第3話 交付

2016年10月5日ー


秋雨に打たれながら、目的地が決まらないままテクテクと歩く。

迎えに来てくれたときに何か情報を知っていないか尋ねようと思っていたが、父と伯父はもちろん、母さえも迎えに来てはくれなかった。釈放されたとはいえ、殺人鬼として息子が逮捕され、大変な目にあったのだから、そのことで責めようとは思わない。

雨宿りのために立ち寄ったマンガ喫茶で、僕が逮捕された時のニュースをネットで見ていたら、実家にマスコミが押しかけて、母が涙ながらに謝罪している映像が残っていた。


そして僕の彼女を奪ったハメ撮りの後輩が、

「普段は大人しいのに、怒ると手がつけられない二重人格者みたいだった」

とコメントしている映像もあった。

僕は、捨てることもできずUSBメモリに保存していたハメ撮りの画像を、YouTubeにアップした。僕はこんなにもブサイクな女の子と付き合っていたのか?よくセックスできていたなと我ながら感心する。松永さんの容姿とは雲泥の差だ。


とにかく、僕が起こした事件のニュースを見ていると、思っていた以上に報道されていて、ごく普通の青年だった僕が、ホラー映画が大好きで、黒い服ばかり着ていた異常者になっていたことに感心した。

僕の記憶が確かなら、僕はホラー映画の予告編を見ることさえ苦手で、小学生の時に修学旅行で着た黒一色のコーデが大不評で、それ以来、黒い服を着なくなったはずだ。

ニュースであの思い出したくない修学旅行の写真が出ていたから、やはり僕の記憶は正しく保たれているようだ。問題は、どんなにニュースを調べても、僕が釈放された理由が見つからないことだった。

また、今朝チリで地震が起き、現在わかっているだけでも475人が犠牲になったというニュースが心に突き刺さった。僕が釈放されたためだろうか?誰が犠牲になり、誰だ助かると、誰がどこでどうやって決めているのだろう…。


このままマンガ喫茶に泊まろうと思ったけれど、店員さんが迷惑そうにしていたので、やめることにした。入店した時に、びしょ濡れだった僕にタオルを持ってきてくれたが、僕が誰だか気づくとゆっくりと後ずさりした。毎日のようにニュースで殺人鬼として報道されていた顔だから、僕を見て怯えるのも無理はない。でも、間違いは正しておこう。

「僕、黒い服は着ないんですよ」

そう言って、お金を払いマンガ喫茶を後にした。


財布には小銭しか残っていなかった。銀行口座にビジネスホテルに数日泊まるくらいのお金は残っていたはずだと思い、コンビニでとりあえず1万円を引きだすと、残高が1,002万円になっていた。

どういう意味だかすぐに理解できた。言われなくてもわかっている。実家に帰るつもりなど毛頭なかった。こんな“手切れ金”など送金する必要などなかったのに…。ポタッと涙が流れた。どうやら僕は、まだ人間でいられているようだ。

グゥーッとお腹が鳴った。決まった時間に食事が出てこない生活は不便だ。食べ物を手に入れるという行動をすっかり忘れていた。もう21時だが、あのお店はまだやっているだろうか。15分ほど迷った末、傘を購入すると僕はコンビニを出た。

僕に傘をさす資格がないように思えたが、またタオルを借りたりして他人に迷惑をかけるわけにもいかない。


特別おいしかったわけではなかったが、僕は甲田さんが教えてくれた『かつ日和』のかつ丼が食べたくなった。特徴のない、ごく普通のかつ丼。僕とどこか似ている気がする。店に着くと、閉店間際で、お客さんは1人しかいなかった。松永さんだ。やっぱり元カノより、何倍も美しい。

そして寡黙な店主は、僕を見ても嫌そうな顔をしなかった。あまり顔に表情を出す人ではないだろうから、断定はできないが、マンガ喫茶で感じたような嫌悪感はなかったように思える。


僕は松永さんの前の席に座った。

「なぜ、僕は釈放されたんですか?」

「まったく…私も同じ質問をするためにここで君を待っていたっていうのに…心当たりはないの?」

「きっと、見ていたでしょう。誰も僕を迎えにこなかったところを」

「最初は、君のお父さんが裏から手をまわしたのかとも思ったけど、今回の事件は大物弁護士でも操作できるものではないわ」

「手がかりなしですね。松永さんに聞いたら何かわかると思ったのに…」

「せっかく釈放されたのに、また捕まえてほしいように聞こえるわね」

「真相が知りたいだけです」

内心は、松永さんと取調室で毎日のように会えるのなら、また捕まるのも悪くないと思っていた。

「私は今回の件で、証拠不十分とはいえ、誤認逮捕したように見られている。上司にはやんわりと辞職をすすめられたわ。もう、この先、昇進の道はないそうよ」

「松永さんほど優秀な刑事さんをそんな風に評価するなんて…。そんな人がいるから、迷宮入りの事件が増えているんじゃないですか?」

「その点は、君の考えに賛同するわ。でも、私は刑事をやめない。必ず裏側で何が起きているのか暴いて、君を再逮捕してみせるから」

「それなら、一緒に探しませんか?誰が、僕を無実にしたのか?」

「…いいわ。そのほうが、君に逃げられる恐れもなくなるし」

やった!と心の中でガッツポーズした。


こうして松永さんとコンビを組むことが決まった絶好のタイミングで、店主がかつ丼を運んできた。話を聞いていたのだろうか。その疑問よりも、かつ丼を食べたい気持ちが強かったので、僕は我慢できずに丼のふたを開けた。

何の特徴もないかつ丼の匂いが広がる。

「甲田さんから連絡はありませんでしたか?」

松永さんが、寂しそうに首を横に振った。やはり松永さんも、甲田さんが“死の清算”に関わっていると思っているのだろうか?

「甲田さんが取り調べをしたら、きっと君も自白していたのに」

「それはムリだと思います」

松永さんに会うために、僕は何度捕まっても、自白はしない。

「お前さん、高杉って名前だろう」

店主が面倒くさそうに、封筒を持ってきて僕に渡した。

「これをお前さんに渡すようにと、お客の女性に頼まれちまって」

封筒の中には、USBメモリと、僕の顔写真入りの“殺人免許証”と書かれたカードが入っていた。

「何でしょう、これ…誰かの悪ふざけでしょうか?」

「…いえ、そのマークが本物なら…」

カード左上の三日月がクロスしているような奇妙なマークをじっと見ている松永さんは、明らかに動揺していた。

「お互いにやっかいな世界に踏み込んでしまったみたいね…。すみません、この封筒を持って来た女性をご存知ですか?」

松永さんが厨房にいる店主に尋ねる。

「覚えてないね。ランチの忙しい時だったから」

お客と目を合わさず、自分の仕事に集中するタイプの店主だから、ランチ時でなくても、封筒を持って来た女性の顔を覚えてはいないだろう。

「一応、周辺の防犯カメラに映っていないか確認してみるけど、望みは薄いわね。連続殺人犯を無罪にできる組織だから」

意地悪な松永さんも素敵だ。

「このUSBメモリには、どんなデータが入っていると思いますか?」

「さぁね…ただ、あまり人に見られていい情報ではないことは確かね。ウチで見てみない?」

「はい」

人生最速の返事だった。

「そうと決まれば早く行きましょう。近くに車を停めてあるわ」

かつ日和から出て、コインパーキングに向かうと、古い年式のセダンが停められていた。

「さぁ、乗って」

古い車だけど、中はキレイでしっかり手入れされていた。

「まさかこの車に、連続殺人犯を乗せるとは思わなかったわ」

「すみません。大切な車を汚してしまったみたいで」

「まぁいいわ。今のところ君は無罪だしね」

松永さんは、そう言って少し笑みを浮かべた。仕事に真面目なだけで、冗談が通じない人ではないようだ。

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