星の記憶

もず

第1話 死の砂

 ある男が、廃墟の街を歩いていた。肩にぼろ布をかけ、ジャケットとジーパンを着ていた。足取りはしっかりとしている。眉をしかめて、ゴーグルの中の目を細め、防塵マスクをつけて、遠くを見て歩いていた。

 鷹のように鋭い目つきをして、歩き続けていた。長身で、筋肉質だった。

 砂塵が吹きすさぶ。灰色の砂が、街を包んでいた。あたりは火薬のような、焦げた匂いがしていた。

 この砂は目を傷付け、肺を殺す砂だった。硝子の粉のように、人体を傷付ける。時には命すらも奪う。死の砂だ。石英や硝子の粉と似ている。数ヶ月で、死に至る可能性がある。

 ここは月だった。月の砂は人間にとって細かすぎた。昔は舗装されていたが、戦火で砂がまた舞うようになった。

 人間にとって、別の惑星の環境は敵だった。それでも、人類は諦めなかった。

 それの果てに、恐ろしい戦争を経験した。

 太平洋連合と、大陸連合が太陽系の各地で戦争をした。月と火星と木星での戦いは激戦だった。通常の爆薬の500倍の威力まで高められた電子励起爆薬が、全てを破壊した。それを充填した手榴弾一つで、21世紀の、200kgクラスの航空爆弾並の威力を発揮した。対消滅を利用した陽電子爆弾が、木星戦役で使われた。追い詰められた大陸軍が、太平洋連合を吹き飛ばした。たった一発で、戦況が覆り、和平になった。

 太平洋連合諸国の国民に深い傷を残した。先に仕掛けたのは、大陸軍だった。彼等はやり場のない怒りに包まれていた。

それから数年たっていたが、戦争はこの街まで深く傷付けていた。ここは大陸連合との、国境の近くだった。植民区画だ。大陸諸国の植民区画との国境沿いだった。

 ニュー・ナゴヤ。それがこの街の名前だった。

 男は歩き続けていた。あてもないまま。

 男に近寄る、男達がいる。ゴーグルとマスクをつけて、頭は丸刈りにしていた。食糧不足で痩せた男達だった。月は重力が軽いので、筋力も地球や火星、金星生まれに比べると格段に少ない。

「おい、金を出せ。ゴーグルとマスクだけは勘弁してやるよ」

 身長の低い男は眉をしかめて、そう言った。マスクの下はわからない。

 男達は一斉にポケットに手をやって、何かを取り出した。

 ぱちり。銀色に煌めく刃が飛び出した。ナイフだった。

 三人がナイフを取り出した。ナイフは携帯性があり、高い殺傷力を持つ。安く、銃より静かで、近距離なら、銃よりも恐ろしいことがある。弧と直線を自由自在に描かせることができる。飛びついて刺せば、どんな人間でも人を殺せる。どんな時代でも、人を殺せる。

 7m以内の、拳銃を抜いてない相手なら、抜いて撃たれる前にナイフで殺すことも出来る。月の重力は地球の6分の1で、地球や火星で育った者なら、もっと早く動くことも出来る。もっとも、彼等は月の育ちだった。

 鷹のような目つきをした男は、ゴーグルの下の目を少しだけ開いた。

 首を数センチ傾け、言った。

「ナイフか。やってみろ」

 男達は顔を見合わせた。

 一人の男が、手をぶら下げて、ナイフを刺そうとした。

 男は下から上ってくるナイフの腕を両手で押さえて掴み、そのまま引き倒した。

 そして、背中の、腎臓の辺りを踏んだ。痩せた男がうめいた。

「殺しはしない。安心して、かかってこい」

 逆手に持ったナイフを、一人が振り下ろしてきた。

 男は手を添えて、そのまま振り下ろさせた。ナイフの男の太腿に、ナイフが突き刺さった。最後の一人になった。

 男が斬りかかり、もう一人の男はバックステップとかがみで、華麗に避けていた。

 切りつけてきたが、大振りになっていた。相手の腕を両腕で受け止め、そのまま肘を決めて押し倒した。

「もらってくぞ」

 男は相手のナイフを取り上げ折りたたんで、ポケットに入れた。

 そして、脇腹に蹴りを入れた。

 男達は、ものの10秒ほどで、たった一人の男にやられてしまった。

 男は街を歩き続けた。迷い犬のように。

 ある残骸が、男の目の前に現れた。月の砂で灰色になったそれの前に、男は跪いた。男はゴーグルの下の目を瞑り、祈った。そして、砂を手で払った。何かのマークが現れた。太陽と星が彩られたマーク。太平洋連合軍のマークだ。

 その残骸は、人間の手のような形をしていたが、巨大だった。そして、角張っていた。

 戦争で使われた兵器。歩兵支援機として投入された兵器の残骸だ。

 この街のために死んだ者だった。

 男は周りの砂を払い続けた。

 砂の下から、巨大なライフルが現れた。その兵器の主武装だ。25mm機関砲弾をベルトリンクで装填するライフルだった。市街や森林で、その兵器の残骸はよく見つかる。

 100kg以上は、するだろう。威力はお墨付きだが。しかし、重力が地球の6分の1なので、月でなら持ち運ぼうと思えば持ち運べるだろう。

 男は砂を払い続けた。人骨が出てきた。骨はボディアーマーと、軍服と、拳銃を持っていた。男は拳銃と、そのマガジンを4個持った。

 M57拳銃。5.7mm高速徹甲弾を20発装填する。低反動で、ボディアーマーを軽量高速弾で撃ち抜く、太平洋連合軍の標準装備だった。重合体で構成されたボディに、人間工学を考慮されたデザインの拳銃だ。マガジンから覗いている弾丸は、細長くとがった弾頭に、絞りのある薬莢。小さい、ライフル弾のような形をしていた。

 男は拳銃のスライドを引いた。砂が噛んで、やすりのような音がした。

 男は近くの建物に入り、瓦礫の上に銃を置いた。そこは昔、民家だった。

 男は布と水と皿と、間に合わせのサラダ油を持って来た。

 銃を分解し、マガジンからすべての弾を抜いた。皿に水を注ぎ、全てをそれに入れた。すぐに灰色になった。何度も繰り返し、布で拭き取った。

 月の細かい砂は、水だけで落とせる。ほとんど水分を含まず、半分は酸素で出来ている。水素やヘリウムも、吸着されていることがある。

 マガジンのスプリングが弱くなっていたのを、男は指で感じ取った。

 男は全てのマガジンに15発ずつ弾を込め、残りの弾丸はポケットに入れた。

 そして、全ての部品にサラダ油を塗った。

 そして、組みたてると、男はスライドを引いた。弾丸が装填され、動作は軽くなっている。そして男は安全装置を上げ、ポケットに突っ込んだ。

 男は立ち上がり、振り返った。

「こんな所を一人で歩いていては、危ないぞ」

「ひ、ひうっ!」

 少女は、壁から片目だけを出して、男をずっと覗いていたようだった。十代の中盤か後半といった見た目だ。彼女が声の主だった。目が最大まで開かれ、また壁に隠れた。

 それとともに、大きな音が響いた。彼女は足をもつれさせて、転んでしまったようだ。男は、その場まで歩いて行った。少女はゴーグルと防塵マスクをつけた、赤ずきんのような服装をしていた。赤い布が、ずきんのように頭を覆っていた。

「立てるか?」と、男は言った。男の目は優しい色になっていて、声も、小動物に対するような声色になっていた。

 男は手を伸ばした。震えていた少女は、震えをなくし、落ち着いていた。

 少女の茶色の髪が、灰色になっていた。

「あなたは、ここでなにを?」、少女の目は落ち着きを取り戻し、彼の手を掴んだ。

 男は少女を引き上げた。ゴーグルの下の目が少し細められた。

「がらくたを、使えるようにしてたんだ。そっちは?」

「わたしは、ここの近くで、機械の修理をしてるんです。親の手伝いを」

 男は頷いた。

「それで、どうして俺をずっとつけてたんだ」、男は優しい口調で言った。

 少女は少し、後ずさりをした。

「大丈夫だよ、お嬢さん。責めてるわけじゃないよ」

「見慣れない人だから、見てたんです」

「ジャンクを拾ってたのか?あれは高く売れる」

「ええ、そうです。時々それを売っています。是非、うちの店に来て頂けませんか。あなたが来てくれれば、きっと心強いと思います」

 少女は身を乗り出して、目を輝かせた。髪についた砂を払うことも忘れていた。

「見てたのか。だったら、もっとあいつらに優しく対応してやればよかったかな」

 彼は頭を掻いた。

「名前は、なんて言うんですか?」

「俺の名前は」、男は少しの間を開けた。目が少し細くなった。

「マックスと、呼ばれてた」

「わたしは、ルビー。ルビー・F・ミドリ。ミドリって、グリーンって意味なんです。緑のルビーって、なんか変な名前って言われるんですけど」

「いい名前だよ。赤を緑ともとれるなら、あんなひどいことは起こらなかったはずだ」

 マックスは、拳銃が入っていたポケットを触った。

「じゃあ、わたしの家に行きましょう」

 ルビーは、マックスの腕を引っ張った。

「ジャンクは取らなくて良いのか?」

「もうポッケに入れてます。CPUとか、基盤だけ取った方がいいんです。他は安いし、重いですから」

「なるほどな」と、マックスは言った。

 二人は外に出て、歩き始めた。

 ルビーが建物の影へ走り込んで、何かに乗った。

 ヤマハのHMAXエアロバイク。空中に浮かんでいる。黒を基調として、バイクとは言うが、タイヤはなかった。パイプがバイクの周りに張り巡らされて、空気が地面に押しつけられていた。灰色の砂煙が、バイクの周りに吹いていた。

 ルビーはバイクに乗って、マックスの前へ現れた。

「これ、いつも使ってるんです」

「知り合いが、乗ってたよ」

 違う影から、また男達が現れた。手にナイフや鉄パイプを持っていた。

「おい、そのバイクを置いてけ」と、男達が言った。

 マックスは拳銃を抜いて、安全装置を外した。高速弾の、弾ける様な高い発砲音が響き渡った。男達の足下に一発撃つと、男達はちりぢりに帰っていった。

「よくこんなところで、ジャンク屋をやっていられるな。そんなに怖がりなのに」

 マックスは、拳銃を納めて言った。

 ルビーは、耳に手を当てていた。

「でも、そうしないと生きていけませんから。復興は、殖民地では遅いんです。地球が先だから。月はまだマシです。金星や、火星、木星の衛星に住んでる人のことを思うと、胸が苦しくなります」

 マックスは目を細めて、眉をしかめた。

「木星の衛星だったイオは、中国の陽電子爆弾で吹っ飛んだよ。本国にいるはずだ。あんなところには、誰も帰れない。イエローストーンの噴火より、酷いことになってる」

アメリカのイエローストーンで大規模な噴火が起こったのが、太平洋軍と大陸軍が戦争をするきっかけになった。経済に甚大な被害を世界が受けたのだ。

「詳しいんですね。わたしはイオの状況はよく知りません」

「しょうがないさ。自分のことだけ、気にするしかないんだ。こんなひどいことになってると」

 二人はそれきり黙って、歩き続けた。

 そのうちに、店が見えた。

「あれが、わたしの親の店です」

 寂れた店だった。建物から、鉄筋が見えていた。

 赤い文字で、ミドリ修理店と書いてあった。

 ルビーは、ガレージのスイッチを押して、シャッターを開けた。そこにバイクを止めた。巨大なエアダスターが、バイクの砂を吹き落とした。

 ルビーは、インターホンを鳴らした。

「お父さん、帰ってきたよ。助けてくれたおじさんも、一緒だけど」

「ああ!?誰だそいつは」 

 しわがれた声と、粗雑な発音だった。

「マックスって言う人だって。ギャングを撃退してくれたんだけど」

「ルビーだけ先に入ってろ」

 ルビーは、エアダスターの中に入った。

 数分、マックスは外で立ち尽くしていた。

 マックスは空を見上げていた。この時間になると、青い地球が見える。海の青と、砂漠と、少なくなった緑と、灰色の都市が見える。自然は科学と、戦火で滅ぼされた。

 北の方角を向くと、都心部が見えた。

 キロ級の高さを持つ、ビルが建ち並んでいた。大企業があのビルを建てて、居座っている。バベルの塔のような、ビルだった。

 そちらの復興は進んでいるが、こちらは進んでいなかった。

 急に、中年の男が、エアダスターから出てきた。ゴーグルも、防塵マスクもつけずに飛び出してきた。月生まれではない。地球生まれだ。

 手には、散弾銃が握られていた。銃身が二つ横並びになっていて、銃身とストックが切り詰められていた。

 21世紀の骨董品だった。

 マックスは両手を挙げた。

「顔を見せろ」と、男が言った。

 マックスはゴーグルとマスクを外した。

 鷹のような目つきに、痩せた顔。黒い短髪に、茶色の瞳。頬に傷があった。

 どこか影がある顔だった。悲しみを背負った男だった。

「こいつをボロだと思うなよ。12ゲージ散弾と、ヘリウム炸薬の徹甲榴弾が装填されてる。お前は木っ端微塵になるぞ。武器は持ってるか?」

 フラグ弾。電子励起爆薬が充填されている。数キロ分のTNT爆薬に匹敵する。

「拾いものの拳銃とナイフだけだ。他にはない」

「捨てろ」

 マックスはゆっくりと、拳銃を取り出した。それを地面に置いた。折りたたみナイフも地面に捨てた。

 中年の男が、マックスに、向かって歩いてきた。

 男は近づいて、頭に散弾銃を突きつけた。

 マックスはその瞬間、手で銃身を逸らした。そのまま、掴んで、体を捻った。轟音と共に散弾が発射された。二発目のフラグ弾が発射された。フラグ弾が遙か彼方に飛んで行って、廃棄された壊れかけのビルに着弾した。激しい炸裂音とともに、数階建てのビルの半分が吹き飛んだ。ビルは、崩壊を始めた。

 マックスは手をねじり上げ、ショットガンを奪って、地面に落とした。

「お互い武器無しで話そう」と、マックスは言った。

 ビルが完全に崩れ落ちて、灰色の風が吹いた。

「お前、なんて危ないことをしやがる。フラグが地面にぶつかってたら、二人とも死んでたんだぞ」、男の目には驚愕の色があった。眉と目尻が上がりきっていた。

「このぐらい、大したことない。目と肺が傷つく。早く中に入ろう」

 マックスは表情を1ミリも動かしてはいない。

「わかったよ。入れてやろう。ツラを見たかったんだ。銃とナイフを拾え」

 男は弾切れのショットガンを拾って、真っ二つに折って、銃身に散弾を二つ入れて、また元に戻した。

 マックスは拳銃とナイフと、ゴーグルとマスクを拾った。拳銃からマガジンを抜き、グリップに何度か打ち付け、スライドの後部を掌で何度か叩いた。そしてマガジンを拳銃に戻し、安全装置をかけた。

 二人とも、エアダスター・ルームに入った。月の砂が、吹き飛ばされていった。

「中に砂を持ち込むなよ。機械の敵だ。仕事を邪魔されちゃ叶わん」

「わかってるよ」

 男達は家に入った。

 月は死の大地になった。

 人類達は疲弊して、星に縛り付けられていた。

 太平洋諸国も、大陸諸国も疲れ切って、打ちのめされていた。

 現実に打ちのめされた人間達が、星々に囚われていた。

 長きにわたる戦争は、終焉を迎えた。

 しかし、誰も喜ぶ者などいなかった。疲弊しきって、星を呪うようになっていた。

 マックスもルビーも、打ちのめされた人間の一人だった。

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