雑食主義
菊千代
直球と変化球
私は野球が好きだ。
だから創作を野球に例えてみる。
私は文章による表現は、何でもやってみたいと思っている。
実際にやり始めるまでは時間が掛かる事もあるけどね。
「小説」や「詩」、そして「エッセイ」は以前からやっていたが、「和歌」はやってみたいと思っていながらも、中々、出来ずにいた。
そんな中でカクヨムがスタートした。
そして、それを切っ掛けに「和歌」にも挑戦を始めた。
他にも自作の詩の「英訳」をやってみたりと、他の方が余りやらない様な表現にも挑戦をしている。
何故、そんなに色々な事をやるのか。
先ず、私がどのジャンルを一番、重視しているのかを言うと、それは「エッセイ」なのである。
特に世の中に対する疑問を、自分の言葉で文章にして表現したい。
そして、その「エッセイ」を野球に例えると直球になる。
野球という競技の投手という役割にとって、直球は基本とも言えるだろう。
だから私にとって文章の基本は「エッセイ」となる。
また「エッセイ」は私が思った事、感じた事を、そのまま文章にしている。
そういう意味でも直球なのである。
そして「エッセイ」以外の「小説」や「詩」などは変化球なのだ。
私の書く「小説」は全てフィクションである。
また「詩」は抽象的な表現になるので変化球となる。
野球の場合、余程、ずば抜けたものがなければ、直球だけでも、或いは変化球だけでも通用はしない。
直球であれば、ずば抜けたスピード。
変化球であれば、ずば抜けたキレ。
だから殆どの投手は両方を投げ分けて、コンビネーションで打者を打ち取る。
そして、それは創作の世界でも同様なのではないか。
小説を書く事にずば抜けた力のある方は小説家になれる。
詩を書く事にずば抜けた力のある方は詩人になれる。
エッセイを書く事にずば抜けた力のある方はエッセイストになれる。
でも、その様な方というのは、極々、一部だと思うのです。
勿論、私にどれか、ずば抜けた才能があるのであれば、それに専念しても構わない。
しかし私にはその様な、ずば抜けた才能があるとは思えない。
あったとしても、まだ、どれに適性があるのか分からない。
だから色々やってみて、コンビネーションで勝負する。
直球と変化球を使い分けて読者と勝負をするのだ。
そして「小説」や「詩」などの変化球は直球で表現出来ない事が表現出来たりもする。
フィクションである事で許される表現。
抽象的であるから許される表現。
変化球には変化球の面白さもある。
勝負を度外視しての楽しみもあるのだ。
そういう訳で基本の直球として「エッセイ」を書きながら、変化球として「小説」や「詩」なども書いていきたい。
更には、もっと変化球のバリエーションも増やしたい。
「小説」がカーブなら「詩」がシュート。
さしずめ「和歌」はフォークで「英訳」はスプリットかな。
他にも何か思いついたら挑戦するかもしれません。
そんな風に色々な事に手を出しながら、自分が感じた疑問を文章にしていきたいと思っている。
そして私は決して物語を書いている訳ではない。
あくまでも自分が感じた疑問を書き印しておきたいのだ。
その手段として、直球も変化球も使った方が様々な表現が出来る。
また、そんな風に様々な表現をする事自体を楽しむ事も出来る。
そう。
私は自分が楽しむ為に文章を書いている。
自分が楽しむ為に様々な事に挑戦をしている。
その結果として何かのお役に立てる様であれば、という事にしか過ぎない。
役に立つ事が出来たら、楽しんだ事に喜びも加わるという事。
でも、その過程においては苦痛もある。
それについてはまた別の機会に。
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