今宵、君で愛を騙る
木遥
今宵、君で愛を騙る
騙るが語るに変わるまで
1.君のことを見ていた
朝、教室に入ると、
その人の席は窓際の前から四列目。
同じ四列目の対極、廊下側の席が紘登の席。紘登はカバンから出したノートの類を机にしまいながら、麗哉の横顔を盗み見た。麗哉のことを意識しているのは紘登に限ったことではない。同級生はもちろん、今年赴任してきたばかりの若い女性教師の
「
授業中、麗哉は教科書を開かずに頬杖をついて読書していた。松川の甘い声には反応を示さず、片手でパラリとページを捲った。心は此処に無いようだ。
「楠くん。 楠 麗哉くん!」
名前を強く呼ばれて、麗哉はゆっくりと顔を上げた。漆黒の髪が揺れる。少し長めの前髪から瞳が覗く。射るような視線。
「君には退屈な授業かもしれないけど、読書は休憩時間にお願いね」
「……はい」
溜息まじりに返事をして、麗哉はゆっくりと本を閉じた。
授業を聞いていない生徒が教師に注意をされた。それだけのことなのに、麗哉はクラス中の視線を集めていた。本を閉じる動作が、教科書を開く指の動きが、誰もが見惚れてしまうほど優美なのだ。この求心力は一体どこからくるのだろう。観察して真似をしてみても、麗哉のように綺麗に動けなかった。
麗哉がペンを持って気怠げにノートを開いたのを見届けて松川は授業を再開したが、紘登は麗哉から目を離すことができずにいた。何者にも媚びず、圧倒的な存在感を放つ麗哉に紘登は憧れている。不意に麗哉がこちらを向く気配がしたので、紘登は慌てて黒板に視線を戻した。麗哉を見つめていることを悟られないように、今までもギリギリのところで目と目が合うことを回避してきた。
『いと
黒板に書かれた一文を見て、艶やかとは麗哉のような人を指すのだ、と思った。
紘登を含めて、麗哉に近づきたい人間はそこら中にいるけれど、誰も彼には近づくことができない。他人を強く惹きつけるその姿は、有刺鉄線のような刺々しいオーラを放っている。休憩時間は読書に没頭して誰とも関わろうとしない。まさに一匹狼だ。機会があって珍しく口を開いたとしても、整った形の唇から飛び出す言葉には距離を縮める隙が無い。無謀なクラスメイトが彼に近づいては儚く散っていく様子を、紘登は何度も見てきた。クラスのマドンナ的な存在の女子も彼にアタックしていたが、結果は瞬殺、見ているこちらが泣きそうになるくらいの惨敗だった。可愛い女の子くらいでは、麗哉の興味は惹けないらしい。そんな彼が冴えない自分に心を開かないことは明らかだ。
春から夏に季節が切り替わる頃には、麗哉は孤高の存在としてクラスメイトに崇められていた。寄らず、触れず、指を咥えて眺めるだけの手の届かない存在。関係を築くことができない。魅力的で超然的で、麗哉は誰からも一目置かれている。
紘登はもう一度麗哉を盗み見て、心が熱くなるのを感じ、盗み見た一瞬で焼き付けた彼の姿を頭の中で再生して、満たされる。
教科書の内側に潜めた文庫本に視線を落とす横顔のラインはとても美しく、美を計算され尽くした芸術作品のようだ。無造作だけど清潔感のある髪。長い睫毛。ほっそりとした高い鼻、唇のふくらみ、引き締まった顎のライン。惚れ惚れするほど美しい。
麗哉はどんな本を読んでいるんだろう。彼と話がしてみたい。図書委員の紘登も読書が好きだ。もしかしたら、本がきっかけで親しくなれるような奇跡が起こるかもしれない。自分から話しかけるなんて到底できそうにないけれど、麗哉と親しくなる未来を妄想するだけで楽しかった。
紘登はふたたび麗哉の方を盗み見た。彼は利き手の右腕で頬杖をつき、窓の外を眺めている。顔が見たい。見えない。諦めて、紘登は再びノートを取る作業に戻った。
だから、その後振り向いた麗哉の視線に、紘登は気づくことができなかった。
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