2☆魔王からの招待状
魔王からの招待状①
「要、座布団を二枚出しておいてちょうだい。紫の房が付いた綺麗なのね」
「はーい」
返事をし、要は近所の料亭から配達してもらったお膳を台所に運びこんだ。
台所を出ると、リビングからは叔父や叔母達の和やかな笑い声が聞こえる。今日は一昨年に亡くなった祖母の三回忌だ。
(今日はタマの相手はできないな。帰ってこないといいけど……)
タマがこの家を出て行って、すでに三日が経っている。
新しい力とやらがどこにあるのか要は何も知らないが、「すぐ帰ってくる」と言ったわりには遅い。
まあ、帰ってこなくても要は何も困らないのだが。……むしろ帰ってこなくていい。
(でも、あのときは何も聞こえなかったけど、もしタマのいないときに魔王からのコールが聞こえたら……)
「…………」
三秒考え、要はうんとうなずいた。
(そんときは行ってみればいっか。そもそもコールがどんな音かもさっぱり分かんないし)
生憎と、考えてもどうにもならないことに時間を使う性格ではない。
無視してもいいが余計に面倒なことになっては困るし、何か妙な音が自分を導くようなら行く、そのあとは行ってから考える、で思考を終了させ、要は二階に上がった。
「お姉ー! お坊さん用の座布団ってどれー?」
先にクローゼットを探っていた茜が部屋から呼んでいる。
「紫のちょっと分厚いやつ。そこになかったら物置見て」
という間もなく「あったー」という声が聞こえた。茜が大きな座布団を両手に抱え、部屋を出てくる。
「こういうことって家でやるんだねー。三回忌ってまたお寺でやるのかと思ってた」
「する家もあると思うけど、うちは親戚も少ないし他の人も呼ばないから。これからはこの家でやるんじゃない?」
「へぇー。長男の家は大変だね!」
他人事のように言う茜を連れて階下に下りる。
奥の和室ではすでに法要の用意が整えられ、仏壇の周囲には色とりどりのお供えが綺麗に並べられていた。線香から細い煙が立ち上り、いつもと違う雰囲気に自分の家ではないような気になる。
座布団をどう置くべきか迷ったので、一枚はお仏壇の正面、もう一枚は斜め後ろに設置しておいた。
「お坊さん、二人来るんだねー」
菊花や小さな器に盛られたご飯が並ぶ仏壇を眺め、茜は無邪気に尋ねてくる。
「お坊さんって何教の人? 仏教?」
「他に何があんのよ……」
もう中学二年生になるのに心配な妹だ。
姉の嘆きをよそに、茜は素直に感心する。
「へー、仏教なんだ。うちの家って何教?」
「だから仏教だって言ってんでしょーがっ、あんたどんだけバカなのよ!」
「だってお姉キリスト教の学校行ってんじゃん」
「……………………家から近かったから」
概して宗教に無頓着な家系である。
かくいう要も葬式などには出ても、はっきりと宗派などは知らなかった。
(そういえば、どさくさに紛れてタマに聞くの忘れてたけど……)
魔王って、と考えたときインターホンの音が聞こえた。
「あ、お坊さん来た!」
茜が元気よく座敷を出ていく。
玄関まで出迎えた父と穏やかな老人の声が聞こえ、要も茜を追って部屋を出た。
廊下から玄関を覗き込み、茜は驚いたような声を上げる。
「あれ、一緒に来た人に髪の毛がある。すっごいカッコいい若いお坊さんだよ」
「へぇー…………っってっ―――――――っっ!!?」
茜の声につられ、何気なく玄関を見た要はその場で硬直した。
叫び声を出さなかった自分を褒めてやりたい。
父と挨拶をしているおじいさんは祖母の葬儀を執り行ってくれた住職だが、その背後に灰色の袈裟を着た若い僧侶がいる。
背の高い青年で、茜の言うとおり髪の毛がある。少しだけ癖のある黒い髪と黒目がちな瞳。要の父に向かって微笑むその顔は間違いない。
(魔王だ!!)
あの戦いの夜と袈裟の色は違うが、要の、もといタマの敵である悪の魔王だった。
「どうしたの、要?」
台所から出てきた母に声を掛けられ、要は飛び上がった。
「な、なんでもない!」
「ほら、お経始まるから和室に行きなさい」
逃げるわけにもいかず、和室に入れられた要は父にぴったり寄り添うように正座した。一番後ろに座りたかったが、叔父達に前へ行くように言われてしまったのだ。おかげさまで最前列のかぶりつきだ。
(近いっ! めちゃくちゃ近い!!)
魔王は要が配置した座布団の上に腰を下ろす。狭い部屋なので手を伸ばせば触れられそうな距離だ。
今、振り向かれたら――、と思うと気が気ではない。
一人緊張に耐える要の耳に、澄んだリンの音が二度響いた。
住職と魔王の合掌に一同が倣い、要も慌てて数珠を持って手を合わせる。
静かな合掌のあと、住職の声を追うように低くしっかりとした魔王の声が重なった。
「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴…………」
目を合わせないよううつむいていた要だが、意外な低音に顔を上げた。
朗々とした住職の声に比べ、魔王の声は低く声量があり、聞いていると安心してしまうような気持ちのいい声だ。
なんだか穏やかな心地になり、要は真っ直ぐに伸ばされた僧服の広い背中を見つめた。
(……お経読むときはこんな声なんだ)
正直なところ、戦いのときは叫び声しか印象にない。
魔王が職務を放棄して怪しい行動を起こす様子もなく、要はほっとして法要に臨んだ。
焼香も済み、祖母の三回忌は何事もなく終わった。
少し住職のお話があり、みな足を崩してリラックスしながら亡き祖母の思い出話などをしている。
祖母と付き合いの長かった住職は湯呑みをありがたそうに手に取り、にこにこと目じりにしわをためた。
「もう二年になるんですね。おばあ様は本当に明るくて気持ちのいい方でしたね」
「ご住職には昔からお世話になって。送っていただいて母もあの世で喜んでいると思います」
父と住職の和やかな会話にみな笑顔だが、要だけは一人沈黙を守り目線を逸らしていた。
住職の隣にいる青年から、ものすごい無言の圧力を感じる。
(これは……!)
かたくなに視線を合わせないよう頑張ってみたが、冷や汗が滲むのを止められない。
魔王の声に和み、すっかり油断してしまっていた。お経が終わり、魔王がこちらを向いた瞬間、ばっちりと目が合ってしまったのだ。
即行で逸らしたがもう遅い。魔王の黒い瞳と視線がぶつかったとき、分かってしまった。
(――気づかれてる!!)
間違いない。魔王は要がドリームピンクだと認識している。
知ったうえで、今日の法要に来たに違いない。
(なんで!? 魔法少女ってどんだけそのまんまでもバレないのがデフォなんじゃ!?)
要もテレビに向かって「気づけよ! そのまんまじゃないか!」とツッコミを入れたものだ。
(ヤバい! この間殴り倒してるのに……!)
そもそも家を知られたのはなぜなのか。魔王もタマのような妙な力が使えるのか。
タマの不在を知ったうえで来たのなら、ピンチ以外の何ものでもない。復讐、恨み、報復などの単語が頭を巡り、要はごくりと唾を飲み込んだ。
だが魔王は特に言葉を発することもなく、帰り支度を始めた住職に従い自分も持ってきた法具などを片づけ始める。
「それでは、私どもは失礼させていただきます」
「今日はありがとうございました。お見送りします」
立ち上がった住職を追って、父と母が見送りに部屋を出ていく。
ほっとしてその所作を見守っていた要だが、ふいに魔王が出がけにこちらへ視線を向けた。
(え?)
びくっと反応してしまったが、要に声を掛けようとはしない。
ただ、黒い瞳が真っ直ぐに要に向けられている。
(…………)
呼ばれた――?
なんとなくそんな気がして、迷った末、要は和室を出た。
とたんに、どきりとして足を止めた。
部屋のすぐ外で魔王が待っていたのだ。
要が出てくることを予想していたかのように、魔王は要に向かって手を伸ばす。硬直した要の手の中に、何かを潜り込ませた。
要が受け取ったのを確認すると、魔王は手早く草履を履き住職の隣に並ぶ。
「それでは、お邪魔しました」
ぺこりと礼をして、細川家を出て行ってしまった。
呆然と見送った要が手を開けば、そこには折りたたまれた白い便箋がある。便箋には達筆な文字で一行。
本日午後四時 湊下山駅西口で待つ――。
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