第9話

雅彦が電話を掛けてから、さらに数週間が経った。出会ってからほぼ一カ月が経過した金曜日、都内の高級ホテルで、美樹の会社の創立20周年記念パーティーが開かれていた。そこでは従業員の家族も呼ばれていた。


雅彦は慣れないスーツを着ている割には結構サマになっていて、美樹にも裕太にも「カッコいいね。」と褒められて気を良くしていた。これもあの日以来、ダメ夫を返上した振る舞いのお陰かと思った。同時に、あの夜の絵美の表情と、「この番号は現在使われておりません」という声が同時に脳裏に立ち上がり、雅彦の表情を複雑にした。


パーティーは300人ぐらいの参加者で、立食形式になっていた。雅彦と裕太は美樹に連れられて、場内をあちこちに移動しながら、会社の上司、同僚、後輩及びその家族に挨拶をして回るのでかなり忙しい。とりあえず一息がつき、雅彦がお手洗いの為にバンケットルームを出た所で、スマホが鳴った。


「久しぶり。」

「絵美ちゃんか!待ってたよ!」

「今日、会おうよ。」

「会いたいよ。今、ちょうど家族で外出してるんだよ。明日はどう?」


電話はガチャリと切れた。すぐに掛け直そうとしたが、繋がらない。あの日からほぼ一カ月、待ちに待ったチャンスがあっけなく潰えた。「会おうよ」という言葉に、「会おう」と返事していれば良かったのだ。もしかしたら、会うのはパーティーが終わったあとかも知れなかったじゃないか。いや、パーティーがあったって、今すぐだってどうとでもなった筈だ。いや、どうとでもして見せた。何故、その気持ちが肝心な時に出なかったのだ。


自分への悔しさと情け無さがこみ上げた時、バンケットルームの扉から誰か出て来て、パーティーのざわめきが雅彦を包んだ。このざわめきの中にいる人々と、妻は家族の為に戦っているのだ。そう思うと、今ここで悔しがってる事自体、ひどい話である。俺は何をしているんだ。そもそも悔しいと思う権利ないじゃないか。雅彦は急に冷静になって、バンケットルームに戻った。


パーティーでは、余興が始まっていて、正面の舞台では劇団によるコントが演じられ、会場は笑い声で溢れていた。雅彦は妻を見つけて声を掛けた。


「どう?」

「あー。今、コントやってるの。面白いわよ。」

「裕太はどこ行ったの?」

「なんか、コント始まったら走って一番前に行ったわよ。ほら、あの舞台の前。」


雅彦は、舞台の前で立っている裕太を見つけた。


「あっ、本当だ!」

「ねっ。あの子お笑いなんか日頃見向きもしないのにね。」

「そうだね。」


雅彦はあらためて舞台をかぶりつく様に見ている裕太の視線の先を追った。


「あっ!!!」

「どしたの?」

「いや、面白そうなので裕太の所へ行ってくるわ。」


雅彦は速足で裕太の所に駆けつけた。間違いない。舞台の上にいるのは、絵美だった。

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