4-3 坑道の掃討 その1

「セシア、足もとだ!」


 俺の警告に、ㇵッと盾を構えなおし、地中から魚雷のように飛びだしてきた「石頭いしあたまモグラ」の頭突きを危うくはじきかえした。

 地面に転がり手足をばたつかせるモグラの腹に、上から飛燕ひえんマサムネを突き落とす。すばやく2度。魔物は大きくのけぞり、そのまま動かなくなった。

 腹にあいた傷口から、あふれる青い血と共に魔石が浮きあがってくる。


「もう魔物のエリアに入っている。油断していると、おもわぬ怪我をするぞ」

「申し訳ありません。つい、その、考えごとをしてしまって」

「ガガーリン王との話か」


 俺の問いかけに、セシアは一拍いっぱく遅れてから、


「隠すつもりはありません。セオドア・ライオンハートからの預かりものがあるから後で受け取りに来てほしいという内容でした。おもいがけなく父の名が出て、いろいろと思い出してしまって」


 と、うつむいた。

 セシアの父に関する俺の知識といえば、彼女の初期称号が「前騎士団長の忘れ形見」であったことと、面接のときにセシア本人から聞いた「アリシア姫救出に向かって命を落とした」くらいしかない。

 家族の話題というものはどこに地雷があるかわからない。川を瀬踏みするように慎重に歩を進めなければ、おもわぬ深みや激流に足をすくわれて、愛憎度が急降下する危険性がある。

 ここは慎重に、当たり障りなく、


「騎士団長を務めていたそうだな」


 と応じると、セシアの翡翠ひすい色の瞳に物憂げなかげが浮かんだ。


「はい。私の所属する『龍爪りゅうそうの騎士団』の団長を務めていました。寡黙で、仕事場では親子といえど職責以上の会話はなく、私にとっては近くて遠い存在でした。

 その父のことを、ガガーリン王が『年の離れた畏友』とも『ドワーフ族の大恩人』とも激賞してくださったのです。父が褒められることは素直に嬉しいのですが、胸の奥にしまっていた幼いころのにがい記憶もよみがえってきてしまって」


 青白い魔法の灯り「ライト」に照らされた狭く薄暗い坑道。

 先頭を盾をかかげて進むセシアは光の届かぬ先、坑道の闇へと視線をただよわせ、深く息を吐きだした。


「父、セオドア・ライオンハートは娘の私が言うのもおもはゆいのですが、私心なく国民に奉仕し、弱きを助け、見返りを求めず、まさに騎士のかがみのような高潔な人格者でした。誰もが尊敬する仁愛の騎士。王国の盾。私には偉大すぎる父です。

 まだ私が幼いころ、グランイマジニカが大干ばつにみまわれ、多くの人が飢えに苦しんだことがありました。そのとき、団長を拝命し、男爵に叙任されたばかりの父は私財を投げうって貧民の救済に奔走したのです」


 一番後ろを歩いていたネネが「ライト」のともった杖を振りあげて、


「……ボク、知ってるよ」


 器用に杖を動かして、坑道の壁に光の文字を書きつらねていく。


『「龍爪の騎士団」団長セオドア・ライオンハートは男爵の叙任時に与えられた褒賞も、わずかな土地と家も、将来もらうはずの俸給までしちにいれて、買えるかぎりの食料を貧しい人たちに配って、多くの人を飢えから救った。これより仁愛の騎士の名は国中にひろまることとなった』

「うにゃ、それは立派だけど、見ず知らずの他人のためにそこまでするなんて、ちょっとバカな人なのにゃ。

 あ、違うのにゃ! セシアのお父さんを悪く言うつもりはなかったのにゃ。ごめんなさいなのにゃ。オシリス団も義賊として活動してるけど、自分たちの取り分はもらってるし。そこまで自分を犠牲にしてたら、長く続けられないとおもったにゃ」


 セシアが後ろを振りむいて、「いいのです」とさびしげにほほ笑んだ。


「私はまだ幼かったので、父の善行を褒めたたえる人々の言葉や、父を信じる母のかたくなな態度にただただ父を尊敬していました。けれど年を重ね、母がやまいがちになるにつれて、男爵家なのに満足な食事もとれない我が家に、母に薬を買い与えることもできない貧しさに、言いようのない苦しさを覚えはじめたのです」

 

 坑道には運搬用のトロッコや台車、つるはし、スコップ、ヘルメットなど雑多なものが放置されていた。このまま魔物の徘徊がつづくようであれば、さらなる崩落や道具類の劣化によって復旧はますます困難になるだろう。

 光量が弱まってきたので、セシアがまた聖魔法「ライト」を唱えて、ネネの杖に灯りをともす。時おりあらわれる魔物の襲撃にも用心しつつ、俺たちは床に散らばった道具類に足をとられないように慎重に歩をすすめた。

 物思いに沈むセシアの口からは、ぽつりぽつりと言葉がこぼれ落ちていく。


「尊敬しつつも、私は心のどこか奥底で父を疑っていました。父は、母と私をどうおもっているのだろう? 本当に愛しているのだろうか、と。

 そんな疑念にむしばまれていく自分の弱さが悲しく、私は周囲から期待される役割を果たそうと懸命に努力しました。アリシア姫の模範的な友人役、あるいは、信頼できる護衛役として。仁愛の騎士セオドア・ライオンハートの娘として恥ずかしくない振る舞いをして、立派な聖騎士となり、自らもアリシア姫の盾に、そして『王国の盾』になろう、と」


 坑道は細く、いりくんでいる。きちんとマッピングをしないと堂々巡りになってしまう箇所も複数あるが、俺にはすべての道を踏破した「見晴みはらしの地図」がある。

 分かれ道の一方を俺が指し示すと、セシアは躊躇ちゅうちょすることなく魔物が潜んでいるかもしれない暗がりへとわけいっていく。


「母と私は父に愛されていたのか、答えが出ぬまま、父は勇敢な戦死をとげ、私の密かな疑念を解き明かしてくれる人はいなくなりました。

 もうこのまま心の奥深くに埋めてしまおう、父は偉大な騎士だった、それだけでいいとおもっていたのです。けれど、ガガーリン王が父のことを『ドワーフ族の大恩人』と呼び、はからずも私は自身の疑念の出発点となった『大飢饉に立ちむかった仁愛の騎士』と対峙することとなったのです」


 鉱夫たちのための椅子が置かれた小部屋に行き着いて、俺はパーティーメンバーに休憩を指示した。乾パンと水を配り、すこし先にある魔物の溜まり場に備えて英気を養いつつ、セシアの話に耳を傾ける。

 ガガーリン15世が恩人の娘に明かしたのは、仁愛の騎士の自国内にとどまらない巨大な献身の姿であった。

 大干ばつがおきたとき、リンカーン王国内でも貧民層に飢饉がひろがっていたが、岩場の多い土地柄のため食糧の大半を輸入でまかなっていた「地底のガッタ」にとっては国の命運を左右するほどの大惨事となっていた。すぐに備蓄が払底し、食糧価格が暴騰、それに追い討ちをかけるように七大貴族「強欲」のレスフィート・マモン伯爵が値段の吊りあげを狙って流通を制限しはじめると、状況は悲惨の一途をたどっていく。足もとをみられたドワーフ族は主要な生産品である精巧な工芸細工や武具防具を買いたたかれ、豊富にあった金・銀・銅・鉄などの鉱山資源も売り払うことになり、それでも足りずに多くのドワーフが農奴として連れていかれた。残ったものは木の根をかじり、土を食べて飢えをしのいだ。

 ガガーリン王は大きなまなこを細めて、往時の記憶をたどっていた。


「もともとわしらは大地の母の『大いなるはら』から生まれた地底の民。土と岩、あとは水さえ口にはいれば、骨と皮ばかりになっても石のように生きのびることができる。ぢゃが、まだ石になりきれぬ子供にはきつかった」

 

 飢えて亡くなっていく子らを見て、ドワーフたちは殺気だった。

 人間ノーマの集落を襲ってでも食料を得ようと主張する者たちがあらわれた。一触即発の危うい状況、そこにかねてより国境警備の「龍爪りょうそうの騎士団」として交流のある聖騎士セオドア・ライオンハートが訪れ、ドワーフたちの痩せ細った姿に驚愕し、「必ず自分が食糧を届けるから」と暴発をおもいとどまるように必死に説得した。そして約束どおり大量の輜重しちょうを率いて戻ったのである。


人間ノーマにも飢餓がひろがっている苦境のなか、他国を支援するなど世論も政治も許すはずもない。ぢゃから、セオドアは自国の貧民を救うという大義を掲げ、聖王の許しもなく単独で、大商人や七大貴族をはじめとする貴族連中を相手に恫喝まがいの危うい橋を渡り、気が遠くなるほどの借金を背負ったのぢゃ。

 わしが七度ななたび死しても返せぬ大恩。されど、わしらの関係を表沙汰にすれば、少なからぬ死者が出たリンカーン王国の民は、ドワーフを救う前に人間ノーマをもっと救えたのではないかと不満を漏らすぢゃろう。セオドアの真意を理解するのは聖王と大神官のホーリィ、あとはバズ大臣くらいのものぢゃ。仁愛の騎士。王国の盾。その名が真に意味するところを知るものは数少ない」


 ガガーリン15世は亡きセオドア・ライオンハートの御霊がそこにあるかのように、セシアに向かって深々とこうべを垂れた。対面するセシアは我知らず唇を噛みしめ、血の味が口のなかでひろがっていく。

 これほどの善行はない。これほどの仁愛はない。けれど、

 

「――父は無私の心をもった真の騎士でした。けれど、私はまだその境地に達することができない愚物ぐぶつです。いまも考えてしまいます。そこまで他者ひとの痛みに心を砕くことのできる父が、どうしてもっと母を大切にしてくれなかったのか、と」


 話の終わりを告げるべく立ちあがったセシアの目にはうっすらと涙がたまっていた。坑道の先を見つめる翡翠の瞳は揺れていて、いつものひたむきな騎士の姿はなく、不安におののく少女の面影がある。


「お母さんは、お父さんのことを何か言っていなかったか」

「母は、父のすべてを信じていました。私がすこしでも父を批判しようものなら厳しく叱りつけて反論を許さず、貧しい暮らしむきに愚痴をこぼすこともなく、国境の駐屯地から月に数度しか帰ってこない父のために手の込んだ料理をつくって満面の笑顔でもてなしていました。自分の体調が悪くなっても、ずっと」

「なら、お母さんは、セシアの知らないお父さんを知っていたのかもしれないな。

 まだチャンスはある。これから先、君がもっといろいろな経験を積んで、今日みたいにお父さんやお母さんを知る人から話を聞けば、いままで気がつかなかった真実にたどりつく日がきっと来る」


 中身の年齢が30代後半のおっさんが18かそこらの女の子になにを気障きざなセリフを吐いているんだ、と内心苦笑する。

 けれど、年を重ねた分だけ俺にはわかることもある。そのときはに落ちないことであっても、時が経てば、水が土にしみこむように胸にせまる言葉や記憶が確かにあるということを。


「カガトどの、本当に私にも、わかるときが来るのでしょうか?

 私はもっと、父と、母と、話をしておけばよかった。取りかえしがつかなくなってから、こんなにも胸が苦しくて……」


 さすがに「ほほう、どの胸が苦しいのかな。ここかな」などと冗談を差しはさむ場面ではない。俺は立ちあがると、そっとセシアを抱き寄せた。

 ピロリン♪ と音が鳴り、セシアが俺の鎧に顔をうずめて嗚咽おえつする。


「大丈夫。大丈夫だ。まずはガガーリン王に知っているかぎりの話を聞かせもらおう。グラン大聖堂にもどったら、ホーリィ大神官にも話を聞こう。リンカーン王都でバズ大臣に。他にもきっと大勢いるに違いない。俺はどこまでも付き合うから」

「あ、ありがとうございます。私は……ダメですね。こんなに弱くては」


 ネネがズズッと鼻をすする。自分の父親のことを思い出したのかもしれない。

 ユズハは「大丈夫にゃ。泣けるときは全部泣いてしまうのがいいのにゃ」とセシアの腕をさすって励ましていた。


「すみません。なんだか感情が上手く抑えられなくて。でも、もう大丈夫です」


 しばらくして、ようやく立ち直ったセシアが赤くなった目を見られないように顔を伏せて、俺から離れる。


「……涙は心を癒してくれる。

 と本に書いてあった」


 ネネがハンカチを差しだした。


「そうにゃ。涙は女の武器にゃ。武器は日ごろからいでおかないと、いざというときに役に立たないにゃ。だから、女はいつだって泣いてもいいのにゃ」


 ユズハがニカッと笑った。

 セシアが二人に礼を言って、借りたハンカチで涙を拭きとる。

 なんだかんだで良いパーティーになってきたな、と俺は笑みを浮かべつつ、


「よし、先に進むぞ」

 

 休憩終了を宣言し、再びセシア、俺、ネネ、ユズハの隊列で坑道を進みはじめた。

 ほどなく闇の向こうから、ギチギチという耳障りな音とともに黒光りする甲殻がしみだしてくる。「足軽あしがるアリ」だ。牙を鳴らし、威嚇いかくしながら間合いを詰めてくる蟻の群れ。


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『 足軽あしがるアリ 』

グランイマジニカの広範囲に分布している蟻の魔物。

すべてのアリは「すめらぎアリ」を頂点とした社会を構成しており、「足軽あしがるアリ」「具足ぐそくアリ」「武者むしゃアリ」は「将軍アリ」にしたがって、日々領土を拡張すべく戦っている。

足軽アリが吐きだすギ酸を浴びると、皮膚がただれ、目に入れば失明の危険もある。

【等 級】 E級(下級魔)

【タイプ】 ムシ

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 足軽アリは全部で6体。

 坑道の幅が限られるため、前衛3体、後衛3体という布陣で、前衛が剣の間合いぎりぎりのところで踏みとどまり、襲撃のタイミングをはかっている。


「仲間を呼ばれると厄介だ。速攻で片をつける。

 セシアは俺の右で盾役を。ユズハはセシアの後ろ。ネネはさらに後方にさがってファイアボールの準備を」


 後衛が俺たちにむかってギ酸を吹きつけるのと同時に、前衛が跳ねた。

 大型犬くらいの蟻が一斉にジャンプして襲いかかってくる姿は、虫が苦手であれば絶叫ものだろう。だが、俺はこの世界での戦いにすでにどっぷりと浸かっている。この程度のビジュアルで取り乱すはずもなく、冷静に真ん中の一体の頭を叩き割ると、セシアの盾に組みついてきた蟻を背中から串刺しにする。

 残る前衛一体も、ネネのファイアーボールを正面から浴びて、黒焦げになってひっくり返った。


「このまま後衛いくぞ!

 セシアは中央、ユズハは左、ひとり1体ずつだ」


 号令をかけつつ、まだ次のアクションにうつれない蟻たちに突撃する。

 まず、セシアが韋駄天の脚甲で瞬時に間合いを詰めると、疾風のごとき剣さばきで蟻の頭部を縦横に切りきざむ。次に、ユズハのつらぬき丸が足軽アリの外殻を胸部から腹部までやすやすと貫通し、最後に、俺の剣が残りの蟻を縦一文字に切り裂いた。

 魔石を拾ってそのまま直進すると、坑道の先には一段と深い闇。ライトの光が届かぬほど壁も天井も遠く、魔物が放つ熱を包容した闇が、目指すべき場所、魔物の溜まり場に到達したことを告げていた。

 

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