6-11 夢見るルビー

 赤い閃光がミイラキャットの影を床に刻みつける。残照が遠のき、周囲がもとのライトの魔法の白々しさをとりもどしても、影はなお石床にうずくまり、暗い水面みなもに月が照り映えるようにぼんやりとした像をむすんでいく。昔の映写機のようにたどたどしく、ノイズをちらつかせながら影の中心に人影が浮かびあがる。どこかへ立ち去る様子のユズハとよく似た女性。それともうひとり、追いすがる神官姿の猫人ケットの青年。


「スグハ様、お待ちください。どこに行かれるのですか」


 青年のすこし甲高い緊張した声が映画館のスクリーンのように遠くから聞こえた。スグハと呼ばれた女性が振りかえり、影の中から答える。


「我は疲れたのにゃ。王に戻りたい一心で民の願いを聞きとどけ、幾度となく雨を降らせ、砂嵐をしずめたが、民は口先だけの感謝を繰りかえすばかりで、より多くを我に求めてくる。

 我は尽くした。なあ、我は力のかぎり民に尽くしたであろう? けれど、民は満足を知らぬのにゃ。これでは砂漠に雨を降らせるようなもの。どれだけ恵みを垂れようとも、民は当たり前のように受けいれ、すぐさま渇き、もっともっとと勝手に干からびていく。王に戻りたいと声が漏れでる我の足もとをみて、次から次へといぎたなく救いを求めてくるのにゃ」


 青年がスグハにひざまずいて拝礼した。


「そんな者ばかりではありません。王のために働きたいと願うものもおりますにゃ」


 だが、スグハは青年に背を向ける。


「夢見るルビーを失った我には、もはや本当の心を見ることはかなわぬ。誰が本心から我に感謝し、誰が心の奥底で我をあざわらっておるのか、何もわからぬのにゃ。人の心が読めぬことがこれほどまでに不安をあおるものとはな。我はもう、人の顔色をうかがってビクビクと過ごすことには疲れた。誰とも会いとうはないのにゃ。

 おぬしも我の後を追うことはもう止めよ。我はもう誰も信じられぬ。おぬしですら腹の底からは信じられぬのにゃ。信じて裏切られることには、もう耐えられぬ」


 仮面がひびわれるように美しい面ざしが泣き顔になり、青年は地面に額を打ちつけて必死に言葉をつらねた。


「それでも私はスグハ様ならば立派な王になられると。きっと、前よりもずっと偉大な王になられると信じているのですにゃ。あとすこし、あとすこしで夢見るルビーはスグハ様を王と認めて姿をあらわすに違いないですにゃ」


 スグハは振りかえり、数歩もどって青年の肩を優しく撫でた。


「いいのにゃ。もう十分にゃ。いまさら夢見るルビーなど欲しうはない。虹の竪琴も静寂しじまの笛もエアレンデルにやってしもうたわ」

「エルフの女王、星よりもいと高き輝きのきみなれば、きっと『預かっておく』と仰せになったことでしょう」

「カカカ、よくわかるのう。あやつ、『自分探しの旅に飽いたら取りにこい。百年でも千年でも待っておるぞ』とのたまうたわ。猫人ケットはそんなに長生きはできぬというのに。ババアは気が長いのう」


 青年は砂を握りしめ、涙を流しながら別離の言葉を吐きだす。


「1年先か、10年先か、私は必ずや王国を再建いたします。どこにいようともスグハ様を見つけだし、玉座に座らせてみせます」


 スグハは遠い彼方を見つめ、ほほ笑んだ。


「王国などいらぬ。我はもう、ひとりだけの王となろう。我ひとりの王だ。おぬしはおぬしの道を歩め。おぬしならば、我よりも立派な王になるであろうよ」

「私はずっとお待ちしております。いつまでもお待ちしております。あなた様の心の傷が癒えて、我ら猫人の王としてご帰還くださるその時まで。私はいつまでもあなた様を信じておりますにゃ」


 青年の悲痛な声にこたえることなく、スグハは影の外へと消えていく。独りきりになっても、青年はいつまでもいつまでも頭を垂れていた。


「――違う。違うのにゃ。アタシはスグハじゃないのにゃ」


 長い映画を見終わったような虚脱感が心身に降りつもっていた。けれど、実際には一瞬の出来事であったのだろう。映像が影に溶けこみ完全に消えさると、ユズハがミイラキャットの拝礼を拒否して首を左右に振った。


「感ジルノデス。間違イナイ。アナタ様コソ、スグハ様ノ魂ヲ受ケ継ギシ御方。猫人ノ王トナラレル御方。ツイニ夢見ルルビーガ認メタノデス」


 拝跪したままのミイラキャットが腕からするすると包帯を差し伸ばすと、その動きに呼応するようにユズハの胸から赤い光が明滅し、


「王タル者ノ国造リノ尊キ覚悟ヲ!」


 ミイラキャットの言葉に導かれて、こぶしほどもある楕円形のルビーが身体から浮きでてきた。燦然と輝く巨大な宝玉。中央に猫の瞳のような光彩があるのは伝承のままだ。


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『 夢見るルビー 』

猫人ケットの王家に伝わる三種の神器のひとつ。

神代の技術をもちいて造られた魔道具で、この夢見るルビーを通して見つめると、隠された記憶や心の声を暴くことができる。

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 ユズハの手のひらにゆっくりと落ちゆく宝石の赤い光に、ミイラキャットの紅い瞳は釘づけとなり、全身が歓喜に打ち震えた。


「ミイラキャット! 貴様の王は私だ。裏切ることは許さぬ!」


 白衣をひるがえし、シャフリヤールが骨と皮ばかりの両腕をひろげて、ミイラキャットに死霊魔術ネクロマンシーの束縛の呪詛を投げつける。黒い鎖のような服従の魔法が包帯におおわれた巨躯にからみついた。


「……私ノ王ハタダヒトリ。オマエナド、タダノ盗人ダ!」


 剛腕を必死にふるい、抵抗を試みるものの、自らの意思に反して包帯が持ちあがり自分自身の首を締めあげる。


「すべてのアンデッドは死霊魔術の前に屈する! 抗っても無駄だ! 支配の指輪など無くとも1体だけならば操ることは容易い!」


 シャフリヤールの骨ばった指が複雑な紋様を宙に描くと、首に巻かれた包帯がさらに強く引きしぼられ、ゴギッというイヤな音と共にミイラキャットの頭部が前に折れた。目の紅い光が弱くなる。


「抵抗するなら何度でも壊してやる! 私の言うことを聞けるようになるまで、目の前でこの猫人の女をなぶってやろう!」

「シャフリヤール! 死をもてあそぶのもいい加減にするのにゃ!」


 ユズハが叫ぶと、手に持ったルビーが激しく輝き、赤い閃光が白衣をまとったリッチを打った。石組の天井に頭蓋とローブの影が黒く刻まれる。星のない夜空のような漆黒に浮かびあがる情景。

 それは質の良い調度品に囲まれた寝室で、屈強な猫人たちにかこまれて獣欲をむさぼる女の姿であった。均整のとれた肉体同士がからみあい、一種の舞踏のような芸術が花ひらく。

 ガタッと扉の開く音と共に、男たちの捧げる享楽に耽溺していた美しい面ざしがサッと蒼ざめて、深紅の髪から伸びた猫耳がビクンと震えた。


「そこで何をしている!?」


 部屋に響く、男の狼狽した声。シャフリヤールの声だ。

 いまでは骨と皮ばかりのリッチと化しているが、影に映るのは浅黒い肌をした凛々しい武人の姿。レッドスコーピオンたちと同じように赤いターバンを巻き、緑の宝玉をあしらったクジャクの飾りをつけている。

 戦場から戻ったばかりという戦塵にまみれた鎧姿で、疲労困憊という顔は血の気をうしない、部屋の入口で立ち尽くしている。

 赤髪の美姫はシャフリヤールをみとめて一瞬、端正な顔に驚愕の色を浮かべたものの、すぐに哀しみに塗りつぶされ、うつむいてしまった。美しい流線を描く白い乳房にも蠱惑的な肉感をほこる臀部にも荒々しくつけられた赤いキスマークが点々と残っており、白濁した精液もべっとりと肌にまとわりついていた。

 周囲の猫人たちは事情を呑みこむことができず、石像のように硬直している。


「私はお前を! お前だけを!!」


 シャフリヤールは絶叫のあと、シャムシールを抜き放って、次々と猫人の男たちを斬り捨てていった。逃げようとするものに追いすがり、命乞いするものにも容赦なく刃を叩きこむ。

 血煙がただよう凄惨な現場にあって、赤髪の猫人の女だけは微動だにせず、最後にシャフリヤールを見あげて、


「殺してください。

 ……できれば、あなたの手で」


 とつぶやいた。

 男たちを殺しつくしたシャフリヤールは最後に一声だけ獣のような咆哮をはなつと、その場から逃げるように立ち去った。

 ここで天井に投影されていた映像が消える。

 骨と皮ばかりとなったシャフリヤールが打ち震え、大仰おおぎょうにローブをひろげると、唇がなくなり剥きだしとなった歯をおおきく開いた。


「私ではない! 私ではない! これは私の記憶ではない!」


 ユズハが手に捧げた夢見るルビーが繰りかえし明滅する。

 赤い光が再びシャフリヤールを貫き、影にまた新たな像をむすぶ。

 今度は別の部屋でシーツをかぶってベッドに座りこむシャフリヤールの姿だ。憔悴しきった様子でなにごとかをぶつぶつとつぶやいている。そこへもうひとり、着飾った人間の女があらわれる。濃い青色のアイシャドウをひき、年は30過ぎだろうか、美しくはあるものの、険のある目つきは恐ろしくもある。


「これで懲りたでしょう。下賤の女、それも猫人ケットの娼婦を囲うなど。汚らわしい! 獣と交わるようなものですからね!」


 シャフリヤールの病んだ瞳がゆっくりと動く。


「シャリエラは?」

「あの女の名など、聞くだけで耳が汚れます! 死にましたよ。当然でしょ? 密通は死罪。あなたは貴族ですから罪の及ばぬ立場ですが、下賤の女、しかも猫人ケットなど、殺されて当然ですわ!」


 慟哭が、この世の果てのような慟哭が部屋に満ち、女は蔑むようにシャフリヤールを見下ろした。


「今後一切、その汚らわしい手で私に触れないでくださいね。こんな男と夫婦など恥ずべきことですが、家名に泥は塗れませんから」


 シーツが跳ねとばされ、シャフリヤールが獣のように女に襲いかかった。手が女の細い首を絞めあげ、肌に指が食いこんでいく。


「おまえが、おまえが、シャリエラを殺したのだろう! 私のシャリエラを! おまえなど、おまえなど、彼女の足もとにも」


 女の口から血泡が漏れて、映像は黒く染まった。

 リッチと化したシャフリヤールが両手を頭蓋にそえて吠えたてる。


「私の心を盗み見ることは許さない! 私の愛を汚す者は許さない! こんな記憶は嘘だ! 私はシャリエラを愛していた。シャリエラも私を愛していた。真実はそれだけだ。それ以外には何もいらない。再び愛するシャリエラを手に入れ、私は私の愛を全うするのだ!」


 シャフリヤールから黒い靄のようなものが漏れだしている。

 三角帽子につけられた猫耳が揺れて、ネネが俺の腕をひいて、宙に光の文字を浮かべていく。


『リッチの依代よりしろは生前の知識そのもの。ということは、その知識、記憶を否定すれば、存在自体が揺らぐはず。いまがきっとチャンスだよ』


 アドバイスに感謝しつつ、俺は期待をこめて、じっとネネを見つめた。


「……ダメだよ。恥ずかしいし」


 さらに見つめつづけると、俺の意図を正確に把握したネネが、


「……カガトは本当にエッチなんだから」


 自ら黒ローブとその下の水の羽衣を首もとまでめくりあげた。三角帽子と猫耳はそのままに、うつむき加減の魔法少女が自分から裸身をさらす羞恥プレイ。上下の下着は俺が手品のようなフィンガーテクニックで抜きとり、形の良い小振りな乳房とかわいいお腹からつづくなだらかな丘陵をさえぎるものは何もない。白い肌が恥じらいでほんのりと朱に染まる。

 手を触れるまでもなく、この光景を直視しただけで俺のSPゲージは振りきれた。


「必殺! カガトスラッシュ・エレクション!」


 聖剣エロスカリバーの白銀の刀身が光の槍と化して、瞬時にシャフリヤールの頭を貫いた。


「殺してやる。貴様らをひとり残らず殺してやる。私の愛を汚す者はすべて埋めて、なにもかもを葬りさってやる」


 頭蓋に穴をあけられながらも、シャフリヤールの口からは呪詛がわきだしつづけている。俺は左手の聖鞘をアイテムボックスに収納すると、ネネの小さな乳房を包みこむように優しく撫でた。


「……ひゃ」

「必殺! カガトスラッシュ・エレクション!」


 敏感になりすぎているネネが身をよじらせるだけでSPゲージは満タンになる。必殺技をはなつと、ゲージは元に戻り、左手の指を白い肌に這わせ、乳房の突端をはじくようにもてあそぶと、瞬時にSPが跳ねあがる。

 俺の性技とネネの感度が組み合わされれば、この悦楽の循環をコンマ秒単位で繰りかえすことも可能! というわけで、伸縮自在の聖剣エロスカリバーが白銀の嵐のごとくシャフリヤールに襲いかかる。


「奥義! 絶頂流星群!!」


 白衣はすでに千々にちぎれとび、シャフリヤールの黒く干からびた肉体もバラバラに吹きとばされている。称号「不死者の天敵」に加えて、超S級武具による必殺技の乱れ打ち。さしものB級(魔将級)でもひとたまりもあるまい。

 だが、シャフリヤールの歪んだ怨念は俺のエロ魂をも凌駕していた。

 頭だけ、しかも半壊しつつあるというのに、執念で呪文の詠唱を完成させたのだ。


「――形あるものは腐敗せよ、命あるものは朽ち果てよ、アシッドクラウド!!

 クハハハ! 1個の城を墓標とするのだ。貴様にとっても不足はなかろう!」


 酸の雲が石組の天井を侵していく。ピシッ! ピシッ! と自重に耐えかねた崩壊の音が四方から轟き、大小の砂礫が降ってきた。

 あと一歩で完全に砕けきることも可能。だが、俺は頭だけとなって転がるシャフリヤールを睨みつけながらも宣言せざるを得なかった。


「ネネ! ユズハ! 城が崩れる! セシアたちを回収して脱出するぞ!」


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