七月の夏休み -Summer vacation of July-

漆茶碗

プロローグ

序章「つながり」

 暗闇。


 室内は、虚無と言うに相応しい程の暗闇に包まれていた。

 部屋の内部において、『存在』と言う概念は、様な物と言える。

 例え何かが存在していたとしても、全てはきっと、無と等しくなる事であろう。


 途方もない『無』の空間から、唯一、『音』だけは聞こえていた。


「これが、私。そして、貴方」


 一人の、『少女』の声である。


 暗闇からは、存在を確認する事は出来ない。

 ましてや室内には、光の侵入は一切ない。

 少女の声が、『無』の内部で彼女の存在を証明している。

 よって、部屋の内部に少女は、完全な漆黒の中にその身を置いている事となる。

 無慈悲にも、虚空に縛り付けられる事を定められた『無色の少女』が。


 やがて、空間の黒を全て穿つように、一筋の光が室内を照らした。

 だがそれは何の事はない。単に室内の照明が灯っただけの事である。

 差し込む人工的な光源の中に広がるのは、それなりの広さを持つ部屋であった。

 内部は半球状のドーム型。

 壁と言う壁の全てが純白に覆われている。

 窓の一つも、凹凸すらも無い、まっさらな白。

 黒とは対照的ではあるが、『無』である事に変わりはない色。


 一見すれば、状況変化は結果的に無いと思われた。

 だが、先程までとは明らかに違う『何か』が、室内には存在している。


 無とは無縁の、確固たる『存在』が。


 部屋の奥――その中心部には、巨大な円柱型の『透明な筒』が設置されていた。

 直径は二から三メートル程。床下から天井までの高さを持つ筒が内包するのは、幻惑的な色彩の液体である。


 更に、液体に包まれる形で鎮座する――奇妙な形の物体。

 筒の内部には、液体と共に『謎の物体』が収められていた。


 あえて形容すれば、生物的な『骨』の様な何か。

 見ようによっては、物体は生物の『つの』の様に見える。

 その全長は巨大。天井まで伸びる筒と同じ程の高さ、長さを持ち、歪な形を天高くそびえさせていた。


 そんな巨大な『角』が収められた筒に背を預ける形で、件の少女は床に座り込んでいる。

 伸ばされた脚。その膝の上には、少女の身体にはいささか大きすぎるスケッチブックが置かれていた。

 スケッチブックのページは開かれており、白地の上には、鉛筆画と思しきモノクロの人物画が描かれている。


 少女が、二人。


 描かれた一方の少女は、座り込んでいる少女自身の全身像。

 小さな彼女が描いたとは思えない程の、写実的な人物画。

 それだけならば、自画像の一言で片がつくのだが。

 不思議な事に、紙には全く同じ少女の姿が二人分、左右対称に描かれていたのである。


 鏡写しの様に、瓜二つな幼顔が並んでいた。

 まるで、つながりを求めるかの様に、互いの小さな手を繋いでいる様が描かれている。


 が描かれたスケッチブック。

 彼女はそれを、誰かに向け、見せる為だとでも言う様に、ページを上向きに開いたまま己の膝に乗せている。

 少女は動かない。数刻前より一度も、言葉すら語らない。

 ひたすらに沈黙を貫き、筒の中の『角』と同化しているかの様に、その場所に静かに存在していた。


 少女は、一体何をしているのか。

 この場所は、何の為に存在しているのか。


 それは、少女自身にしかわからない。

 何故ならこの空間は、そう言う場所なのだから。


 少女が持つ絵だけが、おそらく何かを物語っているのであろうが。

 その意味を理解できる人間は、結局この場には存在しなかった。

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