないよっ! 神崎さんが圧死しちゃうよ!!!


「んーっ! んーっ!」


 あたしが抗議したら、神崎さん手を離してくれたんだけど、ちょっと不満そうなんだよ。


「もうおしまいですか」

「神崎さん死んじゃうよ!」

「今なら死んでもいいと思えたんですが」

「何訳の分かんない事言ってんの! 起きらんないじゃん!」

「起き上がりたかったのですか? これはすみません、僕が勘違いしていたようです」


 ってフツーにあたしを起こしちゃうし。なんだよ、できるのにやらなかったのかよっ。

 え? ……って事は今のは確信犯? もー何なのよこの人! 訳判らん!


「バランス感覚が鈍ってますね。日頃からもっと体を動かした方がいいですよ。さて、そろそろ戻りましょうか」


 で。神崎さんは涼しい顔で、あたしはパニクったまま、家に戻ったんだよ。

 もー! なんなのよ、この人!

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