小さな紙片

金澤 裕也

海月都市

「君は今どこにいるの。」

「海だよ。海。」

「海?それにしては、波の音も風の音もしないじゃない。」

「海の中だよ。」

「心地いいかい。」

「ああ。聴覚も視覚も鈍いのはいいさ。誰も僕を苦しめないじゃない。」

「息苦しくないかい。」

「酸素は足りてるさ。でも、」

「でも?」

「何が足りないのかしら?」

「わからないさ。ここからは君が見えないんだ。」

「僕が足りない。」

「もう電話切るよ。10円が足りない。」

「そう。足りないね。」

 繁華街の明かりが微かに影絵を浮かべる、町外れの電話ボックスに時代遅れの電子音がなります。人の声、車のエンジン、ラジオの音は混ざり合って僕らには何も聞こえません。僕らが聞こえるのは静寂です。怖いのは静寂です。

 電話ボックスからでてきたのは海月です。ポリプから遊離したエフィラ。海のゆらぎに抱かれて、コロコロと丸まります。

 意識、無意識、意識、無意識、手足は時に色彩を持って、時に色を失ってコンクリートの海底を舞うのです。意識、無意識、意識、無意識。

「ボリプ、ポリプ、ポリプはどこ?」

海月は失った自らの根を探すのです。でも、根に戻ることはできません。かわいそうなエフィラ。

「ポリプ!」

 街はポリプに溢れているのです。でも彼のポリプはありません。もうどこにもありません。なぜなら、郷愁から来たる渇望が、細胞の記憶を操作して彼のポリプを書き換えてしまったから、どこにもないのです。

 それでも、彼は半ばにやけたような表情をしています。また、無意識が来れば忘れられるのです。海に波ができるのは、そんな海月が嗤うからです。



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