血塗れの円周率と眠れぬ夜



 夜の孤独なベッドの下。そこで山田は震えていた。

 ……正確には震えていたのは一部分のみ。

 山田の指先だった。

 指先は血で紅く濡れており、指先の震えもよく見れば、何らかの文字を書くようなしぐさに見える。

 ……そして紅い血の痕跡は……数字だった。

 山田の部屋は山田の指先が届くところ、皆紅い数字で埋め尽くされていた。

 何故そうなってしまったのだろうか?



 今から過去になる。

 山田は学校の帰りの最中、思い悩んでいた。

 山田には密かに思っている人物がいたのだ。名は武田といい、理系……特に数学が得意な子である。

 ただ、山田が告白するには大きな壁があった。

 武田はまさしく数学を恋人にするような数学狂であり、平凡な山田など眼中にないのだ。

 しかも、数学は山田にとって鬼門である。

「そこのアナタ。ちょいとお悩みのようですかね?」

 この恋を諦めるか否か、悩む山田に声を掛けた人物がいた。

「あなた誰ですか?」

 不審に思った山田は問いかける。

「私は悪魔です。」

「なんですって。」

 山田は耳を疑った。悪魔と名乗るなんてどうかしているだろうと。

「疑う気持ちはわかります。でも、話を聞くだけ聞いたらどうですか。何も取りやしませんよ。」

 山田は取り敢えず悪魔の話を聞くことにした。

「アナタは意中の相手がいる。でも相手は恋よりも数学に夢中で、平凡なアナタなんて気にもしないだろう、アナタはそう思っている。」

 山田は再び耳を疑った。山田はそのことを一度も誰かに言ったこともないし、そのような素振りも見せなかったからだ。

「……どうやら図星ですね。でも、ワタシとの取引をすれば、意中の相手……武田さんを射止めることができるかもしれませんよ。」

「……欲しいのは、魂か?」

 山田は息を呑んで、問いかけてみる。

「欲しいのは、アナタの将来得るかもしれないです。」

 更に問いかける。

「取引で得られるものは?」

「数学の才能です。」

 山田は考える。山田には特にこれといった才能に恵まれているなんて、一度も思いやしなかった。

 ならば、自身の才能なんていっそ悪魔にくれてやった方がいいのじゃないだろうか?と考えた。

 むしろ、自身に明確な才能が与えられるのならこの取引はした方がいいのじゃないかとも考えた。

「……決まりましたか?」

 悪魔が問いかける。

「ええ。決まりました。あなたの取引に応じます。」

 山田はそう答えた。

「この契約書にあなたのフルネームを記入していただければ、取引成立です。」

 悪魔はすかさず契約書とペンを取り出し、契約の手続きを始めた。



 それから次の日の数学の授業。

 教室の周りの生徒達が山田に対して、目を丸くしていた。

 山田がまるで、人が変わったかのように数学の問題を解いていたからだ。

「――で、よろしいですか?」

「す、素晴らしい……」

 数学の先生も驚いていた。

 これが悪魔との取引というものなのだろう……山田はそう実感していた。

 まるで頭のなかのもう一人の山田が、スラスラと数学の問題を解いていくのだ。

 山田はこれで武田への告白に挑戦できる、そう思った。


 その日の放課後、学校の屋上。

 武田は屋上にやってきた。山田から呼び出しを受けたからだ。

 屋上に続く扉を開けると、そこには山田が待っていた。

「用があるって聞いてやってきたのだけど……何の用?」

 武田は不躾に山田に問いかける。

「武田さんに……その……」

「あーそういえば、今日の山田はおかしかったわね。あんなに苦手だった数学をスラスラ解いているなんて……まるで、別人みたいだったわ。」

 武田は山田の告白を遮るように言う。

「あの……」

「一体、何をしてきたのかしら?言っとくけど、焼き付け刃のようなやり方で数学を得意がられても嫌だわ。」

 武田の言葉は山田を容赦なく傷つける。

「あ……」

「あらごめん。何の用かしら?」

「やっぱ……良いです……」

 山田の告白する意欲は一気に削がれてしまった。

 武田は自身がやってきたことを知られたら、許すはずもないだろう。

 山田はズルをした自分を責めた……



 山田に異変が起き始めたのは、その日の夜であった。

 国語の勉強をしていた山田がふと手元を見やると、そこには日本語ではなく数字がびっしりと書かれていた。

 ぎょっとした山田は、今日勉強していた科目のノートを取り出して見てみると、数列でびっしりと埋まっていた。

 不意にスマートフォンの着信が鳴り始める。画面を見やれば、そこにはただ「悪魔」とだけ書かれていた。

 山田はすかさず電話を受けた。

「武田さんへの告白、うまくいきましたか?」

「うまくいきましたかじゃねーよ! 一体何だよ! 勉強していたかとおもいきや、いつのまにやら数列でびっしりと埋まっていたし!!」

 その答えを聞いた悪魔は、笑い始めた。

「何言っているのですか! アナタはを売り渡して、数学の才能を受け取ったのです! それ以外の才能がからきしなのはしようがないですよ!」

「そ、そんな……!」

「それと、その才能をあんまり退屈させていると、暇つぶしに数列を書き始めますよ。円周率とか、ネイピア数とか……」

 悪魔は更に話を続ける。

「素直にこの才能を自分のものとして受け取って、武田さんへ告白していればよかったですのにねぇ……そうすれば、武田さんとの数学談笑で少しは満足できたかもしれませんよ?」

「お、お願いだ。昨日の取引はなしにしてくれ! 一生のお願いだ!!」

「この商品にクーリングオフは付いてません♪」

 そう言って、電話は切れた。


 こうして、山田の眠れない夜が始まった……



参考文献

「血塗れの円周率と大きな過ち」

http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=366309

(2016年4月26日)

お題:忘れたい円周率 必須要素:山田 制限時間:1時間 文字数:1714字


更新履歴

2016年4月29日:中黒をリーダーに。一部加筆修正

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