元悪役は13回目の人生を歩く
ナージャ
第一章『繰り返す』
第一章『繰り返す』
(……んん…………なんだ? この感覚は……)
緩やかな微睡みから意識を浮上させると、ふわふわと漂うような、優しい暖かさに撫ぜられるような、不思議な感覚が男を襲っていた。いつまでも此処にとどまっていたいと思わせるような、そんな優しさで、温もりだった。
しかし、と男はぼんやりと思考する。己はもう成人手前の青年で、普段寝床にしているのは日の匂いのする藁の布団。間違ってもこのようなふわふわとした場所ではない。試しに薄目を開けてみると肌色の、何処か安心感を覚える柔らかさが目の前にあった。多分、これは女性の乳房だ。と気づいて、明らかにおかしい状況であることを理解した。女っ気のない生活を送っていた自分が、酒を飲み泥酔していた記憶もないのに何故このような事態に……そうだ、記憶。覚えている最後の記憶は確か……開いたドア。にこやかにこちらへ笑いかける顔。そして、頭部を襲った衝撃……。そこまで思い出すと、男の意識が途端にはっきりしだした。
あの頭部への衝撃。アレで己は死んだはずだ。死んでいなければおかしいと思う程の、それ程の衝撃だった。
詰まる所、この状況は。男は観念したようにゆるゆると今度は目を大きく開ける。
視界に映るのは、癖のない真っ直ぐな栗色の髪に、琥珀色の瞳。活発な少女だったのであろう名残を見せる日に焼けた健康的な肌とは対照的に、その目から滲み出る母性は、ぞっとするほど濃厚なもので。しかし艶やかさや華やかさに欠いたその女性は、男の遥か遠くの記憶に残っているのと同じ匂いを質素なその洋服から漂わせていた。
間違いようがなかった。この女性は、男の母だ。
「
「どうしたの? 何かいいことでもあったのかしら」
ふふ、と嬉しそうに笑う母を見て、内心ため息をついて男はまた目を閉じた。良いことなんて、あるものか。
「あら、ゆっくりお休み、カルステン」
カルステン。それがこの男の__いや、この赤子の名前だった。
***
「ぐっ、が、ハッ」
カルステンは苦しさのあまり咳き込んだ。目の前には星が周り、口の中には鉄錆のような味が広がっている。先程頬を殴られた時に口の中が切れたのだろう。
痛む頭を堪えて顔を上げると、目の前には見覚えのある男。怒りに歪めていても美しいその顔を見て、カルステンは(美形は得だな)などとぼんやり思考した。
「どうしてなんだ……ッ! 何故魔族に加担する……お前は人間じゃないか!! なんで……なんで……ッ!!」
男はカルステンの胸ぐらを掴むと、葛藤するように言葉を吐き出した。
自分を殴り、今は胸ぐらを掴みあげている金髪の男が、勇者と呼ばれる存在であることを、カルステンは
後、痛い。殴られた頬がとんでもなく痛い。ほとんど理由の説明もなくこの痛みを負わされた身としては、理不尽だと怒りたくもなってくる。これだから勇者は。自分の思っている事は説明しなくても伝わると思っているのかと言いたいくらい言葉足らずだ。
さて、唐突な話だが、この世界には『女神教』というものが存在する。世界を創造し、更に人の上に立つ種族、
『世界が混沌と闇に飲まれしとき』を『魔王軍が攻めてきたとき』に、『聖なる光をその身に纏し青年』を『勇者』と読み替えると、現在信じられている『光の勇者説』の出来上がりである。
実際には、預言は他にも二つほどあるのだが、広く知られている預言はこれ一つだった。
因みに魔王軍とは、魔王と呼ばれる一人の魔族に従えられ、ヒト族を狩る者達のことである。噂では、魔王軍はトップに魔王を置き、その下に四天王とその直属の部下、下っ端、従属させられた悪魔で成り立っている、らしい。ここで"らしい"という表記を使うのは、これがあくまで噂に過ぎないからである。
そして思うに、カルステンは今『悪魔に魂を売り渡し、魔族に加担したもの』として責められているのだろう。その筈だ。
何故そう思うのかというと簡単な話で、同じ理由で勇者に責められたことが
そんな訴えを出来るわけもなく、カルステンは未だ無抵抗で勇者に胸倉を掴まれている。
「なんとか言ったらどうなんだ……! こんな大変な時に……みんなに謝れよ!!」
勇者はなおも怒りのままに言葉を吐き出す。
これだけ怒っている相手__これが俗に言うガチギレというやつだろうか__に何を言っても無駄であることは赤子でもわかりそうなもので、だからこそカルステンは口を噤んだままだ。そもそもこちらが悪いと決めてかかっている奴相手に何を言い募れと言うのだろうか。いや、勇者からすると悪魔と契約している時点でカルステンが100%悪者になっているのだろうが。
カルステンは謝らない。生きる為には契約するほかなかった。生か死か。その間において倫理観など腹の足しにもならないものは捨て置くに限る。だから、彼は絶対に謝らない。悪い事をした、という意識が欠片もないからだ。誠意のない謝罪が如何に空虚であるかは、カルステンもよく知っていた。
だいたい特に人間の不利益になるようなこともしていないのに何故個人の契約に他人が口を出そうというのか。余計なお世話もいいところだ。と、カルステンの思考が逸れ始める。
「謝ることすら、しないのか……ッ」
出会い頭に殴られた頬が痛くて喋れないのだよ、と喋れても謝る気はさらさらない癖にカルステンは勇者を睨む。だいたい何に謝れと言うのか。
なら、しょうがない。こうはしたくなかったけど。と、勇者がぼそぼそと呟いた後、場に光が走る。
光が収まった後に現れたのは真白の体が美しい一頭の
自らの住処と同じくらいの大きさのそれを見ても、カルステンの表情は変わらない。
「悪魔と契約した人間は、聖火で焼く以外に浄化の方法がない」
だったら自分が謝るだの謝らないだのは関係ないのでは、と思いつつもカルステンは勇者の言葉の続きを待つ。
「行け、アヒム。【
短い詠唱の後に来るのは先程よりも強い光を放つ白い炎。それが束になって一直線に竜の口からカルステンへ向かう。至近距離からの攻撃に、カルステンは避けることも叶わず、炎を浴びる。
肉が焼ける臭いがして、それが自分から漂っているものだとカルステンが気づくまでに一瞬の間もなかったのは、良くも悪くも
まぁそれでも慣れとは怖いもので、我が身を焦がす炎の感覚に慣れつつある__とはいえ焼かれていることに変わりはない__カルステンは、自分の意識がもうすぐ途切れるのであろう事を知っている。長年の勘である。嫌な勘だ。
朦朧とする意識の中カルステンは(またか)と思う。今回生を受けた時すぐに感じたことと同じだ。やっぱりカルステンはこの男に殺されるのだ。何回やっても同じ。この男だけが、カルステンを殺す。
多少諦めのようなものが混じったまま、薄れゆく意識に逆らわず、身をまかせる。最も任せる身はもう大部分が焼けてしまっているが。
そうして、意識が途切れる間際、カルステンは確かに己を優しい何かが撫ぜるのを感じた。
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そして世界は繰り返す
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