ネバーランド・ワンダラー

大江 信行

プロローグ

西暦2085年4月25日 東京 久我 貫


 仮想現実の技術が進歩した昨今、据え置き型のゲーム機は没入体感型が当たり前になった。専用のヘルメットを被れば、誰もが仮想現実の世界を見て触れて自由に動けるようになる。


 精緻に描写された風景、高度な人工知能(AI)を搭載した仮想世界の住人達、日々蓄積されていく歴史、そしてそれらを共有するネットワーク上の仲間。多くの人々がそんな別世界に魅了され、誰でも一つくらいはお気に入りの仮想世界を持っている時代だ。


 俺、久我 貫もそんな時代の恩恵を享受する大学生だ。普段は剣と魔法がテーマのファンタジー世界で、サークルの仲間と楽しく冒険の日々を過ごしている。その一方で、最近珍しくなってしまった一人用の完全独立型ゲームも嗜む。


 大規模な多人数同時参加型の世界だと、どうしても現実の人間関係や価値観が混じり込んだり、ゲーム内の資源を他のプレイヤーと分配する煩わしさがつきまとう。そういうのに疲れたとき、自分だけの箱庭があるっていうのはありがたいものだ。


 もっとも、一人でこつこつやる作業に没頭するタイプの俺は、一度箱庭に篭るとなかなか出て来られなくなるんだけどな。ここ数年は『Burned ruins Virtual』、通称BRVというゲームを隠れ処にして入り浸っている。


 そのゲームは、昔から続いてるシリーズ作の仮想現実型デビュー作で、最終戦争により文明が崩壊し放射能が吹き荒る架空世界を、文明の遺産を漁りながら自由気ままに放浪するという、ポストアポカリプスと呼ばれるジャンルの仮想世界だ。


 放射能汚染や戦前の違法実験で突然変異したミュータントの化物が闊歩し、バンデットと呼ばれる強盗どもが銃や改造車で武装して襲いかかってくる無法の世界。無力な人々は廃墟と化した街や荒野に隠れるように集落を作ってほそぼそと生きている。

 

 プレイヤーはミュータントやバンデットを蹴散らして人々を守るのも、逆に自分がバンデットになって集落を襲うのも自由だ。さらに拾い集めた素材や技術を使い、武器や機械を開発したり荒野を開拓して新しい集落を作ったりするのも自由にできる。


 同作のオンライン版も存在し、そちらは強豪タイトルとして根強い人気を誇っている。そのデータを流用しているBRVは、一人用ではありえないほど充実した内容と発展性を持っていた。


 俺のプレイスタイルは善人寄りの中立みたいな感じで、やり込んでいくにつれてハイテク西部劇みたいな雰囲気になってきている。長く遊んでいるから荒んだ世界観にもかかわらず愛着があり、発売される追加パッケージから限定的なコラボ企画まですっかり網羅してしまった。たまにオンライン版を覗いたりもしている。


 そんなわけで、一コマしか取っていなかった講義が休講になった今日、俺は朝からゲームを起動していた。


***


 仮想世界への移行は、現実世界で強制的に眠らされ目が覚めたら仮想世界にいるという具合に行われる。現実世界に戻ってくるときはその逆だ。だから大抵の世界では移行直後はベッドにいる。


 俺もベッド派なので、BRVの仮想世界『ザナドゥ』の各地に建てている拠点のベッドが仮想世界の出入口というわけだ。


『おはようございます、マスター』


 俺がザナドゥで目覚めれば、サポートAIの『リタ』がすかさず声を掛けてくる。リタは、戦争前の軍事施設に保管されていた移動基地『ベーストレーラー』の管理用AIだが、俺のリンクブレス(腕輪型情報端末)やガイノイド(女性型アンドロイド)ボディを使って俺の行動をサポートしてくれている。今は辺境集落の拠点なので、リンクブレスに繋がったイヤホン型ヘッドセットから声が聞こえている。


「おはよう、リタ」


 リタのAIには現実世界の側でもかなり贅沢なAIが割り振られていて、多少融通のきかない人程度の判断や受け答えをしてくれる。当然、ベーストレーラーを含めた一連の装備は最新の追加コンテンツで、最初から与えられているものじゃない。一昔前なら、ゲーム一本分くらいになるだろうイベントシナリオをクリアしてやっと手に入れられる。リタの本体は別売りの汎用AIだが、オンライン版ならこのセット用に別途で月額課金がされたりする。


 ちなみにゲーム開始時の装備は薄汚れたツナギと廃品をかき集めて造ったジャンクピストルだ。


『現在地は第6850地区のコロニーの拠点です。本日のご予定は?』


「こないだ、ここの住人が発見したシェルター遺跡を探索しよう」


『了解しました。パワードスーツはいかがいたしましょう?』


「ステルスタイプのままで良いさ。リタは今やってるボディのアップデートを継続していてくれ」


『かしこまりました。ではサポートは通信で行います。お気を付けて、マスター』


 毎度のやりとりになっている通信と平行して身支度を終え、拠点の片隅に設置したパワードスーツ用のハンガーに向かう。スーツは戦争前後に使用されていた兵器で、特殊合金の装甲、機械式の増力機構、生命維持システム、各種センサーとそれを処理するコンピューターをひとまとめにした、いわば『着るロボット』だ。ゲーム中盤あたりに入手し、技能や発掘の度合いに応じて強化していくことができる。


 曲線的でスマートなフォルムのスーツを身につけ、特殊繊維のダスターコートを羽織ったら準備完了。今日も遺跡探索に出発しよう。


***


 シェルター遺跡はランダムに設定されたランクがあるが、今日のは当りのようだ。上流階級向けのシェルターで、中に転がっている食料や物品はどれも高級品だし、保存状態が良いので新品同様の姿を保っている。それに電子部品の材料になる家電が多いのもうれしい。その分ガードロボット達が強敵だけど、これも高性能パーツの元になるしな。


 これが地表の廃墟やランクの低いシェルターだと泥や砂、ひどいと放射性物質で汚れていたり、熱で劣化していたりするんだよな。まあ、それが当たり前になっている世界なんだけど。


『マスター、坂崎様からコールです』


 最後の番兵ロボ、正式名センチネルドローンにアサルトライフルで止めを刺し終えた頃、リタが友人の坂崎から着信があることを知らせてくれた。これは、ネットワーク経由で現実世界か別の仮想世界からの通信のことだ。


「繋いでくれ。音声のみで。――はい、久我」


『よう、トオル。また世紀末か?』


 坂崎は大学の同期だ。お調子者なわりに公平な態度を崩さないヤツで、サークルメンバーと一緒にやってるファンタジー系の多人数参加型ゲーム『ブルーフォークロア・オンライン(通称フォーク)』で仲間内の世話役のようなことをやっている。俺がBRVにのめり込んで顔を出さなくなると、こうやって声を掛けてきてくれる。


「ああ、お察しの通りさ。そっちはBFOか? 確か一昨日顔出したと思うけど」


『いやほら、塩川と笹井が付き合いだしただろ。それでフォークでもイチャつくから、下の連中の士気が下がってるんだよな。あいつら、お前が来ると張切るから、週末のイベントのとき顔出して欲しくてさ』


「何してんだ、あいつら…… まあ、顔を出すのは構わないよ」


『笹井がお前と付き合ってりゃ面倒無くて良かったのに』


「それはお断りだな。お前が付き合ってれば良かったじゃないか」


 話ながらも手近な物品をケースに放り込んでいく。どうせお互いゲームしながらの会話だ。さして重要な話にはならない。しかし、会話している後ろでさっきから呻り声か何かの駆動音のような「うーん」とも「う゛ーん」ともつかない音が聞こえている。最初は近くでシェルターの機械でも動いてる音かと思ったが、どうも向こうの声の後ろで聞こえてるような気がする。


「坂崎、お前、どこから通信してる? 後ろで何か変な音が聞こえないか?」


『いや、俺の方は聞こえないけど…… 何っ!?』


 急に坂崎が焦ったような声をあげる。何かあったのだろうか。


「どうした!? 坂崎!?」


 俺も作業の手を止めて声を掛けてみるが、坂崎から返事が返ってこない。ただ、呻り声が大きくなってきている気がする。そして、こんなときだっていうのに、とりとめのないことが浮かんでは消え、さっぱり集中できない。


――通貨単位……言語……地理…… なんだこれ、何処のことだ? ファンタジー系? 何かこんな設定の世界があったか……?


『マスター! 回線から判別不明の情報が流入しています!』


『トオル! トオル! 変だ! ギルドハウスの外の景色が消えた! 皆、落ち着け! 一箇所に集まるんだ! ログアウトを試せ!』


「坂崎! どうした坂崎! 他に誰かいるのか!?」


『情報流入継続! 回線の切断を強く推奨します、マスター!』


「坂崎! リタ! ネットニュースで何か言ってないか!?」


『マスター! 回線の切断を! マス……』


『何だ!? 白い光がハウスの中まで……っ!!』


 気付くと、呻り声だと思っていた音が何か意味のあることを言っているように聞こえている。


――個体情報連結確認……世界間転移経路起動……座標情報設定……エラー…… 待て、何を言ってる? やめろ! 乱数にて設定……基礎知識転写完了……転送開始…………


 最後の言葉と共に申し訳なさそうなイメージが俺の中を通り過ぎ、白い光がスーツのモニターを埋め尽くしていった。

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