6-17 ミャアザのピラミッド その5

 喪われた猫人の王国ミャアジャム。その最後の女王の名をスグハ・ケットシーという。ユズハの遠い遠い母である。

 世界がまだ混沌とした揺籃ようらん期にあったころ、生まれおちたばかりの猫人ケットという種族を自らの翼のもとに庇護した朱雀すざくは、まず嘘をつかぬ正直な心を教え諭した。そこから幾年月が経ち、猫人は殖えて、自分たちの国をもつまでになったものの、累代の権威は腐敗し、誰の言葉にも耳を傾けぬ高慢な女王を産みだすこととなった。強大無比にして驕慢な女王スグハはあるとき、ついに人間の国との間に深刻ないさかいを巻きおこし、怒りに我を忘れて自らの民をも戦乱のうちに散逸させてしまう。このおおいなる愚行を前に寛容な朱雀も心底あきれはてて、女王スグハに改悛をうながすための呪縛を与えた。

 すなわち、人の心の声を読みとる神器「夢見るルビー」をその身に宿し、自らの心の声を周囲にさらしてもなお、王として認められるかどうかを試させたのである。結果、朱雀の願いも虚しく、女王スグハは試練に敗れて、追いすがるものを振りはらって隠遁してしまった。以来、猫人に王があらわれることはなく、自らの国を築くこともなく、異邦の民として不遇をかこっている。

 猫人の王国ミャアジャムの滅亡を語りおえた小さな朱雀はトテトテッと短い脚をすばやく動かしてユズハに歩みよると、胸に押し抱いていた服をやおらくちばしでグイっと引きおろした。褐色の健康的な乳房がこぼれて、淡いピンクの先端が揺れる。


「な、何するのにゃ!」


 あわてて胸を隠すユズハに朱雀は冷静に首をかしげ、


「ふむ。たしかにスグハの面影はあるものの、心臓に宿るはずの夢見るルビーの気配が見当たらぬな。あれは神代の秘術によって精霊の力をもちいて造りだされた神器。スグハが呑みこみ体内に封じたことで、精霊の力が血に融け、肉に混ざり、魂に刻まれた失政の烙印となったはずなのだが。王たる資格を取りもどすか、王統が完全に途絶えぬかぎり、再び世に姿をあらわすことはないとおもっていたが、さて……」


 ユズハが左手首のリングに右手の指を滑らせると、アイテムボックスの灰色の異空間から真紅の宝石が転がりおちてきた。朱雀のまとう炎のきらめきを浴びて燦然さんぜんと光を照りかえすルビーには猫の目のように細長い金色こんじきの模様が浮かんでいる。

 小さな朱雀が首を引き、くれないの目をしばたたいた。


「ほう。これは瑞兆か凶兆か。再び夢見るルビーが我が目の前に姿をあらわすとは。スグハの子の子の遠いすえの手にあるということは王統が途絶えたわけではあるまい。心の声が漏れだす奇癖の変人を、心の底から王に推戴するものたちがあらわれたということか。王たる道は決して平坦ではなく、陥穽かんせいも多い。それでも民のため、重い鎖を引きずりながら進むのか。

 では、改めて問おう。スグハの子の子の遠いすえよ。汝、猫人の守護者たる我が面前にて、王のあかしたる神器をかかげ、喪われた王権を再び手にせんと欲するか」


 赤茶けた猫耳がピクンと震え、ユズハは服をギュッと胸に押しあてた。

 なにごとかを口に出そうとして言いよどみ、俺を振りかえって、俺がうなずくのを確認して、ようやく息を吸いこむ。朱雀に視線をもどしたユズハはしっかりと前を向き、赤茶の瞳には決意の星がきらめいていた。


「アタシの名前はユズハ・ケットシー。お母さんの名前もお父さんの名前も知らないにゃ。朱雀、いや、朱雀さま。アタシは王になるなんて心の底からゴメンにゃ。これまで盗賊団の一員として気ままに暮らしてきたのにゃ。アタシに王さまなんて重たいものは務まるわけがない。贅沢はしたいけど、自由がなくなるなんてまっぴらにゃ。うん。いきなり王さまの血筋だとか言われて、イシス団のみんなに女王さまになってくれと請われたとき、正直に話すと、そうおもったのにゃ。

 けど、プタマラーザで困っている猫人たちを見て、ククリが、アタシと同じくらいの年齢の子が必死に、それこそ本当に命がけで子どもを産んだのを目のあたりにして背筋に電気がはしったのにゃ。アタシにできるなら、本当にそんなことができるなら、猫人が安心して子どもを産むことができる国をつくりたい、と。自分の未来を全部を懸けてもそうしたいとおもってしまったにゃ」


 必死に言葉を探しながら、自分の覚悟を言いつのるユズハの手のなかで夢見るルビーの赤い輝きが増し、朱雀の炎を圧してなお、玄室を煌々と照らしだした。真紅の光に当てられて、ユズハの猫耳姿の影が壁一面にひろがる。

 黒い影のなかに大きなユズハの顔が浮かび、口を開けて叫んでいた。


「――アタシはヒカリを助けたいのにゃ! 猫人ケットの子どもだけじゃない。人間ノーマでも人魚マーメイドでもエルフでもドワーフでも。もしどこかにククリみたいに悩んでいるお母さんがいたら、駆けつけて『心配いらない。きっと元気に育つから大丈夫にゃ』と声をかけたい。アタシみたいにお母さんやお父さんがいなくて悲しんでいる子がいるなら『アタシが家族になるから。ひとりじゃない』と励ましたい。

 アタシはお父さんもお母さんも知らない孤児みなしごにゃ。本当はオシリス団の団長も、団員のみんなも、アタシが王の血筋だから親切だったのかもしれない。だけど、アタシは団長や団員のみんなのおかげで自分を嫌いにならずに、世界を恨むことなく育つことができたのにゃ。それはもう感謝してもしきれないくらい感謝してるのにゃ! 昔の独りぼっちだったアタシを救ってくれた人たちのように。アタシも助けたい! お母さんがすこしでも安心して子どもを産み、育てることができるように。産まれた子が孤独を感じることなく世界とまっすぐに向きあえるように。アタシは女王になって、誰でも子どもが産めて幸せに子どもが育つ国をつくりたいにゃ!!」


 ユズハの熱い咆哮に、小さな朱雀は甲高い声でコロコロと笑った。炎をまとった翼をひろげて舞うようにくるりと回転しながら、

 

「これは驚いた。なるほど、なるほど。夢見るルビーを形づくる精霊たちもまた、汝に王たる資質を見いだし、再び世にあらわれる気になったのかもしれぬ。かすかな希望ではあるものの、たしかに王気は汝のなかに息づいておる。砂漠に水がしみわたるように無限ともおもえる一歩を積み重ねれば、聖円の静寂のもとに虐げられつづけた猫人にも再び光が訪れるやもしれぬ。

 我も協力しよう。新たな王国が芽吹くよう汝に権威を授けよう」

「にゃにゃ! ということは、もう猫人の国ができてしまうのかにゃ!?」


 顔を紅潮させたユズハが前のめりになる。だが、小さな朱雀は首をゆっくりと左右に振り、


「いかな我でもそのような力はない。猫人たちに王が再来したことをわかりやすく伝えるために我が分身を遣わせる程度のこと」

「にゃるほど! 朱雀さまは猫人の守護者。死の谷に隠れていた朱雀さまが姿をみせて、なおかつ、アタシのことを王の一族だと宣言してくれたら、イシス団以外の猫人たちもまとまるに違いないにゃ!」

「楽観もよいが、革命というものは簡単にはうまれぬものだ。聖円の盟約が沁みついたこの世界で争いはご法度。他の種族とのいさかいは避けねばならぬ」


 それまで黙って2人のやりとりを聞いていた俺は、朱雀の言葉に「聖円の盟約」というキーワードが再登場したことを受けて、「聖円の盟約」とはそもそも何なのかを尋ねてみることにした。

 過去の周回では当然のごとく語られ、しかも、NPCたちからはまともな回答が得られなかった単語。どうせまた世界観を膨らませるためだけのハリボテか、と意識的にスルーするようになっていたものの、このグランイマジニカに根をはり、イチャイチャラブラブのハーレムを築くと決意した以上、今後の選択を誤らぬための予備知識はいくらあっても多すぎることはない。

 小さな朱雀は問いを発した俺を魂の底まで観察するように用心深く凝視した後、


「勇者カガト、そして、女王の末裔ユズハ・ケットシーよ。そなたたちには伝えておいたほうがいいやもしれぬ。聖円の盟約の真実を」


 おもむろに言葉をつむぎはじめた。


「それは竜人ドラグーンの王ウルス・ペンドラゴンがまだ『魔王』と呼ばれていた時代――」


 唐突にあらわれた聖王の名に俺は不意を突かれた。頭が一瞬混乱したものの、バラバラだったピースがはまりはじめ、ストンと腑に落ちた。

 某正統派RPGの第1作目のラスボスは竜王。ゲーム好きの少年リクが骨格を与えたグランイマジニカにその名が織りこまれていても、まったく不思議ではない。そして俺が「聖王」ウルス・ペンドラゴンから授かった武器の名前が「龍王の剣」。いまは「聖剣エロスカリバー」と名を変えてはいるものの、前所有者がウルス・ペンドラゴンであるなら、聖王はもともと「竜王」や「龍王」と呼ばれていたのだろう。

 朱雀の語りは続く。要約すると、ざっと次のようなものだった。

 いまから400年ほどの昔、このグランイマジニカには大小とりまぜて数百の国があり、なかでも7つの国が隆盛を誇っていた。7つの国はいずれも人間の王を戴く王国で、相互不可侵の条約によって「七王国」と称していた。

 一方、エルフ、ドワーフ、猫人、人魚、巨人、竜人といった人間と異なる成りたちをもつ種族は、人間たちから「亜人」と蔑まれ、小国や集落を築きつつも、七王国による度重なる侵略に疲弊していた。

 そんなあるとき、竜人の小国、リンカーン王国の国王であり、偉大な時空魔導士にして無敗の竜騎士たるウルス・ペンドラゴンは世界の根源から分かたれたという四悪のうちの1体、カオスドラゴンを調伏することに成功する。もともと長命かつ強大な身体能力を誇り、個対個ならば人間を圧倒する竜人は生殖能力の低さから少人数の集落に留まっていたものの、大地を流れる魔力の奔流「龍脈」から魔力を吸いだすすべをもつカオスドラゴンを使役することにより無尽蔵の魔力を手に入れ、異界から兵隊となる「魔物」を召喚して大国へとのしあがった。一挙に膨れあがった魔物の大群の力をつかって七王国に戦いを挑んだウルス・ペンドラゴンは、同じく人間から迫害を受けていた他の種族、すなわち、エルフ、ドワーフ、猫人、人魚、巨人の5種族と盟を結び、「六族同盟」と号した。

 六族同盟は六芒星に龍をあしらった紋章を旗印として、各地で連戦連勝。人間たちの七王国は深刻な内部対立を抱え、次第に領土を縮小していった。そして亜人たちによる人間への際限のない報復がひろがり、世界の均衡が逆に傾いていったものの、ここに勇者リクがあらわれる。七王国の国王たちが人間ノーマの救済を求めて聖典教にすがり、人間には扱えないはずの時空魔法をつかって異界から「勇者」を召喚したのだ。まだ年端もいかぬ心優しきリク少年は「勇者リク」として、7つの王国からそれぞれ選りすぐった7人の仲間を率いて「龍王」ウルス・ペンドラゴンの六族同盟に戦いを挑み、数々の苦難の末、七王国の戦力を糾合することに成功。最後の大戦でウルス・ペンドラゴンに辛勝する。

 だが、七王国と六族同盟の戦いの後に残されたのは、魔力を吸いあげられ荒廃した大地と、半分以下にまで激減し、貧困にあえぐ民の姿であった。勇者リクは人間はもとより、生き残った竜人、エルフ、ドワーフ、猫人、人魚、巨人と共に世界を再生することを決意する。改心した「龍王」ウルス・ペンドラゴンの力を借りて、まだしも自然が残されていたグランイマジニカ大陸へと民を集めると、土・水・火・風の大精霊の力によって外界から隔絶された世界を産みだした。これ以上の魔力の枯渇をふせぐため、内部で龍脈が循環するように。

 そして、リクは竜人、エルフ、ドワーフ、猫人、人魚、巨人、人間の指導者を集めて宣言した。


「以後、ここに住まう種族同士が争うことを禁じます。もし禁を破れば龍脈が途絶え、大地は枯れ、あるいは海へと沈み、すべての種族が滅びの道を歩むでしょう。

 だから、誓いを立ててください。

 ひとつ、種族間の争いをしないこと。

 ひとつ、それぞれの土地を侵さないこと。

 ひとつ、いさかいの記憶を語り継がないこと」


 7つの種族は内心の憎しみを抑えてこれを承服し、リクは存命中、違背する者があればこれを容赦なく討伐してまわった。時を経るほどに「聖円の盟約」自体が神格化されて、表面上の平和がグランイマジニカにもたらされた。

 そして、年老いたリクが人々の前から姿を消した後、グランイマジニカの中央を統べるリンカーン王国の「龍王」ウルス・ペンドラゴンは勇者リクの志にしたがい、かつての仇敵「人間ノーマ」たちを重用する政策をつづけた。聖典教から「聖王」の称号を贈られたウルス・ペンドラゴンは龍脈から魔力の結晶、魔石を製錬し、魔道具の開発によって人々の生活はより便利に、より豊かになっていったのであった。

 ――長い昔語りを終えて、朱雀はくちばしから吐息のような白い煙を吐きだした。

 

「女王スグハが去ってから、猫人は流浪の民。先の大戦でも変わることがなく、争いを禁じられたことで国を建てる機運も育たなくなった。我は勇者リクの志に賛同し、このグランイマジニカを外界から隔絶する結界の礎となったものの、猫人たちの窮状は見るに堪えがたく、そんな我を警戒してか、砂嵐の結界が解かれないままに月日は流れ、身動きできない状態が腹立たしく、いつしか怒りに我を失ってしまった」


 小さな朱雀がパサパサと翼をはばたかせると、火の粉が宙に舞う。


「新たな王、ユズハ・ケットシーよ。歳月が大地を潤したとはいえ、このグランイマジニカはいまだ危うい均衡の上にある。戦乱は龍脈を乱し、ひとたび聖円の盟約が破られれば、大地が転覆することもありうると心得よ。猫人の団結はもとより、他の種族と協調し、知恵と力を借りることも必要となるだろう。自らの境遇を嘆き、狭量におちいってはならぬ。汝の夢は、子どもたちの幸せは、より大きな和の上に存在することをゆめゆめ忘れぬことだ」


 朱雀の言葉を吸いこむようにユズハは大きく深呼吸し、両の手をあわせてお辞儀した。


「猫人の王、ユズハ・ケットシー。朱雀さまの諫言を肝に銘じ、忘れませんにゃ」

「良い返事だ。王こそ万人にこうべを垂れて教えを乞うがよい。時間をとらせて済まなかったな。約束どおり、我が分身を王たるユズハに授けよう」


 朱雀が翼をひろげると、七色の炎が俺とユズハを優しく包みこんだ。

 視界が白く染まり、一瞬のうちに俺たちはピラミッドを見おろす上空に浮かんでいた。周囲を照らすオレンジ色の光に、羽毛の暖かな手触り。俺とユズハは羽ばたく朱雀に乗っていた。


「これは我が分身である。ユズハの魔力をつかって顕現するため、長くは留まれぬものの、街から街へと飛ぶことはできよう。しっかりとつかまっておるのだぞ」

「ちょ、ちょっと待つにゃ!」


 クジャクの冠をおもわせる頭頂をわずかに揺らすと、朱雀は空気の壁を感じるほどの加速で空を駆けだした。

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