4-8

 翌日から、少女は部屋に篭るようになってしまった。

 食事を部屋の前に置いておくが、手をつけた様子もない。

 心配で心が圧迫されそうになるがその結果を招いたのが自分なのだと言う事実が、鈴護を自己嫌悪の渦に巻き込む。


 そして何もできないまま数日が過ぎた。

 どんなに過去を悔やもうとも、時と言う物は残酷であり、気が付けば今日は七月二十日――就任期間の最終日があっという間に訪れてしまう。

 最後の時。鈴護は少女に何とか謝ろうと、部屋に訪れる。

 相変わらずその扉は閉じられていたが、鈴護が扉に手をかけ、開こうとすると、意外な事にも扉には鍵がかかっていなかった。


「ふ、ふーちゃん。入る、よ?」


 恐る恐る、少女の部屋の中へと入り込む鈴護。

 だが、部屋の中には少女の姿は存在しなかった。


「……ふーちゃん、どこなの? どこにいるの?」


 少女の姿を探して施設を練り歩く。

 食堂。学習部屋。資料部屋。

 様々な場所を探してみるも、結局どこにもその姿を見つける事はできない。

 駄目もとで、少女と初めて出会った宇宙船部屋へと訪れる。

 重い扉に手をかけ、空気の流れが違う暗闇に支配された部屋の中へと踊りこむ。


「思えば、この部屋から全てが始まったんだ」


 少女がこの学校に一人なのだと言う事を教えられ、更に彼女の『宇宙人』と言う突拍子も無い発言に驚き、気絶してしまった事。

 たった二ヶ月前の出来事なのに、既に遠い昔の様な懐かしさがあった。


「私は、この二ヶ月間で、また同じ事を繰り返してしまった……」


 結局、その思い出の全てを自分が壊してしまった。

 何もかもを、壊してしまったのだ。己の中の暗い感情が。


「ふーちゃん。いるの? 出てきてよ」


 鈴護は少女の姿を求めて宇宙船部屋の中を探索する。

 だが、ここにも少女はいない。

 おかしい。施設の中で思い当たる場所は全て散策したと言うのに。

 一体少女はどこへ行ってしまったのか。

 部屋の中心では、相変わらずの異様な圧力を与えてくる培養器の中の奇妙な物体が、鈴護を見下ろしていた。

 得体の知れない存在。こんな馬鹿げた物があるから、少女に対し、未知の感覚を覚える事になってしまったのかもしれない。

 そう思うと、妙に腹立たしく思えてくる。

 だが、それは結果的に少女に対して自分が犯してしまった過ちの責任転嫁にしかならないのだと考え、鈴護は再び自己嫌悪に陥るのであった。


「あれは……」


 何だろうか。

 培養器の近くの地面に、何かが見える。

 視線の先。床の上に、紙が沢山落ちていた。

 思えば、この部屋だけは今までじっくりと眺めた事が無い。

 少女がこの場所で何かをしているのは知っていたが、非現実を押し付けられるかの様な室内は、鈴護を不安に駆らせるには十分な物だったから。

 鈴護は床に落ちている紙を拾い集め、その目で紙の表紙に描かれていた物を認識する。


「この紙、絵が描いてある……」


 地面にばら撒かれた紙の全てに、見事な出来栄えの絵が描かれていた。


「でも、この絵に描かれている物って」


 どこかで自分も見た事のある、風景画が沢山描かれている。

 これは鈴護と少女が共に見てきた物なのだと、気付くのに差ほどの時間は要らなかった。


(もしかしてこれ、全部ふーちゃんが描いた物なの?)


 見た事が無い海の絵。見た事のある、この島の海の絵。

 ずらっと並んだ、洗濯物で作られたカーテンの絵。

 外に持ち出したテーブルからの風景画。

 兎の、絵。

 その全てが、少女と体験してきた情景を描いた物だった。

 沢山の紙に、彼女との生活の全てが描かれている。

 いつの間に少女はこんな絵を描いていたのだろう。

 今まで体験した出来事を、全て絵に描いていたとでも言うのか。

 近くの机の上を見てみると、その上には絵の具や筆と言った画材が並んでいる。

 少女の隠れた才能に驚きを隠せないが、今はそれよりも絵の中身が気になる。

 紙を拾う動作が止まらない。

 絵を拾い集め、部屋の隅に落ちていた最後の一枚を手に取る。

 そこには、ある女性の人物画が描かれていた。

 しかもその顔には見覚えがある。

 常に己と共に存在していると言っても過言ではない。


 最後の一枚には、用務員・木下鈴護の姿が描かれていた。


「これ……私、だよね」


 絵の全体像をよく眺めてみると、下隅に実に小さな字で短い言葉が添えられている。



 ――おかあさん。



 端的な言葉。

 だが、それだけに少女の気持ちが真っ直ぐに伝わってくる様な気がした。


「私が、ふーちゃんのおかあさん?」


 温かい、少女の純粋な気持ちが。

 その言葉を見た瞬間、鈴護の目頭から何か熱い物が込み上げてくる。

 止めようと思っても、止まらない。

 そうして溢れた何かが頬を伝って、床に落ちる


「ここまで私の事を思ってくれていたのに。私、ふーちゃんの気持ちを裏切ったんだ」


 鈴護が思っていた以上に、少女にとってもこの二ヶ月間の生活は大切な物になっていたのだろうか。


「発作を克服する為なんて言う自分勝手な動機で、勝手に色んな事を教えただけなのに……。ふーちゃんはそれでも、私にこんな想いを抱いてくれていたんだ」


 それを、そんな輝かしい日々を――たった一度の『嘘』が、全てを壊してしまった。


「私の事、おかあさんって思ってくれていたんだね。いつか、お別れがくる事を知っていたのに……」


 長くはない人生の中、色々な出来事を経験した世間的には大人と言う立場に立つ鈴護よりもジュライの方が何倍もの成長を重ねている。


「本当に、これ位の事にも気付けないなんて。どこまで私……」


 少女はあの時、鈴護に自分の素直な思いを話そうとしていたのだろう。

 決して安易な決意であの時の言葉を語った訳ではない筈だ。

 それなのに自分はたった一度の失敗を恐れて、それを理由に自分の弱さを前に出して、発作を理由に、少女の下から逃げようとしている。

 変わろうとしていた筈なのに、少女と一緒に変われると思っていた筈なのに、途中で逃げ出してしまう。


「あはは……。そうか。そうだったんだね、ふーちゃん。私ってやっぱり……」 


 少女の絵を胸に抱く。

 まるで自ら手放してしまった、温もりの代わりとでも言う様に。


「どう仕様も無い位、馬鹿だ」


 結局、鈴護は最後まで少女と出会う事ができなかった。

 たった二ヶ月間とは言え、少女と共に暮らしてきた思い出深い場所に背を向ける。


(ふーちゃん、ごめんね。嘘ついたまま、貴方から逃げて……ごめんね)


 自分の嘘が、そして癇癪と言う名の弱さが、全てを崩してしまった。

 結局悪いのは全て自分。

 やはり自分は子供に近づくべきではなかったのだと、悔やむ。

 そうして木下鈴護は、逃げるように学校を立ち去った。

 去り際、一本杉の下に作られた『兎の寝床』が目に入る。

 少女が信じていた物。二度と目覚める事のない、兎の墓。

 鈴護の嘘を明示する罪の象徴が、鈴護の中に深く刻み込まれるのであった。

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