第24話 2014年(2)

2014年7月12日(土)  天気:晴れ 最高気温:32.8℃


 残念ながら、お肉を食べる夢を見ることはできなかったが、5時半にセットした目覚まし時計が鳴る前に、清々しく目覚めることができた。太陽の日差しを感じたかったので、カーテンを開けようとしたが、苦痛で顔が歪んだ。極度の筋肉痛で腕が上がらない。脚に至っては、ちょっと動かしただけでつりそうなくらい痛かった。特にふくらはぎが、今すぐにでもつりそうな気配を漂わせている。


 湿布を貼ってから眠ればこんなことにはならなかったのだろうが、運動後の体のケアまでは考えが及ばなかった。

 少しずつ、腕を動かして、脚をマッサージする他ない。気のせいかもしれないが、ウエスト周りが、結構すっきりしているように思えた。


 入念にマッサージした甲斐あって、1時間後にはなんとかベッドから下りて、歩けるようになった。

 さっそく、体重計に乗ろうかと思ったが、あまり減っていないとショックを受けてしまうので、最終日の14日まで体重を量らないことにした。


 7時になってしまったが、ゆっくりでも走ったほうがいいと思い、サウナスーツを着てジョギングに出かけた。今日、走るのをやめてしまったら、昨日走ったことが無駄になってしまいそうな気がしたし、たった1日でジョギングをやめてしまうことを、浄化された私の心が許さなかった。

 無理しすぎて、リタイアしてしまわないように、朝のジョギングは片道5kmで切り上げた。

 その分、自宅に戻ると、2時間たっぷりとヨガに没頭した。休憩中は、汗を拭いながら、いい女になっている感がして、何度も姿見を見てしまった。一昨日までは姿見を見る度に、ため息をついていたのがウソのようだった。


 それから、『Wii Fit』で時間を潰して、ようやく12時になったので、ジョギング帰りにコンビニで購入したアサイーボウルを食べることにした。

「いただきま……」

と言いかけた時に、哲郎さんからLINEにメッセージが届いた。

『今日は、秋葉原に飲み歩きに行きましょう!』

私はまだ契約期間が1年以上も残っているiPhoneを、思わず床に投げつけそうになった。

 なんとかそれを堪えると、すぐに哲郎さんに電話をかけた。

「あっ、町子さんおはよう。何時に待ち合わせする?」

 こんな時間に、のん気な声でよくおはようと言えるものだ。

「とっくに起きているわよ! どうして私がダイエットしているのに、飲み誘うわけ! 本当に信じられない」

「えっ、ごめん。町子さんがダイエットしているなんて知らなくて……」

 それはそうだ。ダイエットのことは哲郎さんには一切話していない。痩せた姿を見せて、驚かせようと思っていたのだから。

「とにかく、しばらく連絡してこないで!」

 一方的に電話を切って、電源をシャットダウンした。アサイーボウルに涙がこぼれ落ちる。わかっている。こんな女だから、結婚できないのだ。貫禄が出てきたと言われたくらいで取り乱してしまうのだ。自分に自信がなさすぎるのだ。


窓の外を見ると、快晴の空が見える。私はiPhoneの電源をオンにした。

『あんなに怒るくらい、町子さんが必死にダイエットしているのに、飲みに誘うなんて俺は本当にバカだ。でも、わかってほしい。俺は、今のままの町子さんが好きなんだ』

と哲郎さんからLINEにメッセージが届いていた。着信履歴も6回残っていた。優しすぎるよ、哲郎さん……。こういう時は、怒ってくれていいのに……。すぐに哲郎さんから電話がかかってきたが、私は出ることができなかった。

哲郎さんと一緒にいると、私は幸せになることができる。でも、私は叱ってくれない哲郎さんに甘えてばかりで、哲郎さんを幸せにすることができない。

ちょっと考えてみれば、アルコールとニコチンと脂で汚れた私の心が、そう簡単に浄化されないことくらいわかることだった。

私は哲郎さんと付き合い始めてからやめていたタバコに火を付けた。しけっていてクソ不味かった。空腹だったので吐き気にも襲われた。それでも、心が落ち着いていくのがわかった。

今日、哲郎さんと会って、話さないといけないことがある。

今日の天気は、雨だったらよかったのに。



2014年7月13日(日)  天気:曇り 最高気温:28℃


 昨日より筋肉痛が残っていなかったので、6時からのジョギングを心置きなく楽しむことができた。まぶたが腫れているのでサングラスをかけることにしたが、アスリート感が増して心地良く走ることができた。これからはサングラスをかけて走るようにしよう。


 これで良かったのかと問われたら、正直言ってわからないと答えるしかない。10年後の私だろうが、30年後の私だろうが、その答えが変わることはない。

 一緒に歩む道もあったかもしれない。歳を重ねるごとにどんどん太りながらも、幸せに暮らせることができたかもしれない。生真面目な子供に恵まれて、子育てで苦労することもなかったのかもしれない。

 でも、それでは、私という人間が消えてしまうことになる。もがいて、もがいて、もがいて、一日一日を過ごしてきたのが私だ。浮き輪にもたれて、プールの中を漂うような毎日の中には、私は存在し得ないのだ。


 この日からは、ヨガの後には、腕立て伏せと腹筋運動を追加することにした。運動して体重を減らすだけではなく、年齢とともに低下している基礎代謝を高めるためである。

 そして、リバウンドしないように、食事は3食摂るようにした。とは言っても、以前のように食べたいものを気分次第で食べるのではなく、丸の内のOLのように、ヘルシーな食事を摂ることにした。


 今、一番問題なのはなかなか寝付けないことだ。良質な睡眠はダイエットに欠かせないが、そう簡単に吹っ切れるものではない。ベッドに入ると、どうしてもいろいろと考えてしまう。

 ひどい女だ。自分のことしか考えていない。それでいて、特技は自己嫌悪だから困ったものだ。自分のことしか考えていないのに、自分のことを好きになれないでいる。

 夜や雨の日でも走れるようにランニングマシンを買うことにしよう。走っている時は、現実から逃げることができるから。



2014年7月14日(月)  天気:曇り 最高気温:32.9℃


 早朝のジョギング、ヨガ、筋肉トレーニング、Wii Fit、夕方のジョギング、心地良いメニューをこなし、午前0時になったところで、体重計に乗った。努力のすべてが数字に表れることはなかった。でも、それでかまわない。4日間続けた達成感があることはもちろん、これからも続けていける自信が何よりの収穫だった。


 そして、白のスキニ―パンツを履けるようになっているか試してみようと思った時に、インターホンが鳴った。この時間に尋ねて来る人は一人しか知らない。電話がまったくなかったのも、そういうことだったのか。私のダイエットが終わるのを待っていてくれたのだ。

 やっぱり、優しすぎるよ。ありがとうって、ごめんねって言いたいけど、インターホンに出ることができないよ。どうして……、どうして、花束なんか持っているのよ。

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