6-12 光あれ

 すでに玉座の間の入口は落下してきた石材で埋もれている。逆に入口とは別の壁が崩落し、廊下へとつながる隙間が生まれていた。朦々たる砂塵がただようなか、俺はネネをお姫様だっこして大小の水槽を飛びこえていく。


「……か、カガト、ボク、まだ下着が」

「些細な問題だな。生きてこの部屋を出ることが先決だ。それに無事にこの猫人の廃城を脱出できたあかつきには、さきほどの続きをすることは俺の中では確定事項。つまり、いま履いても、すぐにまた脱がされることになるというわけだ」

「……ボク、これ以上されたら、セシアの前でも我慢できなくなるかもよ?」


 めくれあがった黒ローブから突きだした生脚が、俺の二の腕を挟みこむようにからみつく。足場の悪いなかの激しい上下運動に、ネネは声を漏らさないように自分の手の甲を口に押しあてた。

 猫耳三角帽子になかば隠れてはいるものの、朱に染まった頬と悦楽にうるんだ瞳はいつにもまして煽情的で、腕に押しつけられたネネの脚の付け根からはじんわりとしたあたたかさが袖をつたって俺の腕を湿らせる。当然、俺のSPゲージは振りきれたままだ。


「二人とも、イチャイチャしてる暇はないにゃ!」


 集中力が散漫になっていた俺の頭上へ落ちてきた石塊を、ユズハがつらぬき丸の一突きで破砕する。そして、床に横たわるアドバンスゾンビたちの美しい亡骸を一瞥いちべつすると、グッと唇をかみしめた。


「こんな結末はアタシが終わらせるにゃ」

「女、貴様だけは逃さぬ。ここで惨たらしく潰れて、アンデッドの一員となり、未来永劫、私の愛を汚した罪を悔いるがいい!」


 頭だけになったシャフリヤールがまだしつこくわめいている。

 リッチのステータス画面にはたしか「魔力で構成された霊体を消しさったとしても数年で復活する。完全に滅ぼすためには魔力の供給を遮断した状態で封印し、さらに100年の歳月を要する」と記載があったはず。この場を脱出できたとしても早いうちにこいつを完全封印しなければ、今回のような災厄がいつまた繰りかえされるかわからない。


「我、死の洞察者たるシャフリヤール・アスデモスは、混沌の闇に問う。

 我が影に淀む悔恨は、重く深く冥府の凍土に沈みこみ、暗き根を張りおるか。

 怨みは我が身もろともに仇敵を時の牢獄へと縫いとめる! シャドウステッチ!」


 陰鬱な呪詛が完成すると、落下物を軽快なステップでかわしていたユズハの足がピタリと止まった。砂ぼこりに濁るライトの光に照らされて、薄ぼんやりと床に浮かぶ影には真っ黒な杭が打ちたてられている。

 術者と対象者を共に金縛り状態とする闇魔法「影縫いシャドウステッチ」だ。ラストダンジョンである魔神城に出現するC級(上級魔)の「シャドウ」が使用する魔法で、他には煉獄の魔人ザザ・フェンリルが唱えてきたと記憶している。過去の周回ではパーティーメンバーがいないソロプレイではなぜか敵も使ってこない親切設定であったため、充分な検証ができているわけではないものの、解除方法は効果が切れるのを待つか、術者を倒すほかなかったはず。


「時間がない。このままユズハをおぶっていく!」


 ネネをいったん降ろして、金縛り状態のユズハを背中に乗せようとして、


「にゃうん! 変なとこ触っちゃダメにゃ!」

「ぐっ! お、重い」

「違うにゃ! 魔法の効果にゃ! アタシはそんなに重くないはずにゃ!」


 そうこうしているうちに、真上の天井が剥がれ落ちて、


「う、う、上にゃ!」

「あ、えーと、必殺! カガトスラッシュ!」


 間一髪、性的興奮のため刀身が倍加したエロスカリバーで両断した。パラパラと石つぶてが降りしきるなか、右往左往する俺たちを見て、頭だけになったシャフリヤールが哄笑する。


「ハハハ! まだまだ空は遠い。上の階、さらに屋上が落ちてくるぞ! そのまま全員まとめて潰れてしまえ!」

「……王ハ私ガ守リマス」


 近くの床に倒れていたミイラキャットが膝を持ちあげると、首が奇妙に折れ曲がった状態のまま半身を起こし、両腕の包帯をシャフリヤールめがけて解きはなった。


「貴様! ミイラキャット! まだ動けるとは忌々しい! この! 私に刃向かうならば、魂ごと焼き尽くしてやるからな! ぐむぅ!!」


 シュルシュル! と巨躯を覆うすべての包帯を吐きだし、シャフリヤールの頭部をぐるぐる巻きに覆っていく。落ちくぼんだ眼窩がんかにそこだけが狂おしく輝いていた紅い眼も、幾重にも包帯をかぶせられると次第に光をうしない、最後には悪態も漏れでてこなくなった。


「私ガ奴ヲ100年デモ200年デモ、コノ孤城ニ繋ギ留メテオキマス」


 聖別された包帯はシャフリヤールの闇魔法を完全に遮断したらしく、影縫いの術が解けたユズハが俺の腕の中へ倒れこんできた。念のため、そのまま持ちあげてみる。

 うん。重くない。

 ついでに柔らかさも確かめるため、ズボンの隙間から指を入れて、


「だから! そんな暇ないにゃ!」


 突きとばされて、たたらを踏む。

 ユズハはサッと身をひるがえして、床に崩れおちたミイラキャットのもとへと駆け寄った。すべての包帯をシャフリヤールの封印のために捧げきった古代王国の神官はまぶしそうに紅い眼をほそめて帰還した王家の血脈を見あげる。

 ユズハがにじり寄り、ミイラキャットの干からびた手をとった。


「ありがとうなのにゃ」


 皮膚が骨に貼りついただけのミイラキャットの顔がほころび、紅い眼がまたたく。いままで包帯に覆われていて気がつかなかったが、重厚な胸板には銀色の横笛が提げられていた。


静寂しじまノ笛デス。宝物庫ノ中デ、コレダケハ肌身離サズ持ッテイマシタ。サア、イマコソ王ニオ返シシマス。キット戻ッテキテクダサルト、信ジテイマシタ」


 曲がったままの首を下げて、静寂の笛を取りやすいように身を屈める。

 ユズハがうやうやしく笛を受けとると、ミイラキャットは床に手をついたまま這うように後ろにさがり、包帯によって糸玉のようになったシャフリヤールの頭を両腕にしっかりと抱えこんだ。


「ミャアジャムヨリモ立派ナ国ヲツクッテクダサイ」

「うん。約束するにゃ。アタシはもう逃げない。猫人ケットの子どもたちが安心して笑いあえる国をつくってみせるにゃ」


 天井の石組を支えていた巨大なはりが落下し、衝撃で床が崩落する。ミイラキャットは包帯の糸玉をがっしりと両手両足で抱えこむと、「アトハ頼ミマシタヨ」と全身の筋肉をつかって丸くなったまま床にあいた暗渠へと転がり落ちていった。


「……カガト、ユズハ、急がないと出口が」


 ミイラキャットに黙祷をささげていたユズハの腕をつかみ、ネネを小脇に抱えると、俺はわずかにあいた壁の間隙を潜りぬけて廊下に走りでた。直後に、轟音と共に玉座の間全体が瓦礫に埋もれてしまったものの、崩壊は廊下まで波及することなく、ユズハが助けて廊下に避難させておいた猫人の娘も無事であった。

 まだ眠ったままの猫人の娘にネネの予備の黒ローブを着せて背負うと、俺たちは一目散にセシアたちが待機している小部屋目指して駆けもどった。


「ああ、よかった!」


 運良くというかシャフリヤールを封印した影響なのか、アンデッドに1体も出くわすことなく最短ルートでたどりついた俺たちに、入口に哨戒として立っていたセシアがすがりついてきた。聖騎士の兜から覗く顔は蒼白で、


「カガトどの、大変です! ククリが、もうすぐ産まれそうなのです!」


 10畳ほどの四角い室内にはククリの苦しげな喘鳴ぜいめいが充ちていた。一緒に連れてこられた10人ほどの猫人に囲まれて、栗色の縮れ毛がべったりと額に貼りつき、滴りおちる脂汗の量が尋常ではない。いちおう毛布をかけられているものの、ククリの顔は土気色で、ふっくらとしていた頬は短時間のうちにげっそりと痩せこけていた。


「よかった。やっぱり無事やってんな。地震みたいな大揺れがあったから、どないしたんかと心配してたんやけど。カガト兄ちゃんがそないに簡単にやられるわけあらへん、て信じてたで」


 ククリのかたわらに正座して甲斐がいしく汗を拭っていたスクルドがホッとした顔で俺を見あげる。それから表情を曇らせて、


「一時はこの部屋も潰れてしまうんやないか、いうくらいの揺れで、なんとか収まったんやけど、お腹のおおきいククリ姉ちゃんには良くなかったみたいや。みるみる顔が青くなって、お腹から血も流れはじめて、うち、セシア姉さまと必死に『ヒール』を唱えつづけたんやけど、産気づいたのが止まらんくて」


 俺の隣りでセシアも泣きそうな顔でぶんぶんと首を振ってうなずいている。

 スクルドはククリの毛布をそっとかけなおしてやりながら、


「もう子宮口しきゅうこうが開いてきてんねん。お腹の赤ちゃんが下に降りはじめてる証拠や。ここまで進んでもうたら、いつ出てきてもおかしくはない」


 キュッと唇を噛んで、いつもは冷静なスクルドが目を赤くしている。

 

「魔法で出血は止められるけど、お産までは助けられへん。血を流しすぎたせいか、ククリ姉ちゃんの意識は飛んだままや。このままやと上手くりきむこともできへんから、母体にとっても赤ちゃんにとっても最悪の状況や。もしかすると」


 恐ろしい言葉を呑みこみ、重苦しい沈黙が室内を支配する。

 セシアも沈痛な面持ちで目に涙を溜めてククリをじっと見下ろし、ククリと同様にシャフリヤールの実験材料として連れてこられた猫人の女たちも一様に不安そうな表情を浮かべていた。

 緊迫した空気にこめかみが痛くなる。

 こういうとき、どうすればいい? 俺に何ができる? 前の世界ですら、出産なんて月よりも遥かに遠い話だったというのに。

 わずかな知識を総動員して、必死にかいを探る。

 帝王切開?

 バカな。いくら魔法で傷を癒せるとしても、刃物で妊婦のお腹をくなどリスクが高すぎる。第一、どの程度メスを入れればいいのかすらわからないのだから、胎児を傷つける可能性がある。却下だ。却下。

 安産のための呼吸法は、たしか、ひーひーふー。

 違う。ククリの意識を取りもどすのが先だ。手持ちのアイテムで「意識を回復させる」効果をもつものはない。

 ……いや、ひとつだけあった。竜宮城でもらった玉出箱によって生成するSP回復薬の神酒ソーマ。最終奥義のニルヴァーナ・ストライクがいつなんどき必要になるかもわからないため、セシアやネネとイチャつくときには忘れずに神酒を溜めるようにしていた。だから、いまでも5目盛ほどの量は確保できているはずだ。アイテムボックスから玉出箱を取りだし、あらためて説明書を読みかえしてみる。


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『使用上の注意』

この玉出箱のご使用にあたっては以下の使用上の注意をよく読み、正しい分量、正しい用法を守ってご使用ください。

1.使用しないときは必ず蓋を閉じる。

2.神酒の生成には、十分な換気を行い、蓋を完全に開ける。

  霧が半径1キロにひろがり、周囲のSPを吸収する。

3.強壮剤として使用する場合、神酒を1目盛分服用する。

  神酒1目盛でSPは最大まで上昇する。

4.気付薬として使用する場合、神酒を3目盛分を服用する。

  肉体が損傷している場合、流血が激しくなる場合があるため注意のこと。

  なお、本品に基づく如何なる死傷、後遺症も竜宮島は責任を負いません。

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 気付薬として使用する場合は3目盛分ということだが、出産時に血を流しすぎれば命にかかわる。半目盛ずつゆっくりと服用させ、様子をみるのがよいかもしれない。


「セシア、スクルド、俺に提案があるのだが――」


 時間との戦いであるため手短に説明すると、他に良案があるわけでもなく、みんなで不安な顔を寄せあいつつも、これでいくしかないと決した。

 俺がククリの口もとにとろりとした神酒を注ぎ入れるのを、総勢13人の女たちが見守った。ちなみに、玉座の間から連れもどした娘は眠ったままだ。


「これで2目盛と半分」


 最後の一滴がククリの乾いた唇から滑りおちて、一呼吸の後、クハッ、と咽喉から飛沫と共に息が吹きあがった。

 一瞬、室内に緊張がはしったものの、次第にククリの呼吸は落ち着き、頬に赤みも差してきた。そして、ゆっくりと薄目がひらく。


「……勇者さま?」


 すぐさま陣痛に顔をゆがめるものの、絶望的な状況は脱した。室内に活気がもどり、女たちがテキパキと仕事を分担しはじめる。

 ネネは水弾から水を集めて、ファイアーウォールで湯を沸かす。スクルドとセシアは引きつづき、ヒールでククリの体力を維持。猫人の女たちはククリの身体の汗を拭いたり、毛布を整えて少しでも姿勢が楽になるように調整する。


「カガト兄ちゃんはウロウロしてると邪魔や。夜になって冷えてきたから、燃やせるもんを片っ端から探してきてや」


 ていよく部屋から追いだされてしまった俺がミャアマパレスのあちこちを廻って木材をかき集めて持っていくと、部屋の端に石組の簡易暖炉が築かれており、火が煌々と燃えていた。


「ククリ姉ちゃん、がんばるんやで!」

「ひーひーふー、ひーひーふー、ですよ」


 女たちの戦いを応援しつつ、俺はまた木材集めに奔走する。すでにアンデッドの姿は消え失せ、壁に叩きつける砂嵐の音だけが夜の静寂に響いていた。


「――オ、ギャア……」

「生まれたで! ククリ姉ちゃん! しっかりしいや!」


 明け方近くにククリは出産した。前の世界であれば、間違いなく保育器に入るであろう未熟児で、折れそうなほど細い手足をしていた。血にまみれながら、スクルドが必死にへその緒を切り、赤ん坊の身体を慎重にタオルで拭っていく。

 ククリは赤ん坊が産まれた瞬間、言葉を発する気力も残っていなかったものの、乾いた唇はたしかに「ありがとう」と形づくっていた。憔悴しきった目からは熱い涙がこぼれ落ちている。


「我、聖円の子たるスクルド・グレイホースは、全知無能のアーカイヴに問う。

 我が祈りにより、生命いのちの内なる輝きに祝福を与え、傷つきし者に再び立ちあがる力を与え賜うか。

 のものの傷を癒せ。ヒール!」


 スクルドの心地良い詠唱が清涼な風のように部屋のなかを吹き抜けていく。A級頭防具「祈りのバレッタ」の効果で聖魔法の効果範囲がグループに拡大され、ククリも赤ん坊もその他大勢もまとめてHPが回復する。

 ようやく上体を起こすことができたククリが小刻みに震える我が子の手をそっと包みこみ、慈愛に満ちた母の声でささやいた。


「決めたにゃ。おまえの名前はヒカリにゃ。ヒカリが生まれたとき、ククリの目には確かに光が見えたからにゃ。まぶしい光。お日さまに照らされているみたいだったにゃ。ヒカリには、おおきな光で他のみんなを包みこむ優しい子になってほしいにゃ」


 いまにも壊れそうな小さな赤子を見つめて、俺は声も出ない。頭のどこかで冷静に判断していたから。この命は長くないかもしれない、と。

 けれど、だが、俺の目にもまばゆく輝くステータスが映っていた。


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『 ヒカリ・マウ 』

ククリ・マウの娘。

【種 族】 半猫人ハーフケット

【クラス】 

【称 号】 

【レベル】 1(F級)

【愛憎度】 -/-/-/-/-/-/-

【装 備】 

【スキル】 

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 まっさらな画面。これから何者にでもなれる可能性。もしかしたら、生殖システムが導入されたグランイマジニカにおいて誕生した第1号の新生児。

 終わらせたくない。終わらせるわけにはいかない。なんとしても、この命を繋ぎとめなくては、何のための勇者だというのだろうか。

 俺と同じ決意と闘志を秘めた瞳で、ユズハが俺を見つめていた。


朱雀すざくの羽根を取りに行こう」


 まなざしが交差し、俺とユズハは同時にうなずいた。

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