シリーズもの。

【書く】

書く「切っ掛け」

今回は私が文章を書く「切っ掛け」。


それは間違いなく、米国で起きた同時多発テロだと思う。


そこから米国が報復の為に、アフガニスタンで勢力を広げていたテロ組織への空爆を始めた。


そんな中で報復を支持する声と反戦を訴える声がぶつかり合い、日本でも日々、ニュースとして流れていた。


当時、私は社会から脱落し、自身の存在価値を見失って、何度となく自殺未遂を繰り返したりしていました。


そんな私が空爆と反戦デモのニュースを見ながら、この世界の不条理さに強く疑問を感じたのです。


自分の様に何の役にも立たない駄目人間が、それも自ら死を望んでいるにも関わらないのに、中々、死ぬ事が出来ずにいる。


一方、テロや空爆で未来ある尊い命が次々と奪われていく。


本当に不条理だし、理不尽だし、出来る事ならば、私が代わってあげたいくらいでした。


しかし現実にはそうもいかない。


そんな中で疑問だけが膨らんでいく。


私は決して戦争行為そのものは否定しません。


過去において先人達が未来の為に戦った事が現在に繋がっている。


だったら我々も未来の為に戦わなければならない場合もあると考えます。


しかし米同時多発テロから続く、先進国を中心とした、資本主義、民主主義社会とテロリズムとの戦いは必要な戦いなのか。


私はそこに強い疑問を感じたのです。


そして、その疑問を


「世界で一番遠くにいる隣人へ」


という詩にして表現をしました。


(この詩は「孤独な星が瞬く時」に掲載済。また「Nothing but Anything」で英訳もしています)


正直、何が正解なのかは私も分かりません。


ただ、今も変わらずに疑問を持ち続けています。


また、私自身も変わらずに駄目人間ではありますが、今は駄目人間である事を否定的に考えてはいなかったりもします。


駄目人間ではあるのかもしれないが、駄目人間だからこそ見えるものもある。


そして、それを発信していく事が出来たら、と。


今はそんな風に考えています。


恐らく、私はこの「切っ掛け」が無ければ、文章に関わる事は無かった様に思う。


この「切っ掛け」が私に強い疑問を生じさせて、その疑問を表現がしたくて、文章を書く動機に繋がりました。


そして今はその疑問が私の存在価値の様にも感じているのです。


その辺、詳しくはまた、別の機会に書かせて頂くとして、「切っ掛け」についてはこの辺で〆たいと思う。


次回は「転機」について書く予定。

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