草場に吹く風の行方:3
台車に収穫物を満載して、いつもの通り導入光が淡くなるころ『住処』へ帰る。バスの入港にも気付いていたから、自然足は速くなった。裏口を開け台所へ。調理台へと野菜を上げている途中で名を呼ばれた。
応接室の重い扉を引き開ける。呼びに来てそのままくっついてきたデイブンが、その扉を引き受けてくれた。
ふわりと香ったのは、『住処』の裏で栽培しているハーブのお茶。お茶請けは農場産の桃で作ったゼリー。どちらも手がつけられた様子もなく。その茶と菓子の前でデイブンとそう変わらない横にも縦にも大きな男が、不機嫌そうな顔を隠しもせずにユニを待ち構えていた。
「連れてきたぜ、配達人さんよ」
「……このガキが」
男はじろりとユニを観察する。頭の先から足の先までじっくり眺め回して、視線は最後、首から提げた端末で止まった。
覗いてみればベルは自分の姿を切っていた。画面には、綺麗な直線が絡んでいる画が映っている。
それからようやく睨むようにして目を合わせてきた。……居心地はかなりよろしくない。
「突っ立ってないで入ったらどうだ」
つい肩をすくめる。おずおずと足を出す。
低い声だった。怒られたみたいな気がする。扉なんて閉めてしまえたら良かったのかもしれないが、呼ばれてきた手前、諦めた。
僕に何の用だろう。もちろん、見たこともないこの人に何か悪さをした覚えなどあるはずもなく。
「あんたに荷物だ。今度は高価なものなんでな」
男はデイブンを見、ふんと嗤う。ぐっと言葉に詰まったような音が背後から聞こえた。
テーブルの上に置かれていたのは小さな箱だった。男の手と比べると握りつぶせそうな程で、ユニの小さな手と比べても十分小さいと言えた。
「これ?」
テーブル越しに伸ばした手が箱に触れる直前、すっと箱が引かれた。指でつまむように箱を待避させたまま、男はより一層不機嫌そうに顔を顰めた。
「その前に」
ユニを睨む。
「何故こんなガキに」
睨まれてもガキと言われても、ユニには返す言葉がない。どうしよう。ちらりとデイブンを振り返る。目が合うと、肩をすくめてみせられた。
ユニは男へ向き直る。
「僕だって知りません。これだって」
揺れる端末をつかみ、見る。届け物と言われたから受け取った。間違いなさそうだったからそのままユニが持っている。ベルはそれで良いと言い、誰も何故とは言わなかった。……何故僕に。その疑問は、持ち続けてはいるけれど。
ベルは無言のままだ。画面の向こうできっと聞いてはいるのだろう。
「そんなものは単なる玩具だ。これは」
深いため息。緩く首を振ったのは諦めの表れだったか。男はその無骨そうな手で小箱をそっとテーブルに置いた。僅かに逡巡し腕を引く。ユニが拾い上げても、もう文句は言わなかった。
爪を使って封を切り、小箱を開ける。男の見ている前でケースを出す。
ことりと音を立てながら置かれたケースの中には。花の意匠が繊細な。
ダイヤのピアスが一つ、入っていた。
『アッシュダイヤよ』
身につけやすいように加工してしまったんだけど。苦笑混じりでベルは続ける。
画面の向こう、時折金糸の隙間から覗くベルの白く薄い右耳にはきらりと輝くピアスがある。ユニの手の中のそれの、相方。
ユニは端末とピアスを持ったままベッドに仰向けに転がった。切ったまま伸びただけの視界を邪魔していた髪が、ふわりと浮いて頭の上へと落ちていった。ユニの指の合間から、ピアスのダイヤがきらきらと蛍光灯の光を跳ね返す。
アッシュダイヤはユニでもどうにか知っていた。こんな場所だから、なされる会話に時折覗く言葉でもある。
宇宙に出て人は埋葬という習慣を捨てた。捨てざるを得なかった、とも言う。
土地は有限で、火葬に必要な酸素は貴重だった。また炭素や窒素やカルシウムなどの生産に必要な元素はすべて希少で、地球から持ち出すにはコストがかかる。
それは、葛藤と選択の結果だった。
墓という形を残せない代わりに、裕福な一部の人々は遺体の一部を加工し残すようになった。アッシュ(遺灰)ダイヤモンドという宝石は、幾つか提案実現された方法の一つだった。
つまり、これも。
元は誰かの遺灰だった。
「……誰の。なんで僕に」
あの男でなくとも思うことだ。突然送られてきた端末。見知らぬ少女。ベルはユニを知っていても、ユニはベルを知らない。野菜作りに感動し、寿命が尽きるのをただ待つ人々に興味を持ち、土に虫に悲鳴も歓声も上げる、そんな女の子、ということしか。
どこの誰で、どうやってユニを知り、何故興味を持ったのか。そのすべてを何一つ知らない。……知らないままでも良かったけれど。
アッシュダイヤは決して安価なシロモノではない。おいそれと別けるようなものでもない。
『ユニには持つ権利がある。そして、持っていて欲しいと思ったから』
未来永劫変わらないもの。ずっと有り続けるものとして。
ベルは言葉を切る。カメラを通して、まじまじとユニを見る。ユニの顔を。
そしてふわりと微笑んだ。最初に画面に現れた、あの時と同じ笑みで。
『そうしてみると、お母様にそっくり。私よりきっと似てるわ』
男の子なのにね。ベルは笑う。
ユニは目を瞬く。
おかあさま。その、聞き慣れない音に。
えぇと、それは、どういうこと?
「僕が」
『他に誰がいるの?』
くすくす。ベルは笑う。害虫除けとか言いつつアランが植えた、真っ白い薔薇のようだと、ユニは頭のどこかでぼんやり思う。
……あれ、つまり?
「……おねえ、ちゃん?」
家族というものがあると聞いたことがあった。お父さんがいて、お母さんがいて、兄弟姉妹がいることもあると。成人し、独り立ちをするまでずっと一緒にいるものだと。
それはユニにはなかったもの。
生まれると同時に母を亡くし、死にゆく人々の間で育ってきたユニには、持ち得なかったもの。
問うようなユニの声に、ベルは大きく頷く。
『そうよ。お姉ちゃんなのよ。弟くん』
幾つか調べさせてもらったとベルは告げる。ユニの生年月日に母の名前。難しかったけれど、DNAの鑑定もどうにかできたということ。間違いないわと、断言する。
言われた内容の半分もユニには理解出来なかったけれど。
ユニはベットの上に身を起こす。言葉が出かかって、音にならず、唇を噛む。
ずっとずっと昔。デイブンにねだって窘められ、泣いてもすかしてもダメと言われ。諦めたのはいったい何時のことだったか。
求めるように唇を緩め、言葉を探して再び閉じる。
ついて行きたかった。知らない世界を見てみたかった。ただ。
『ずっと』という言葉を探して。
「……会いたい」
三度目に口を開いて、ついに零れた。
『……会いたい?』
ベルは静かに微笑んでいる。画面の向こう、近くて遠い、ここではないどこかで。
一度零れれば、次は容易だった。
「会いたい! 画面じゃなくて! ベルに会ってアランじいちゃんの話とか、アニーおばちゃんの話とか、……おかあさんのこととか、たくさんたくさん話したい! トマトでジュース作って、草餅作って、コオロギの合唱聞いて、」
それから、それから。
ベルは画面の向こうで、にこにことユニを見る。やりたいことを挙げ続け、ついには息を切らしたユニへ。静かに。
『……そうね。会えたらずっと一緒に居る』
「ほんとう?」
『死ぬまで。ずっと』
ベルはふわりと笑んだ。それも良いと思ったの。言葉をそう継いだ。
ずっと。それは、ユニが望むことすら出来なかった言葉。
「いつ会える!?」
ユニは指折り数える。次のバスはいつだっけ。ベルの居るところまで一体どれくらいかかるだろう?
くすり。ベルの笑みがしょうがないなと口ほどに言っている。
『十年、かな』
「そんなに?」
『まず学校に行かないとね。立体通信校でいいわ。それから、資格をとって』
「待って、えと、学校? しかく?」
ユニは指の目的を慌てて変える。ベルの挙げる『必要なこと』を一つ一つ数えていく。
学校に行く。高等学校までは必須。出来れば医学系の専門知識を学ぶ方がいい。スペースバスの運転資格、きおうしょうのとうろくに、きゃりあうぃるすのとくていに、意味は後で調べなくちゃ。デイブンなら分かるかな。それから、それから。
『ユニに機会(チャンス)をあげる。正当な権利でもある』
ユニは目を瞬く。そして、知らず、挑戦的な笑みが浮かぶ。
その言葉は……『チャンス』は……コロニーの外にしかないものとだと、思っていた。
「絶対会いに行く!」
少年の無邪気な宣言を、画面の中の少女は誇らしげに……少しだけ寂しそうに、見守っていた。
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