6-18 王の帰還 その1

 ピラミッドから一直線に真昼の太陽を横切り、砂漠に沈みこむ廃船のようなミャアマパレスへと滑空する。オレンジ色の翼をおおきくひろげて風を抱きこみ、急減速した朱雀が胸をそらせて鋭いかぎ爪を砂に突きたてて着地すると、巻きあげられた砂塵が晴れるのを待つのももどかしく、ユズハが朱雀の背中を蹴って城門に飛びこんだ。

 瓦礫にころびそうになりながらも声を張りあげ、


「ヒカリは無事かにゃ!?」


 声は無人の廊下に反響し、駆けるユズハを追いこして、ホーリーサークルの結界がはられたままの小部屋まで伝わった。俺たちの帰還に気づいたセシアがオーロラのように揺らめくとばりから顔をのぞかせたものの、表情はぎこちない。喜ぶのはまだ早いと自分を戒めているのだろう。泣きそうになるのを口に手をあてて必死にこらえながら、


「ユズハ、よかった。間に合って。私、ただ見守ることしかできなくて。悪いことばかりが頭によぎってしまい、もう耐えられなくなるところでした」


 疲労でやつれた聖騎士の肩を抱きながら、ユズハは10畳ほどの四角い部屋へと足を踏みいれる。


「もう大丈夫にゃ。朱雀の羽根はバッチリ手に入れてきたにゃ。ヒカリは絶対にアタシが助けるにゃ」


 俺もようやく追いついてホーリーサークル一の光のカーテンをくぐると、ひんやりとした風が頬を撫でた。


「……狭いから気をつけて」

「あ、カガト兄ちゃん、お帰りなさい。あのな、ネネ姉さまはすごいんやで。空気が乾燥すると赤ちゃんにも良くないからってな、あっという間に魔道具を作ってくれてん」


 座ったまま振りむいたスクルドの視線を追うと、部屋の隅に不思議な器械が置かれていた。壺からスチームのような霧状の風が吹きあがり、天井にあたって部屋を循環している。水魔法と風魔法を組みあわせた簡易加湿器のようなものだろうか。砂漠の暑熱を緩和する効果もあるのだろう。


「……いまはヒカリのこと」

「せやな。ユズハ姉さま、カガト兄ちゃん、こっちに来たってや」


 スクルドに導かれて、俺はユズハと並んで部屋の中央にしゃがみこんだ。壁際に囲うように猫人ケットの女たちが緊迫した面持ちで座っていて、密度は高いものの、静けさに包まれている。スクルドが唱える「ヒール」の抑揚だけが祝詞のりとのようにこだまし、ただただ「生きていてほしい」という純粋な願いが部屋に満ちていた。

 祈る人々の中心で産着に包まれた小さな、本当に小さな赤子を抱くククリだけが色彩をもち、宗教画のように厳粛であった。蒼白な顔でまばたきもせず、静かに我が子をさすっている。


「大丈夫にゃ。大丈夫。お母さんがついているにゃ。だから、大丈夫にゃ」


 後ろにひざまずいたセシアが「だんだんと鼓動が弱くなってきて」と小声でうちあけて口惜しそうに唇を噛んだ。俺はうなずくとユズハに目で合図し、ユズハはこの状況には場違いな明るく元気な声をだして、


「ククリ、待たせたにゃ! もう安心していいにゃ。世界一元気になれる霊薬『朱雀の羽根』を取ってきたにゃ!」


 ハートを連ねたような尾羽おばねを高々と振りかざす。

 いま初めて俺たちが戻っていることに気がついたという表情でククリの顔がゆっくりと持ちあがり、垂れ気味のおおきな瞳からポロポロと涙がころがりおちた。


「……勇者さま、ユズハさま。お願いにゃ。この子を助けてほしいにゃ。アタシはもう何も望まないから。ごはんをいっぱい食べられなくても、どんな怖い目にあってもいいから。この子にはもうすこし長く、ひとつでもいいから、生まれてきてよかったとおもえることを経験させてあげたいのにゃ。お願いします。お願いしますにゃ」


 おもいつめた様子のククリの頭をポンポンと撫でて、


「子どもを幸せにするには、まず母親が幸せでいることだ。任せておけ。ユズハは頼れる王さまだ」

「そうにゃ。アタシは子どもたちが笑顔でいられる国をつくると決めたのにゃ」


 ククリに抱かれたヒカリ・マウの産着をそっとひらくと、ぶくりとしたお腹の中央ではまだへその緒が乾ききらずジュクジュクと血がにじみだしていた。ユズハが燃えたつ深紅の羽根をそっとおへそに乗せると、ヒカリの血が羽根を浸し、羽毛の紅がオレンジに、オレンジが白へと変化し、やがて青白く燃えあがった羽根の炎が小さなヒカリにも燃えうつり、またたくまに赤子の全身がメラメラと炎に包まれた。産着は灰となり、ヒカリを腕に抱いたままのククリの衣服まで燃え落ちていく。


「カガト兄ちゃん! ほんまに大丈夫なん!?」

「スクルドも経験しているはずだ。朱雀の炎に害はない。この聖なる炎が悪い部分を浄化し、身体をより強く再生してくれる」


 ユズハはおおきく息を吸いこむと、おごそかに宣言した。


猫人ケットの王たるユズハ・ケットシーがヒカリ・マウに祝福を与える。

 ヒカリ・マウは、アタシの国で一番、すこやかな者になるにゃ。

 ヒカリ・マウは、アタシの国で一番、愛される者になるにゃ。

 だから、ヒカリ・マウは決してお母さんより先に死んだりしない。さあ、早く元気になって、お母さんを笑顔にしてあげるのにゃ!」


 青白い炎が肌に吸いこまれるように引いていくにつれて土気色だった頬には赤みがさし、かすかな拍動しかなかったヒカリ・マウの胸がおおきく膨らんだ。そして、


「――おぎゃあああああ!!!!」


 溜まっていたおりをすべてを吐きだすように甲高い泣き声が室内にとどろいた。関節ばかりが目立ち、いまにも折れそうだった細腕がさきほどよりも太くなり、ククリの腕をしっかりと握りしめて母を求めて泣いている。おそらくいまは朱雀の羽根の効果で本来よりもHPが超過している状態なのだろう。だが、目の前のククリのおっぱいに勢いよく吸いつき、まだ少ししか出ない母乳を貪欲に吸いこむ姿を見ていると、もう大丈夫ではないかという希望が湧いてくる。ヒカリは小さいながらも、生きたいという力を必死に示してくれていた。

 ククリも嬉し涙でぐちゃぐちゃになりながらも懸命におおきな胸をしごいて、わずかでも母乳が出るようにマッサージを繰りかえしている。親と子がこんなにも生に執着できるならば、繋がらない命などないのだ。母乳には免疫効果をはじめてとして成長に欠かせない栄養素が充ちている。このまましばらく猛烈に栄養を採りこめば、きっと体力も健常な乳児に追いついて自力でおっぱいを吸う力を得られるに違いない。玉手箱にわずかに残った神酒もククリに与えて、母体の活力も底上げする。


「まだ油断はできへんで。いまのうちにヒカリとククリの着るものを準備してや。なるべく早く設備の整った診療所に移さないとあかんしな。みんな、街にもどるで」

「……カガト、ホースボーンの支配の指輪を」


 てのひらを差しだすネネに、俺はホースボーンをピラミッドに残してきてしまった旨を伝えて、すぐに連れもどると約束する。


「では、私は護送船をつなぐための牽引具を用意しておきますから。あと、さすがに皆さん、食事もとっていないですから、何か食べるものがないか探してきます」


 笑顔がもどったセシアに礼を言って、俺はユズハをミャアマパレスの外に誘いだした。朱雀でもう一度、ピラミッドに飛んでもらうためだ。


「カガト、それはいいけど、また、えーと、ってるにゃ」


 灼熱の太陽のもと、あからさまになったズボンの陰影に目をとめて、ユズハがぼそりと告げた。

 朱雀の再生の炎を浴びて裸体となったククリがヒカリに母乳をあげるさまを目のあたりにすれば、おもわず自分もおっぱいにしゃぶりつきたいとおもってしまうのが男のさが。俺の視線がユズハの美しい鎖骨からわずかにのぞく胸の谷間へと滑りおちると、とっさに両腕で胸を隠し、


「アタシのはまだ出ないにゃ」

「予約してもいいか?」

「だ、ダメにゃ! 母乳は赤ちゃんのものにゃ。赤ちゃんがお腹いっぱいになっても余ってたら少しは。て、違うにゃ! アタシはまだ堕ちてないからにゃ。いつでもエッチなことをさせるわけじゃないにゃ」


 俺が両手を合わせて頭を下げつづけると、猫耳がピクピクと動き、


「い、いまだけだからにゃ。ククリに手をだしたらお仕置きだから。ピラミッドに着いたら、溜まってる分だけは手伝うにゃ。今日は特別だにゃ。アタシはセシアやネネみたいに毎晩お風呂をいっしょに入ったりしないから。わかったかにゃ?」


 顔を赤くしたまま目を合わせることもなく、ユズハの赤茶けた尻尾だけが左右に揺れていた。





 イシス団がひそかな集会所としているプタマラーザ北の監視塔。王の血族であるユズハ・ケットシーがプタマラーザの領主シャフリヤール・アスモデスを討ち、三種の神器のひとつ「静寂しじまの笛」を手に入れ、さらには猫人ケットの守護者たる朱雀の加護も得たという噂はすでにイシス団の共通の話題となっていた。団長のカズサ・カラカルだけではなく幹部衆にもユズハに尊崇のまなざしをむけるものが増えて、若者たちにはすでにユズハを新生ミャアジャム王国の王に推戴しようという熱狂が生まれていた。

 ククリ・マウとヒカリ・マウを聖典教が運営する医療設備の充実した教会に預けてすでに3日目。母子ともに順調に体力を回復しつつあり、最悪の事態は避けることができた。

 けれど、成功は過信を呼びこむ。暴発しそうになるイシス団をなだめすかして、それでも団員総勢300名が参加する総会への出席の約束は交わさざるを得なかった。ここで説得できなければ最悪、武装蜂起に発展してしまうという正念場。

 あいかわらずレッドスコーピオンの午睡シエスタの時間をねらって設定された総会は、建物のなかに入りきらない団員のために屋外での開催となり、ユズハを含めた俺たち勇者一行はかろうじて監視塔の影の下にいれてもらえたものの、乾いた熱風に常時さらされているため汗がとめどなく流れおちてくる。一方のイシス団の面々はいつもの黒ターバンに全身を覆うゆったりとした服装で、砂漠の容赦のない陽光にさらされつつも、目だけは太陽にも負けないくらいギラギラと激情をたたえていた。

 俺たちと相対する位置に団長のカズサ・カラカルが立ち、左右を幹部たちが横一列に固めている。先ほどからギゾウと名乗る特攻隊長が強硬派としての論陣を張り、執拗にユズハに決起をうながしていた。そのたびにユズハが否定し、両者の睨みあいはかれこれ30分ほど続いている。


「ただ逃げるだけで道が拓けるはずがない! プタマラーザ総督シャフリヤール・アスモデスがすでに亡いという事実はレッドスコーピオンも掴んでいるはず。動きがないのは表面上のことで、このまま手をこまねいているだけでは早晩、一大攻勢をかけてくるのは必定! いまが先手を打つ最後のチャンスなのですにゃ!!」


 片目のギゾウが残った右目を怒らせて吠えると、背後の猫人たちも「そうにゃ!」と口々に呼応する。


「アタシたちが戦ったとき、シャフリヤール・アスモデスはすでにリッチという魔物になっていたにゃ! レッドスコーピオンも猫人ケットの護送船を途中からホースボーンに受け渡していたから、領主の異常に気づいていないはずがない。だから、いまだに総督の死は伏せられたままなのにゃ。あいつらも暴かれたくないのにゃ。自分たちが魔物と繋がっていたことを。

 いまのうちに街の猫人ケットたちの脱出計画を練って、実行に移すのにゃ! アザミまで逃げることができれば、もうレッドスコーピオンも手出しはできなくなるはず」


 集団の威圧にも屈することなく、ユズハが凛とした声で反論した。

 ギゾウも負けずにたたみかける。


「我らが欲するのは、あくまでも猫人ケットの国! どこに移ろうと放浪の民のままでは未来はないのにゃ! 今なら街の唯一の出入り口である大門と橋を押さえ、10か所ある詰所を一斉に襲撃することも可能。レッドスコーピオンが武装をととのえる前に主要な通路を制圧することができれば、プタマラーザの実権は我らの手におちます。

 そしてユズハ様に、朱雀の上からミャアジャムの復活を宣言してもらえれば、きっと我ら以外の猫人も大義にしたがってくれるでしょう。これで惨たらしく殺されていった仲間たちにもようやく顔向けができますにゃ。猫人ケットの革命を起こすのです」


 あくまでも蜂起を言いつのるギゾウに対して、ユズハがふうっと長い息を吐いた。


「プタマラーザを奪って猫人ケットの国にするのかにゃ。だったら、いま住んでいる人間ノーマはどうするにゃ。追いだすのかにゃ!? そんなことをしたら憎しみが連鎖するだけにゃ。聖円の盟約も破ることになり、猫人は他の種族の敵になってしまうにゃ」


 銀色の髪と銀色の猫耳をした、いぶし銀のギゾウが苦みばしった顔でつぶやいた。


「度しがたい平和主義にゃ。人間ノーマなど気遣うだけ無駄なこと。いっそのこと、この街からすべて追いだしてしまえばいいのですにゃ。抵抗するなら殺してもいい」

 

 ダンッ! とユズハが一歩前に踏みだした。


「殺すとか、簡単に言うにゃ! なぜわからないにゃ! ひとりの子を産むのが女にとってどれほど大変なことなのか。それこそ命を懸けてるのにゃ! 子どもを産むこともない男が、簡単に殺すとか言うにゃ!!」


 激昂するユズハに、ギゾウのひとつっきりの目がどす黒い怨嗟をたたえて睨みかえした。


「あなたはきっと、綺麗な心を持ちつづけられる恵まれた環境で育ったのでしょう。いや、王であれば、そのほうがいい。けがれなど、我らが被ればよいだけのこと。倦むほどの死によって穢れきった我らにこそふさわしい。

 我らが殺して、殺して、殺し尽くして、王の道を清めましょう!!」


 乾いた笑いを貼りつけたまま、ギゾウが背を向けた。


「我ら特攻隊だけでも決行するにゃ。期限はこの太陽が沈むとき。王が我らを求めずとも、我らは王の名のもとに戦いますよ。もう、それしか、この穢れきった心をなぐめるすべはないのですから」

「待つにゃ! そんなことをしても猫人ケットが安心して子どもを産める国は手に入らないのにゃ。それでもあえて行くというなら、アタシたち勇者パーティーがここで力づくでも止めてみせるにゃ!」


 ユズハの言葉を受けて、俺がずいっと前に進みでた。

 イシス団から殺気が膨れあがる。それまで黙っていたカズサ・カラカルが仕切りなおしのためにギゾウの肩に手を置いたところで、砂漠の彼方から砂煙をひいて走ってくるラクダが目にはいった。

 背にまたがるのは全身黒ずくめの男。いや、男ではない。騒然とする総会に速度を落とすことなく接近してきたのはやぶにらみの目をもつ凶相の隠密ジン・ジャコウ。

 ククリの凶報をもたらしたときの既視感がチラつき、嫌な予感が胸を焦がした。

 馬上ならぬラクダ上から、しゃがれた叫び声が響く。


「猫人狩りにゃ!! レッドスコーピオンが総掛かりで街中の猫人を襲いはじめたにゃ!」

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