オクラホマ美紀さん

赤子捻捻

美紀さんと学食


「ううわあああああああああああああああああ!!!!!」

 美紀さんが叫んでいる。食堂の壁際にある購買のパン売場で。

 そこから少し離れたところにいる生徒も、その声を聞いて瞬時に理解した。彼女の目当てのパンが売り切れたのだ。

 四月の初めには食堂にこの声が響くたびにちょっとした騒ぎになり、三回に一回は教師が駆けつけてきたものだが、今は六月。だいたい週に一、二回のペースで響きわたる美紀さんの悲鳴は、すでに全校生徒および教職員にとって日常の風景となった。

 ひとしきりの絶叫の後、美紀さんはがっくりと膝をつき、床を両手で殴りながら「くうぅぅ……くぅぉぉぅぅ……」と苦悶のの声を上げ始めた。目からは大粒の涙がこぼれ、自分の力ではどうにもならない現実を前にした絶望を全身で余すことなく表現している。これもいつもの風景だ。周囲はとっくに美紀さんの悲鳴に慣れたが、本人は未だに自分の目当てのパンが売り切れてしまった悲しみにまったく慣れることが出来ていない。

「美紀さん、いいかげんパン売り切れるのに慣れなよ」

 僕は美紀さんの肩に手をおいた。

「慣れたらあかん!慣れたらあかんのです!これに慣れたら私は、私やのうなってまいます!」

 そんな僕のなぐさめに、美紀さんは相変わらず全く共感できない信念を、うさんくさい丁寧語まじりの関西弁で語る。

 美紀さん曰く、彼女は帰国子女で生まれはアメリカのオクラホマらしい。三歳の時に京都に引っ越し、十歳から東京に住むようになったので、英語・関西弁・標準語のどれを話しても絶妙な違和感を醸し出してしまうのだそうだ。そして、どのみち違和感があるなら、と普段は一番慣れ親しんだ関西弁で話している。

 丁寧語で話す理由については「淑女やし」の一言で済まされた。

 美紀さんが僕に謎の信念を語っていると、ふいに一人の男子生徒がおずおずと美紀さんに近づき、自分のパンを差し出した。

 驚いた。そんなことをする生徒がまだいたとは。おそらくあの男子少年は今日初めて美紀さんの絶叫を聞いたのだろう。普段は教室でお弁当を食べているのかもしれない。

 男子生徒の存在に気付いた美紀さんは視線をまずは差し出されたパン、それから男子生徒本人に向ける。そして、両手を使った丁寧な仕草で、差し出されたパンを男子生徒の方に押し戻し、ゆっくりと、しかしきっぱりとした口調で

「おおきにです。せやけど、これは受け取れまへん。これを受け取ったら、私は物乞いになってまう。私は人様のもんが欲しいて泣いとったんとちゃう。ただ、悲しいて、泣いとったんです。私を、みっともない物乞いにさせんといてください!私の涙を、綺麗なままでいさせてください!」

と言い放った。

 人前で大声で絶叫するのは十分みっともないと思うのだが、それは彼女にとっては問題ないらしい。

「で、どうすんの?」

 僕はすでに答えが分かっていながら、美紀さんにたずねた。

「今日はお昼、食べません」

 極端。しかしこれもいつも通りの反応だ。

「じゃあ、教室戻ろう」

「はい」

 僕は食堂の出入り口に向かって歩き始めた。後ろからひょこひょこ歩く美紀さんの気配がする。

 さっきの男子生徒の友人が

「あれはほっといていいんだよ」

と言っているのが聞こえる。

「彼氏がいるんだから」

それは誤解です。

 「今日は食べない」と言っていた美紀さんだが、教室に帰ってから僕のお弁当の三分のニが彼女の胃袋に収まった。いつものことなので何も言わなかったが、なぜ僕の弁当は食うのか。なぜ僕よりも食うのか。どうせならあの男子生徒にパンをもらえば良かったのだ。そして、それを僕にくれれば。

 と、そんなことを思うのにも慣れた。なんといってももう六月だ。本来は梅雨の時期だが今日は珍しく晴れて暖かい。窓際にある僕の席にはさっきから優しい日差しが差し込み、周囲の空気をぽかぽかとあたためている。

 そんな日差しの中で、机をはさんで僕と向かい合って座っている美紀さんが僕の弁当のデザートに一個だけついていたミニゼリーを美味しそうに食べている。

「美味しいわぁ甘いわぁ」

と呟きながら。

 まあ、この日差しの中、満腹で授業中に眠くなるよりはマシか。そんなことを考えている間に、もうすぐ昼休みが終わる。

 

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