chapter 14 夏季休暇-4

4  8月20日 母性




 陽太と霧島は静間宅から駅へ向かい、電車に乗り込んだ。

 そのまま乙黒の探偵事務所に向かうためである。

 静間宅から外へ出た後、桜は用があると言って、陽太たちとは別れた。

 しかし、陽太は見抜いていた。

 最近、桜の体調が悪いというのは本当であると。

 明らかに無理をしている顔である。


「気をつけろよ」


 と、陽太は念を押すことしかできなかった。

 桜のことを思えば、何が何でも、もうこれ以上自分たちの勝手な調査に巻き込むのはいけないのではないか、と考えているのだった。

 電車に乗っている間も、陽太と霧島は黙り込んでいた。

 陽太は桜のことを案じているというのもあった。

 だが、それとは別に静間から告げられた真実の衝撃も大きかった。


「確かに『いじめ』は存在していた」


 静間はゆっくりとそう語った。

 そして、


「その『いじめ』から救い出すことができずに、御影充君を殺してしまったのは、自分たち教師に責任がある」


 と続けた。

 いくら教師といっても神様ではない。

 全ての人間を、生徒を守ることなんて必ずしもできることではない。

 しかし、御影充を助けることはできた。と、静間は語った。

 その口調や表情からは、激しい後悔を感じた。

 このとき陽太と霧島は同時にあることを思ったのだった。

 御影零。

 彼女が恨み、復讐を願っているのは御影充を自殺まで追い込んだ生徒たちだけではない。

 そのとき助けなかった学校中の教師たち。まわりの人間たち全てであるのだ、と。

 陽太も霧島もそのとてつもない範囲と人間たち、その規模に愕然とした。

 自分たちがいくら推論を広げたところで、その復讐の対象は壮大である。

 だが、陽太と霧島が驚いた真実の衝撃とはこのことではない。

 そのあとに『静間から告げられた事実』のことだった。

 そして、それを確認するために陽太と霧島は前方に建つ乙黒探偵事務所を見上げた。

 相変わらずの小さなオンボロ事務所だったが、とても大きく見えた。

 そして、陽太は擦れる音の鳴るドアを開けた。



「来たな」


 乙黒はビールを片手に机に座り、ドアを開けた若き依頼者を見て、笑った。


「こんにちは。お久しぶりです。乙黒さん」


 陽太は丁寧にお辞儀をした。


「かたっくるしいのはきらい。ま、座りな」


 2箇所に雑誌が重ねられており、乙黒はそれを椅子として陽太と霧島に勧めた。


「御影充の家族構成を調査した……って」


 乙黒は陽太と霧島のいつもと違う雰囲気を察し、言葉を詰まらせた。


「てめーら、なんかあったのか?」


 陽太は膝の上で、拳を小さく握りしめ、静間宅での出来事を反芻するようにして、乙黒に言った。


「御影充は学校でのいじめが原因で自殺を図った。しかし、当時、宵崎高校に勤めていた教師たちは皆、御影充を救うことはできなかった。だが、その高校には御影充を『教師という立場からだけで見ることのできない人間』がいた」


 乙黒は「あ」と小声で呟き、小指で頭をかき、陽太を見つめた。


「……なんだ。アタシが調査するまでもなかったのかよ」


 霧島は陽太に続き、言った。


「以前見せてもらった乙黒さんの調査結果にはこうありましたよね。御影充の母はどこかの学校で講師を勤めていたって」

「……その通りだ」

「静間先生……俺たちの担任の教師から教えてもらいました……。御影充の母親は、『10年前、一緒に宵崎高校で働いていた』と」

「つまり……学校内で御影充のいじめを見て見ぬフリをして、自殺まで追い込んでしまった教師たちのなかにいたんですよ。彼の実の母親が」


 乙黒は立ち上がり、資料を掴み、陽太と霧島に見せるように広げた。


「探偵に依頼しといて、自分たちの力だけで、そこまで調べるか、フツー? アタシの立場もあったもんじゃないよ」


 乙黒は資料を睨みつけ、言った。


「御影充の母親……この女は、『母性の欠落した女』だよ」



* * * * *



「まず初めに父。父は御影徹ミカゲトオル。この人は最初に報告した通り、既に死亡している。そして、その実の娘であり、御影充の義妹であるのが、お前らが言っていた通り3年1組にいる御影零だ。そして、御影充の実の母であり、御影徹の再婚相手、そして、宵崎高校で当時講師を勤めていたのが、御影浪子(ミカゲ ナミコ)という女だ」


 ここまで一気に喋り上げ、乙黒はビールを喉に流し込んだ。


「なみこ……?」


 陽太は何かを思い出すように呟いた。


「ここまで調べ上げれば、御影充の苦しみも理解できる。学校でいじめられ、助けを求めていた彼は、唯一の母親にすら、見捨てられたんだ」


 陽太は資料に目を通しながら、呟いた。


「母親が実の息子が虐められているのを黙って見ていられますか。普通」


 乙黒は空いたビールを潰して、言った。


「だからその女は普通じゃなかったのさ。言っただろ。『母性の欠落した女』だって」

「……」

「おそらくだが、その女は自分の息子、御影充に対して、一切の愛情を抱くことができなかったんだ」


 霧島は資料がファイリングされたものを閉じ、陽太を見た。


「これで、なんとなく御影零の言っていた『あの女』の正体が掴めたかもね」

「……」

「おそらくだが、御影浪子。この女性こそが、御影零が最も恨んでいる女だと思うよ」


 乙黒はそんな霧島の発言を聞いた後に、手を上げるようにして、ぼやいた。


「だーがねー。この人に関しては、追えないっていうか、現在の消息すら掴めないんだ。今、どこで、何をしているのか、生きている保証すらないんだよ」

「当時は講師だったんだから、今は教師なんじゃないんですか?」


 陽太は瞬きをしながら尋ねた。


「そう思うだろ? だけど何故か、あとを終えないんだよなーこれが。まあ頑張ってみるけどさ」


 乙黒は頭をかきながら、溜息まじりに呟いた。


「だけど、この御影浪子って人を見つけたとして、『審判』は終わるのか。結局は『審判』を起こしてる人間には……」


 陽太は喋りながらも、霧島と目が合ったところで、思いついたようにはっと目を丸くさせた。


「そうだよ。つまりはこの御影浪子という人間が現れてくれることが『審判』の狙いなのかもしれない」


 霧島は口元を釣り上げて、不気味な笑みを作った。


「御影浪子に恨みを持っている人間。ということは、『審判』を作り出しているのは、御影零もしくは御影充、この二人に絞られたわけだ」


 「ふふふ」と笑いを広げながら、霧島は続けた。


「やられたね。僕たちみたいに御影充の過去を捜査し、その元凶となる正体を暴き出し、その正体である御影浪子を見つけ出すこと。それこそが『審判』の真の狙いである可能性が出てきたわけだ。ようやく。尻尾が見えてきたよ『審判』!」

「でも御影充君には、同情するよな」


 陽太は目を床に落としながら、呟いた。


「なんだか可哀相だ……」

「可哀相? 同情? キミは何を言っているんだ? ああ、そうか。御影零が犯人であることに賭けたいと言っているのか?」


 霧島は陽太に目を向けて、そう言い放った。

 どこか霧島の目は苛立ちを含ませているようだった。


「い、いや。そういうわけじゃない。素直にそう思っただけだ」


 今度こそ霧島の目に、完全なる怒りの色が見えた。


「何を言っている? 神谷君。キミはいつまで呑気なんだ! 関係のないクラスメイトが殺害されて、同情だと? いい奴ぶるのもいい加減にしたらどうだ!?」


 陽太はそんな霧島の激昂を初めて見て、動揺を隠し切れなかった。


「そ、そんなつもりで言ったんじゃ……どうしたんだよ。霧島……?」

「……誰彼構わずに同情するのが、ヒーローじゃない。僕の前で二度と、御影と名のつく者に同情するな」


 まるで思い切り殴られたかのような衝撃が陽太を襲った。

 今までいろいろな嫌味や、腹が立つような台詞を浴びせてきた霧島であったが、今は本当に怒っているのだと、陽太は感じた。

 だが、どうしてそこまで怒ることがあるのか、今の陽太にはわからなかった。


【同情するのが――悪イ――の、――か】


「まあ。喧嘩もそのへんにしてくれ。アタシはまだまだこの御影浪子とかいう女の調査を進めていくよ。お前たちは御影零とかいう生徒の監視を頼む」

「お願いします。乙黒さん」


 霧島はいつも通りの作り笑みに戻り、そう告げた。


「アタシもどうあれ女みたいだね。こういう奴がいるなんて許せないよ。自分の大切な人すら……子供すら愛せないなんて――」


 そのとき、部屋のなかで何かがざわめいた。

 暗く、大きな闇が、何かに圧し掛かったような感覚が響いた。

 そして、乙黒の喉に陽太は手をかけていた。


「え……?」


 陽太は、意味もわからない、理解が追いついていないとでもいうように呟いた。

 そう、その陽太の手はように乙黒の首を絞めた。

 乙黒は呆然と陽太を見上げた。

 陽太はそのまま乙黒を突き飛ばした。「がはっ」という鈍い咳を溢し、乙黒が雑誌散らかる床に叩きつけられた。


「か、神谷君!?」


 霧島は陽太を押さえつけるようにして止める。

 この状況に理解すらできていない。


「神谷君! なにをしてるんだ! キミは!」


 乙黒は「ぜえ、はあ」と息を荒くしながら、前方に立つ依頼人の顔を睨んだ。

 乙黒の全身からじわっと汗が吹き出てくる。痙攣が止まらずに、身体中に寒気と悪寒が走った。

 そのまま、この部屋にいる依頼人へと手を伸ばそうとした。

 そのとき、その依頼人の口元が動いた。

 そして、乙黒はそれをなんとか読み取った。


【――ヤ――メ――ロ――】


 神谷陽太の口はそう動いたように見えた。

 乙黒は息を荒げながら、呟いた。


「くそっ……『神谷陽太』……や……ぱ、り、お……ま……、が――」


 眼球はぐらぐらと焦点を掴めなくなり、そして乙黒は気を失った。


「え……え……?」


 陽太は自らの掌を見つめ、何度も呟いていた。


「神谷君? キミはいったい何を……?」


 ふっと、張り詰めていた糸が切れたように、陽太はその場に倒れた。


「神谷君! 神谷君! しっかりしろ!」


 という霧島の声だけが、薄れ行く陽太の意識のなかで響き続けていた。

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