5-10 巨人たちの黄昏

 王都の尖塔にも等しい巨大な砲身が仰角45度を保ったまま東の空へと旋回する。蒼天に燦然と輝く日輪の炎をあびて、黄銅色の装甲からは灼熱の陽炎がたちのぼっていた。大地を喰らう巨獣のごとく。鋼板を連ねた無限軌道が破砕した木石を巻きあげながら海岸線へと近づいていく。


「浮遊要塞バハムート、視界にとらえました!」

「やはり海か。けれど、人魚マーメイドからの連絡がないのはなぜだ!? 奴らも裏切ったのか?」


 額に角をもつ巨人ティターン族の長老たちが指令室のシートにおさまり、前方にひろがるモニターをにらみつけながら、かしましくさえずっている。


「おのれ、狡猾な人間ノーマめ! 勇者リクの偽善を旗印に押したて、日和見どもを手なずけおったに違いないわ」

「リクの幻想もいずれは朽ちる。人間ノーマの欲望に限りはないからのう」

「けれど、そうなってからでは遅いのだ。いまこのときに叩かねば、我らの義挙は永遠に愚行と嘲笑されることになろう」

「モンキーポッド卿、わかっておるな。あのバハムートはベヒーモスと設計思想を同じくする姉妹機。最強の矛と最強の盾を兼ね備えておる。前面に展開するであろうイージスの盾を突き崩すためには、ブリューナクの槍の出力を少なくとも120%程度まで高める必要がある」

「増殖炉の限界を試すことになるが、けいならば可能であろう。いや、この機動要塞ベヒーモスのメインエンジンを設計した卿にしかできぬことだ」

「我ら巨人ティターンの命運を託すのだ。失敗は許されぬ」

「卿こそが機動要塞ベヒーモスだ。裏切り者どもに鉄槌を下せ」


 後ろの座席で唾をとばす観客たちを黙殺し、深緑の軍服に身をつつんだ小柄な将官はありとあらゆる計器に4つのターンテーブルが並んだ操作パネルを前に熟達のピアニストのような繊細で素早い指運びを見せる。


「……川のせせらぎ、砂のささやき。火の爆ぜる音、そよぐ風の声」


 巨獣の奥深く、ベヒーモスの心臓たるメインエンジンが彼女の指先にあわせて拍動する。主軸に十字に固定された黒・青・赤・白の円筒形タンクが前後に動くと、先端から土・水・火・風の四属性の魔力の霧が規則正しく噴きだし、主軸の回転にしたがって撹拌かくはん・混合されていく。属性の異なる魔力の霧は複合属性という魔導反応によって爆発的なエネルギーを生みだし、そのエネルギーがさらなる主軸の加速とタンクの上下運動へと転化されていく。

 器械運動と魔導理論が芸術的な領域で嚙みあった無限増殖炉。四属性の魔力供給量は寸分の狂いも許されず、停止と暴走の断崖が両側にうがたれた細い道を彼女の美しい指先が高速で駆けぬけていく。

 

「まもなく臨界点です!」

「照準は!?」

「浮遊要塞バハムート、四属性の精霊角の発光を確認。イージスの盾です!」

「メインエンジンは同型機だ。あとは奏者の腕次第」

「バハムートの奏者はおそらくシリウス・ライラプス」

「成りあがりの小娘が。名門モンキーポットの血に勝てるはずがなかろう」


 シートに座ったままでも感じることのできる規則正しい巨獣の鼓動。リング状の圧力容器の回転速度が増し、魔力タンクが激しいビートを刻んでいる。前面モニターには主砲から黄金の粒子が霧のようにあふれでるさまが幻想的な美しさで映しだされ、砲身の先には雲ひとつない青空を背景に孤影をさらすバハムートの雄姿があった。上下2枚ずつ計4枚の翼をひろげて飛翔する白銀の機体は気高く、あのひとそのもののように揺るぎない意志をたたえていた。


「……逆巻く波涛、荒ぶる砂嵐。劫火が呑みほし、烈風が咆哮する」

「臨界点突破! ブリューナクの槍、発射可能です!」


 臨界点を突破したことで複合属性の魔導反応は不可逆となり、二属複合、三属複合、四属性の完全融合へと指数関数的にエネルギーが膨らんでいく。

 

「まだだ! モンキーポッド卿、十分に引きつけてから。120%まで待て」

「浮遊要塞バハムート接近、お互いの射程距離圏内です!」


 緊迫した指令室の喧騒も彼女の耳には届かない。魔力供給をコントロールするターンテーブルを小刻みにまわしながら独り静かにベヒーモスと対話している。


(付き合わせてしまってすまないね。おまえをこんなつまならない喧嘩に巻きこんでしまって。……そうか。わかってくれるか。ありがとう)


 この巨獣を造りあげるために要した10年の艱難辛苦が脳裏を埋めつくし、同時にそれと重なるように愛する人と過ごした甘く苦く幸福な時間が1コマ1コマ鮮烈によみがえってくる。いつまでも色鮮やかに心に刻まれた記憶。逆に、いま瞳に映るものは過去の風景のようにセピア調に色褪せて、


「105、110、115、120%!」

「ブリューナクの槍、撃てええ!!」


 主砲は沈黙したまま。光の粒子を振りまくのみ。


「……おい! どうした!? なぜ発射しない!?」

「事故か? 聞こえているのか!? モンキーポッド卿!」


 ――キュイーン!! キュイーン!! キュイーン!!

 けたたましく鳴り響く異常警告音。


「無限増殖炉内の圧力さらに上昇! 130、140、150!」

「早く発射したまえ!!」


 館内の配管から光の粒子がただよいはじめる。鉄錆びた臭い。不穏な暑さ。


「緊急停止だ!!」

「バハムートが砲身をこちらに向けました!」

「ルクレシア! いいから撃て!!」


 操作パネルに置かれた指は滑らかに動きつづけている。

 恐怖に顔を歪ませた巨人ティターンの長老たちが操縦席を取り囲むものの、下手に刺激を与えて致命的なエラーをまねく事態を恐れて手が出せない。

 

「貴様、勇者軍に寝返ったのか!?」

「我らを裏切ったのか、ルクレシア!?」


 小柄な巨人ティターンは感情のない黒い瞳を大型モニターに据えた。


「……わたしは裏切らない。わたしだけが裏切らない。あなたがたが勝手にはじめた戦争がわたしたちのあいだを引き裂こうとも。わたしは自分の心を、たったひとつの愛を裏切りはしない」

「この痴れ者が!!」 


 強烈な拳がルクレシアの頬を撃ちぬき、華奢な身体を操縦席から壁まで吹きとばした。同時に床から突きあげる縦揺れが指令室を襲い、全員が宙に浮いた。


「メインエンジン破損! 圧力容器が大破しました!」


 伝送装置を頭にかぶったまま、オペレーターが悲鳴のないまぜになった叫び声をあげる。


「ルクレシア! 貴様ァ!」


 ふたたび激しい横揺れが足もとをすくい、長老たちが椅子や壁にしたたかに叩きつけられる。前方のモニターには、近づく浮遊要塞バハムートの威容と光の粒子があふれる主砲の姿が映しだされていた。


「直撃するぞ! 全員退避だ!」

「裏切り者ども! 決して許さぬ!!」


 壁にもたれかかり、腫れた頬に手をあてたルクレシアが口のなかの血と折れた歯をペッと吐きだした。


「……どうかわたしの心はあなたのもとに」


 勝利者としての矜持を笑顔に咲かせ、けれど次の瞬間、その表情が凍てついた。

 前面モニターにおおきく映しだされたバハムートがゆっくりと左に傾いていく。一拍おいて主砲から放たれたブリューナクの槍が、目標をはずれて空に虚しく光の帯を引く。4枚の翼をほぼ垂直に、白銀のバハムートが地表に突き刺さり、装甲が折れ曲がり、破片が四散する。そして、砂塵をまとった衝撃波がモニターを黒く塗りつぶし、左右から火の手があがった。


「……バカ。お互い、どうして、こんなに」


 わずかな怒りとどうしようもない悲しみ。そして、怒りと悲しみでは覆いつくせないほどの愛しさ。自分と同じ結論にいたった恋人の愚かさと愛情を小さな胸に抱きしめて、ルクレシア・モンキーポッドはとめどなく涙を流し、声をはなって泣きじゃくった。

 爆発があちこちで起き、指令室を黒煙と炎が席巻する。

 勇者リクと魔王との最終決戦がおこなわれることとなる前日、巨人ティターンの誇る機動要塞ベヒーモスと浮遊要塞バハムートは一戦も交えることなく自壊した。

 


 ◇



 ルクレシアの昔語りを聞き終えて、時間が止まっていたかのようにネネは肺の奥から息を吐きだした。


「……バハムートに乗っていた人はみんな亡くなったの?」

「半数以上が亡くなられたと聞きました。吾輩も半死半生だったところを医療ゴーレムに治療されて、意識を取りもどしたのは1カ月後のこと。すべてが終わり、巨人ティターンは散り散りに姿を隠した後でした」


 ルクレシアは、ぽつり、ぽつりと付け加える。

 魔王軍にくみした陣営は人間ノーマたちの報復を恐れて。勇者軍に寝返った一部の巨人ティターンたちも最後に浮遊要塞バハムートを自沈させたことを咎められ。同族同士で戦ったことでひとつにまとまることもできず、疑心暗鬼のままバラバラに落ちのびるしかなかった、と。


「……ボクの両親は」


 目をつむり、ルクレシアは首を横に振った。


「吾輩は一族の大罪人ですから。逃げ散った同胞と連絡をとりあうこともありません。けれど、冷凍睡眠コールドスリープ機能つきの脱出艇に赤子を寝かせたまま捜しにこないということは、やはり亡くなられたのだとおもいます」


 キレイに七三に撫でつけられた髪を深々と下げて、


「ネネ様の人生を狂わせたのは吾輩です。

 許しを乞うことはいたしません。ただ、いかなる報復も受ける所存です」


 ネネが戸惑いを浮かべて、俺に助けを求めて視線を投げかけてくる。

 俺はコホンと咳払いすると、


「亡くなったと決まったわけでもない。これから世界をめぐる旅の途上で、手がかりをいっしょに捜していこう」

「……うん。ありがと、カガト」


 ピロリン♪ と音が鳴る。

 気休めだとはわかっている。勇者リクと魔王との戦いからどれほどの時が経ったというのか。けれど、グランイマジニカがご都合主義のゲーム世界であったことも確かで、もしかするとどこかで再会するという奇跡がないとも言いきれない。

 ネネは三角帽子を再び頭にのせると、


「……ボクもここの会員にしてもらえますか? 巨人ティターンのこと、もっと聞かせてほしいから」


 顔をあげたルクレシアは髭に指をあてて嘆息した。


「強い……ですね。さすがは勇者御一行様。あなた様方はVIP会員といたしましょう。いついかなるときも歓迎いたします」


 カウンターにもどると、机の下から一枚の手紙を取りだして俺に差しだした。


「……グノスン様からの預かりものです」


 二つに折られただけの紙片をひろげると、草書体のような達筆がおどっていた。


『親愛なるカガトへ。

 わしはアザミに来てからというもの、便所の中までナイトクラーケンに張りつかれている。人魚族との諍いについても、ナイトクラーケンたちの目が常に光っていて、脅えた住人は口をつぐむばかりだ。

 たまたま、奴らが立ち話をしているのを盗み聞くことに成功して、人魚を何人か捕まえたという会話までは拾ったのだが、肝心の監禁場所がわからない。捕らえられている人魚族に接触できれば、ナイラの悪行の証人とすることができるのだが。

 あと、不可解な情報がある。聖典教会に出入りする船大工が、わざと沈むように船に細工をした、と告白したらしい。ナイトクラーケンの指示で秘密裏におこなわれた作業だったが、陰謀に加担したような後味の悪さをまぎらわせるため、懇意の神官にこっそりと打ち明けたというのだ。

 知ってのとおり、わしの勘はよく当たる。カガトがいくら凄腕であろうと、乗っている船が沈んでしまえば無事では済むまい。ナイラが船に乗るような依頼をしてきたときは必ず「浮遊」の効果が付与された魔道具を装備してほしい。

 また情報をつかんだら連絡を入れる。カガトも何かわかったら教えてくれ。

 グノスン・グレイホースより』


 手紙から顔をあげると、ルクレシアが優雅な所作で店の一画にある水着がつりさげられたコーナーを指し示した。アンティーク調の上品なハンガーラックにはワンピースタイプの水着からおよそ水着とは呼べない紐状のもの、お約束の貝殻水着まで、マニアックなラインナップが並んでいた。


「……当店ではお客様の安全を第一に考え、すべての水着に浮遊の風魔法『フロート』が緊急時に発動するよう仕込んでおります。繊維状にした魔道具を織りこむ技術は当店独自のもの。決して他店では手に入らない趣向を凝らした特注品ばかりでございます」


 慇懃に一礼するルクレシアの切れ長の目がキラリと輝いた。

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