第16話 2013年(3)

2013年9月1日(日)  天気:晴れ 最高気温:35.7℃


赤羽のビジネスホテルで2回目の朝を迎えることはなかった。どういうワケだかわからないが、目を覚ました時、私は境内で横たわっていた。

衣服を確認する限り、暴行された様子はない。お酒で何度も失敗をしてきたが、こんなに危ないことをするのは初めてだった。あと2年ほど若かったら無事では済まなかったかもしれない。


何事もなかったお礼に、私はさい銭箱に100円玉を入れると、参拝をした。でも、待てよ。私の体が無事だったお礼はたったの100円でいいのか? 私は自分がすごく安い女に思えたので、さい銭箱に1,000円札を入れると、参拝し直した。せめてお札を入れたかった。


財布には『でん介』のレシートが残っていた。哲郎さんとお好み焼き屋さんの『KONOMI』を出て別れた後、最後に残っている記憶は、自転車に乗った警察官に何か聞かれたことだった。

この2つを手掛かりに、昨晩私は何をしてしまったのか解き明かさないといけない。もしかしたら、誰かに迷惑をかけているかもしれない。というより、これまでの経験から、迷惑をかけている可能性が高い。


スマホで時刻を確認すると、私の目に飛び込んできたのは数字は『9月1日』の日付けだった。8月の終わりは、記憶ごと消えていってしまった。まだ元気なセミが私を励ましてくれる。そうだ、まだ夏は終わってはいない。9月になっても、ここは私の夏休みの中だ。


着信歴があったが、知らない番号だったので無視をすることにした。知らない番号に電話をして、何十万円も請求されたバカな女を知っていた。念の為、スマホでその電話番号を調べても、どこの番号かわからなかった。

次に私は、スマホで近くの交番を探してみると、赤羽駅の周りには3つの交番があった。まずは、このお寺に一番近い交番を訪ねてみようかと思ったが、行ったところで「昨日、私に職務質問か何かされた警察官を知りませんか?」とは聞けない。


『でん介』も、まだ開店まで時間が大分ある。一先ず朝食を食べて脳の働きをよくしよう。私は、ナポリタンがおいしかった昨日と同じ喫茶店『すばる』に行くことにする。

5分ほど歩くと、右足の甲が痛くなってきた。昨晩、何かを蹴ったりしたのだろうか? それが物ならいいが、人だったらお酒をやめることにしよう。


右足を引きずるように歩いて、喫茶店『すばる』に辿り着くと、シャッターは降りたままで、“本日は臨時休業します”と張り紙があった。

もう一度、あのナポリタンを食べたかったのに残念だ。まあ、まだ明日がある。私は赤羽一番街商店街を歩いて、パッと見て絶対にここで食べたい、と思えるお店を探した。


ハードルを上げ過ぎたために、90分経っても朝食を食べる店を決めかねていた。すっかりランチ時になり、閉まっていた飲食店も開店して賑わいを見せていた。

私は、つけ麺屋の『ツケメイン』に入って、薬味だけで食べる具なしのつけ麺を注文した。もりそばを食べているような感覚で、余計な物がないことがクセになるつけ麺だった。

店を出た時には、行列ができていた。確かに、並んででも食べる価値がある。


もしかしたら、『でん介』もランチ営業しているかもしれないと思い、伺ってみると、こちらにも行列ができていた。

家族連れが多かった。きっと、常連のお父さんたちが、休日には奥さんと子供たちを連れて来ているのだ。暑くても食べたくなる絶品のおでんを食べたら、一杯飲んで帰りたくなる気持ちを奥さんや子供たちに理解してもらえるだろう。


昨晩、私が何かやらかしていないか確認するだけとはいえ、行列を無視して店内に入ることは並んでいる子供たちに対する教育上、よくないと思ったので、40分ほど並んでから入店した。犯人は現場に戻る、昔観た映画の台詞を思い出した。

「おでん定食をください。ご飯は少なめでお願いします」

店員さんはオーダーを聞くと小走りで厨房に向かっていく。こんなに忙しそうなのに、

「昨晩、私は何かしでかしていませんでしょうか?」

とは聞けない。


ご飯を少なめと言ったのに、忙しかったせいか、他のお客さんより大盛りだった。私が大食漢に見えたのだろうか?

それともやっぱり、昨晩私が何か問題を起こして、その仕返しなのだろうか? そうだとしたら、とても優しい仕返しだ。私が逆の立場なら、からしをべったり塗って出していることだろう。

問題を起こした上に、残してしまうことはまずい。赤羽一番街商店街を敵に回してしまうかもしれない。私は何とか間食すると、レジへと向かう。

ラストチャンスだ。私がお金を出して質問しようとすると、電話がかかってきてしまった。店員さんはすばやく私にお釣りを渡すと、

「ありがとうございました」

と言って、電話に出てしまった。


私はホテルに戻ると、フロント係の男性に注意をされた。一晩中、私の帰りを待っていたそうだった。何度も電話をしたそうだった。外線で使用する電話番号と代表番号が違っていたのだ。

「でも、ご無事で良かったです」

とフロント係の男性は安堵した表情を浮かべた。

私は恥ずかしさのあまり、ちゃんと謝ることもできないまま、エレベーターに逃げ込んだ。どうして、すぐにホテルに戻らなかったのだ。帰って来ない宿泊客がいたら、心配するに決まっている。最低のことをしてしまった。

今日は絶対にお酒を飲まないようにしよう。私は部屋に入って、熱いシャワーを浴びながら、そう決めた。


仮眠を取るつもりが、起きた時には20時を過ぎていた。こんな時間に外出をすると、またフロント係の男性に心配をかけてしまう。

多少、お腹も空いていたが、自動販売機でカップラーメンでも買って我慢することにして、『でん介』には明日伺うことにしよう。

あーあ、明日、目が覚めたら、テイラー・スウィフトと体が入れ替わっていないかな。七夕の時、伊勢丹にあった短冊に「テイラー・スウィフトになりたい!」とわりと真面目に書いたのに、その願いはまだ無視されている。

もちろん七夕に罪はない。たんぽぽはバラにはなれない。できるとしたら、ダンデライオンと名前だけは美しくなれるくらいだ。


お酒も飲めずやることがないので、とりあえずテレビをつけたが、今の自分には笑う資格がないように思えたので、すぐに消した。

誰かに電話でもしようかな。今朝、着信歴に気付いた時にホテルに電話をしておくべきだったな。あーあ、久しぶりに一人でしてみようかな。もう何日間、男の人に抱かれていないだろう。

私は服を脱いで、自分の裸をまじまじと見た。やはり、20代の頃に比べたら若干太っていることは認めざるを得ないが、まだ美脚の部類に入るだろう。この美脚のおかげでもらえた仕事もあったように思える。ああ、私は夏休みに赤羽のビジネスホテルで一体何をしているのだ?

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