第8話 垂れ込める暗雲
山崎は”LPSI2016”のことを気に掛けながらも日々の業務に追われる日々が続いていた。というのも、富士開発の稲垣社長としては「オープンイノベーション」とは言いながらも、事実上の自社企画として自社社員を少なくとも5名程度送り込みたかったようだ。しかし、実際は若手社員の植草一人の抜擢となった。人選を山崎に任せた以上は止むを得ず、とはいえ会社としてこれ以上の肩入れをするのは不毛との判断を下したようだ。稲垣社長に限らず、富士開発社内からの”LPSI2016”への評価は著しく低かった。「クリエーター山崎もこれまでか」という声も経営層の間でチラホラと聞かれていた。
第一回報告会の一週間前、山崎は週定例の経営会議を終えると、城南街区都市開発の現場事務所に電話を入れた。
「植草くん、本社から。山崎執行役員」
事務職の村田から取り次がれた植草は、周囲に気を遣いながら電話に出た。
「山崎さん、お久しぶりです。こちらからかけ直しますので携帯番号を教えてくださいませんか?」
植草は山崎の携帯番号をメモして、「ちょっと外します」と周囲に告げ、事務所の外に出た。
「山崎さんですか、植草です」
「勤務中に申し訳ない。単刀直入に聞こう。来週の報告会、準備はどうだ」
「そうですね。ボチボチといったところです。何とか報告素材はあるのでラスト一週間でスパートかと。それより、私達のBチームは松山さんのリーダーシップで何とかうまく行っていますが、Cチームはあまりいい状態じゃないみたいです」
「Cチームというと、電報堂の宮田君が目立ってたチームだな、確か」
「はい、ここだけの話、宮田さんって結構飽きっぽい性格らしいんです。6月のオープニングセッション以降ほとんどメンバーに任せっきりで、どうにもチームがまとまらないようです」
山崎は植草の報告を聞き、苦虫を噛み潰したような顔に変わった。
「そういうことじゃ困るんだよ。君達15人全員がリーダーだという自覚を持って、『隙あらば自分がリーダーに!』という意気込みじゃないとな。決して、宮田くん一人が悪い訳ではないと思うぞ」
「そうですね、そういう意味では各チームとも仲良し集団になり過ぎているのかもしれませんね。もっともっと意見の対立がないと尖った提案など出てこないような気がします」
「そうだな。ところで話は変わるが、植草くん、仕事中に職場で電話しにくい状況なのか」
植草はやや言いよどむ感じで、更に声を潜めた。
「はい、実は……。山崎さんはもとより社長の肝煎り企画ということで当初は周囲も応援してくれていたのですが、徐々に『会社にとってどういう意味があるんだ?』というような空気になってきて。青木課長や中村主任にも都度相談したりしているんですが、仕事中にこのプロジェクト関連のことをしたり、周囲にこの関連の相談をしたりするのはかなり気まずい感じです」
「チームの皆はどうだ?」
「皆、多かれ少なかれ同じような感じで細々とやっているようです」
「そうか、それは申し訳ない。社長や君の上司にも、今一度私のほうからバックアップしてもらえるように言っておくよ。いずれにせよ、今週末は期待してるから。頼んだぞ」
「はい、よろしくお願いします」
山崎は初めて会った時のギラギラ感を失った植草のかぼそい声に唇を噛んだ。
ーーそんなんじゃ、真のイノベーションは生まれないんだよ。周囲がどうのこうのとか、そういうしがらみを突き破らないと!!
その夜、山崎は電報堂の宮田を「報告会の前哨戦」という名目で銀座のバーに呼び出した。
「山崎さん、ご無沙汰してます。しかし、こんな高級な店、僕相手には不釣り合いですよ」
「嘘付け、接待でこういう店ばかり来てるんじゃないのか」
「誤解ですよ、広告代理店も景気のいい部署ばかりじゃないですから」
山崎は宮田の緊張をほぐしながら、「ところで来週だな」と切り出した。
「そう、もう来週なんですよね。そのことでご相談したいな、と常々思っていました」
「まさか、辞めるなんて言うなよ」
「そのまさかです」
場が一瞬にして凍りついた。山崎は右手に持っていたブランデーのグラスを静かにカウンターに戻しながら、「宮田君な……」と語りかけた。すると、「というのは冗談ですが、本当のところ辞めたいくらいです、と言ったらよいのか……」と声を落とし気味に言った。宮田も店に姿を現したときの元気を一切失ってしまっているようだ。
「どうしてそんなことになってしまったんだ」
「実は、当社の人間があらぬ噂を社内に撒いてしまって。私を推薦してくださった上司の上田が弁解して回ったのですが、噂というのは広まるのが早くて……」
「なんだね、その噂って」
「その、……、この企画は10年前に富士開発さんが神成市で失敗させた開発プロジェクトの贖罪だと。その証拠に富士開発が発起人になってバックアップ体制も充実。しかしメンバーには他社の人間を募り、存在感を敢えて薄めている、と」
「馬鹿な!」
山崎は握り拳をカウンターに叩き付けた。
「そういうところがあるんですよ、ウチの社風って。情報通というか耳年増の人間が多いせいか、あることないこと尾ひれを付けて面白おかしく言う連中が多いんです。もっとも自分がこのプロジェクトに選ばれなかったというやっかみもあるんだと思うのですが」
「じゃ、上ちゃんが火消しして回った訳だ」
「そうですね、この件で結構消耗してらっしゃいます」
「アイツ、そんなこと全然言ってなかったな。後で詫びの電話を入れておくよ」
「ありがとうございます。そんなこんなで何かこのプロジェクトに身が入らなくなってしまって、Cチームの皆には随分迷惑をかけちゃってます。進捗は私も耳に入れているんですが、来週の報告会は散々な出来かもしれません」
「事情が事情だけに止むを得んな。まあプロジェクトも残り半年ある。今からいくらでも取り返せるさ。今日はとことん飲もう。ディレクターである私のマネジメント不足の詫びも兼ねて」
結局深夜0時近くまで宮田と飲んだ後、店を出て銀座四丁目の交差点から山崎は上田に電話した。
「ザキか。こんな時間にどうしたんだ、飲んでたのか?」
「ああ、お前の後輩の宮田君とな。水臭いじゃないか、上ちゃん。聞いたぞ、大変だったって」
「宮田、俺を差し置いてお前に話したのか。いつかザキの耳に入るんじゃ、とは思っていたが、やっぱりな……」
「すまんな、お前までこんなことに巻き込んでしまって」
「こちらこそ申し訳ない。”LPSI2016”に不協和音を生じさせてしまって。ただ、念のために確認するが、俺達は15年ぶりに”LPSI”を復活させ、社会の変革を目指しつつ、次代のリーダーを育成する。その理想を実現するために動いているという認識でいいんだよな」
「もちろんだとも。決して俺の会社の利益や贖罪などの目的で考えたことはない。ただ、結果的にそうなる可能性があるというのであれば、今考えると神成市をフィールドに選んだ俺が間違っていたのかもしれない。俺にはただ、”LPSI”卒業生の俺に解決できなかった難題に”LPSI”で再挑戦してやろうという思いがあっただけだ。それに加え、社内の理解を得るために敢えていばらの道を行くのが賢明だと判断したのだが。あらぬ誤解を招いてしまったか……」
「もう走り始めたことだ。その辺は言いっこなしということで」
「で、今日宮田君と随分長く飲んで思った。今彼はリーダーシップを他に譲りかけているが、俺は彼にリーダーを務め切ってほしいと本気で思っている。彼にはその資質があるよ」
「ありがとう、でもその辺は本人の自覚と西内先生がどう考えるか、だな」
「そうだな。俺達にはコントロールしきれないな、そこは」
“LPSI”の頃の経験を互いに思い出しながら最後は談笑して電話を切った。西内先生の当時の逸話は語り尽くせない。今回は年齢に配慮して出番をぐっと減らしているが、本番で西内先生がどう出るか見物だ。山崎自身も来週の報告会が楽しみだ。
山崎は乗り込んだタクシーの中で来週に思いを馳せ、この一週間をどう過ごすかシミュレーションした。何があってもこのプロジェクトは完遂しなければならない。15名が神成市へ、そして社会へ最大の価値提供をする有意な人材になる、その手助けを微力ながら成し遂げるのが我々”LPSI”卒業生15名の使命だ。もしかしたら”LPSI”は15年経った今でも続いているのかもしれない。自らのリーダーシップを競い合うかのように価値創造に明け暮れた日々が懐かしい。我々は”LPSI2016”というプロジェクト創出により、15年ぶりの”LPSI”に今再び取り組んでいるのだろうか。
ーー誰が虎視眈々と俺の座を狙っているか分かったもんじゃないな。
山崎は微笑みながら紙幣を運転手に手渡すと自宅マンションのエントランスに千鳥足で歩を進めた。黒ずんだ空には稲光が走り、轟く雷鳴が遠く神成のほうから響き渡ってくるようだった。
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