chapter 14 夏季休暇-3

3  8月20日 想い




 丁寧に整理整頓された几帳面な部屋。

 埃ひとつなく、清潔にされてある。

 本棚には教師という生業に関わるような分野から、「近代心理医学の発達」「Eテストの検証」「ヒトと心理コミュニケーション」という役に立つのかよくわからない分野まで様々な参考書などが立ち並んでいた。


「それは先生の大学の頃の論文です。どうです? 面白くなさそうでしょう?」


 静間は、照れくさそうに、はにかみながら本棚を見つめる霧島に話しかけた。


「あれ? 先生って心理学部卒業なんですか?」


 霧島が興味ありげな眼差しを掲げて静間に尋ねた。


「はい、一応。そのあとに教育学部に移りました」


 静間は本棚を眺める霧島のもとへやって来て、一冊の本を取り出した。

 『教師が知るべき! 生徒との関わり方! 〈改訂版〉』と題の付いた本を掲げ、苦笑いを浮かべた。


「でも笑えますよね。心理学を学んだ上でも、さらにはこんな本を買ってみても、未だ生徒との関わり方というものがわかりません」

「……」

「やっぱり先生には、教師としての資質がないのかもしれませんね」


 霧島は悲しそうに呟く担任教師の姿をじっと見つめていた。

 そのとき、本棚に一冊『Mの悲劇』と書かれ、ファイリングされたレポートの背表紙を発見した。

 「M……?」と霧島は心のなかで呟いた。


「あ……それは、知らないほうがいいです」


 静間は、霧島が『Mの悲劇』というファイルに目をやっていることに気が付き、手で制した。

 陽太と桜はL字型ソファーに座り、勧められたコーヒーを飲む。


「すみません、先生。俺たちまで上がりこんで」

「先生が招いたのです。遠慮しないでください」


 じっと斜め下の焦点を掴むようにしてやって来た霧島を目で追いながら、桜は決心を固めたように、今年度に入ってから起こる呪われた事件を教師に向かって話し始めた。



* * * * *



「クラスの誰もが他者に対して不愉快になる行動を取ることは絶対に避けるべきだと思います。でもそれ以上に相手を許す心も大切なんだと考えます」


 陽太は徐々に顔色の悪くなる静間を見つめながら、自らの考えを発した。

 今までの陽太ならば有り得ないことである。少なくとも陽太は静間に対して信頼など置いてはいなかった。

 自分たちのクラスカーストを放っておいた人物である。

 静間が早急な対処をしていれば、恨みや憎しみ、言うなれば平森隆寛と五十嵐アキラのような生徒は現れなかったかもしれないからである。

 しかし、静間の自らを思い詰めるような表情を見ていて、我慢することができなかった。

 もう一度だけ静間を信じてみようと、陽太は思い始めていた。


「お互いを許す気持ち……」

「簡単なようかもしれませんが、教室のカーストの間には計り知れない溝があるんです」

「先生が目を話しているうちに僕たちのクラスは異常を遥かに超えた最悪の事態になっています」


 霧島が冷徹な目を向け、そう言った。

 そんな静間の口から出た言葉は意外なものであった。


「……すみません」

「え……?」

「先生はやはり『いい先生』にはなれなかったみたいですね。先生のせいでキミたちは命までも……」


 瞳に涙を浮かべ、静間は静かに語った。


「静間、先……ん?」


 陽太はそんな静間の姿の奥、窓から指す日の光に反射する何かを見つけた。

 そして立ち上がり、それを確認しようと歩き出した。

 それは桜の花びらが舞うなか生徒とともに写る静間の写真であった。


「先生、若いですね」


 桜が陽太の脇から身を乗り出して告げた。


「意外、です。静間先生もこんなふうに生徒と写真撮ったことあるんですね」

「……先生も『良き教師』を目指して、うまくいっていたこともあるんです。ですが……どれほどの時間を費やしても生徒の気持ちを汲んであげることができません。未熟な教師です」


 自らを蔑むように静間は笑った。

 そんな静間の『過去』の写真を見たときに陽太は何か引っかかりを感じた。

 そう、その写真に写る場所は『宵崎高校』なのではないか、と。


「先生……? ここって昔の宵崎高校ですよね」

「? ああ。そうですが?」


 霧島も何かに気が付いたように、はっと身を乗り出してきた。


「先生は、もしかして『御影充』という生徒を知っていますか……?」

「!」


 目の前に佇む教師の表情が一変した。

 かつて陽太たち3年1組生徒には見せたことのないほどの動揺。

 そのまま静間は静かに答えた。


「……そうですか。キミたち、その生徒の名を知っているということは、あの事件を知っているんですね」

「……はい」

「隠す必要もありませんでしたか……」


 静間は、ひとり本棚に向かって、『Mの悲劇』と書かれたファイルを手に取った。


「『M』……充、『みつる』のM……」


 霧島は、はっとしてそんな静間の姿を見つめた。


「静間先生。そのファイルは?」


 陽太が疑問を投げかけた。


「……今のキミたちには教えないほうがいいかもしれません。これには、かつての、とある一人の宵崎高校生の悲劇を綴りました。先生のような教師たちが、あの事件を決して忘れないために」


 パラパラとファイルを捲り、パンと閉じた。


「御影充君。かつて宵崎高校で自殺した……先生が救えなかった生徒の名です」


 そして、静間は本棚のもとにあった位置にファイルをしまった。


「こうやって先生なりに後悔を形で埋めようとしてみたんですが、結局は自分が救われたかっただけだったのかもしれません」


 陽太も桜も、呆然とすることしかできないでいた。

 そして、静間の心境を汲もうとすると、胸が張り裂けそうになるのだった。

 静間はいったいどういう気持ちで、教師という職を続けてきたのだろうか。

 陽太は自らの心に問うてみたが、答えは何も見つからなかった。

 そこまでの想いがあっても、再び3年1組のカーストにメスを入れれなかったのも、静間であると思ってしまうのだった。

 静間もまた、自分たちの知らないところでトラウマを抱え、怯えていたのかもしれない。

 霧島はそんな担任の顔を眺めつつ、現時点での推察をぶつけた。


「先生。『審判』には、御影充さんの事件が関連している可能性が高いんです」


 静間は表情をさらに変えた。


「どういう意味ですか?」


 眉を下げ、意味のわからないとでもいうような顔を霧島へと向けた。


「先生。もし知っていたら教えてください。どうして御影充という生徒は自殺することになってしまったのか、を」


 陽太は冷静を繕った瞳を向けた。

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