助けられたネコ
鳥居を抜けたネコの前に現れたのは不思議な世界でした。目の前に広がる世界は、桃源郷と言うものがあるとしたらこの世界ではないだろうか? と、そう思わせるような景色です。
何と表現していいのか分からないようなやわらかな景観。暑くもなく寒くもなく丁度いい春の陽気のような暖かさ。木々は花で満たされ鳥の歌が常に聞こえる。どこからともなく流れてくるこの甘い香りは花の香りなのか、それとも――。
「まるで夢の中のようにゃ……不思議だにゃ……」
ネコは村のこの景色に酔ってしまいそうでした。ただここにいるだけで、とても気持ちが良いのです。もう何もかも忘れてしまいそうでした。
「にゃにゃにゃにゃ~♪ にゃふぅ~ん♪」
ネコは最初こそ正気を保とうとしたのですが、はっきり言って無理でした。初めて味わうこの不思議な感じに、身体は過剰に反応してしまいます。
「ふにゃあ~ん……」
この世界の雰囲気に酔ったネコはその場に倒れてしまいました。そして深い眠りへと落ちていったのです。
「……こさん、大丈夫?」
朦朧とする意識の中で、ネコは知らない誰かの声を聞きました。その声はこの世界に相応しい甘くて優しい感じがしたのです。
「むにゃ?」
ネコが気がつくと、そこは布団の中でした。いつの間にか布団で眠っていたのです。
きっと誰かに介抱されたのでしょう。お日様の匂いのする温かい布団は、とても居心地の良いものでした。
けれど、知らない内に知らない誰かのお世話になるなんてネコ一生の不覚です。
ガバッ!
意識を取り戻したネコは布団から起き上がりました。そしてすぐにキョロキョロと顔を動かして、しっかり周りを確認します。そこは小さくて可愛いファンシーな部屋でした。
部屋はきちんと清潔にされていて、それからこの建物からでしょうか? ここでもとてもいい匂いがします。
ネコが今の状況を確認していると、物音が近付いて来て部屋の戸が開きました。そうして可愛い女の子が部屋に入って来ます。
「あ、ねこさん気がついたんだ! 良かった♪」
女の子は起き上がったネコを見てそう言いました。
「突然倒れちゃうから心配しちゃった。その様子から見てあなたは外からやって来たのね」
「あの……ボクは君に?」
「そうよ。だってあの時私しかいなかったから」
女の子はそう言って笑いました。それはとても無邪気で愛嬌があって優しい笑顔です。
「そっか、それはどうもにゃ……」
ネコは突然倒れた自分を助けてくれた女の子に、素直にお礼を言いました。
「ねぇねぇ、それよりあなたの話を聞かせてよ! 私この村の外の事を知りたいの!」
女の子はその可愛い瞳をキラキラと輝かせながら、ネコに質問を投げかけます。興味津々なその勢いに、ネコはちょっぴり引きました。
(ああ……ボクも人に話を聞く時はこんな態度だったのかもにゃ……)
女の子のその様子を見てネコはちょっぴり反省します。好奇心旺盛なネコはいつだって自分が興味を持った事に一直線でした。
でもこれからはもうちょっと落ち着かないとなぁと思い直します。
「ねぇねぇ早く! 早くぅ!」
女の子はそう言ってネコを急かしました。ネコは女の子に勢いに負けて仕方なく何か話そうとします。
ぐうう~
ネコが何か話そうとしたその時、口より先にお腹の方が返事をしてしまいました。
「ふにゃっ……!」
ネコは恥ずかしくなって思わずうつむいてしまいます。そう言えば、この村を探している間ネコは全く何も口にしてはいませんでした。
飲まず食わずで半日以上は彷徨ったのです。お腹が空いてしまうのも当然の話でした。
「あはは! ねこさんお腹空いてたのね! 待ってて! 今何か持ってくる!」
女の子はネコのお腹の返事を受けて、笑いながら部屋から出て行きます。何もかもお世話になるなんてみっともないと思いながら、ネコは女の子を止める事は出来ませんでした。
「何か色々とごめんにゃ……」
部屋を出て行く女の子にそう言うのが精一杯です。
「何か聞いていた話と違うにゃ……」
女の子が戻ってくるまでの間、ネコはおじさんから聞いていた話を思い出していました。そう言えばおじさんも直接村に入った事はなくて、村の話は全部おじさんの弟さんの受け入りだと言っていたのを思い出します。
「だから色々話がずれてきちゃったのかにゃ?」
そうやってネコが自分の頭の中を整理していると、女の子が戻ってきました。その手に持ってきたおぼんの上には暖かそうなスープがあります。
「とりあえずの間に合わせだけど、美味しいよ♪ 食べて!」
「有難うにゃ! 恩に着るにゃ!」
「遠慮しないでお腹いっぱい食べてね! おかわりもあるから!」
ネコは女の子の優しさに涙が出そうでした。彼女からスープを受け取ると、早速ひとくち口に含みます。
「こっ、これはっ……!」
口の中に広がる芳醇な香りと甘みとコク。ネコは今まで味わった事のないスープの味に感動を覚えました。
「まったりとして、それでいてしつこくない……これはすごいにゃ!」
「ん? どう言う事?」
このネコのグルメっぽい反応に、女の子はちょっと戸惑っています。ネコはハッ! と我に返ってこう言い直しました。
「えーと、つまり……すごく美味しいにゃ!」
「本当! 嬉しい!」
ネコのこの返事を受けて、女の子は満面の笑みを浮かべます。空きっ腹だったのと、美味しかったのとで、スープはあっと言う間に空っぽになりました。
「ふぅ~美味しかったにゃ~♪ ご馳走様にゃ!」
「もういい? まだあるよ?」
「有難うにゃ。でも、もうお腹いっぱいにゃ」
満足したネコを見て、女の子は食器を片付けに行きます。一方のネコはと言うと、お腹が膨れてまた眠気に襲われていました。
(ここで眠ってしまったら流石に女の子に失礼にゃ……)
ネコはそう思いながら、何とか気力で目を開けていたのですが……。自分がいる場所が布団の上だった事もあって、気がつけばまたぐっすりと眠ってしまっていました。
すぴ~♪
「あ~! また眠ってる! ま、いっか」
やがて戻ってきた女の子は、ネコの幸せな寝顔を見て優しく微笑みます。それから布団を優しくかけ直してあげました。
「ぐっすり休んでね」
それからネコは丸一日眠り続けます。気が付くとすっかり朝になっていました。
「ふああ~」
ネコは布団から起き上がり……そして自分がまた寝てしまった事に気が付きました。窓から射す光と小鳥たちの声……。今日も外はいい天気のようです。
ようやく落ち着いたネコは、これからどうするか改めて考えました。
(女の子にはちゃんとお礼を言うとして、それからおきゅうり様を探して願いを叶えてもらわないとにゃ……)
コンコン
ネコが考え事をしていると、部屋の戸を軽く叩く音が聞こえてきます。
「あっはいにゃ」
ついネコは反射的にそう答えていました。その声を確認して女の子が戸を開けて入って来ます。
「ねこさんおはよう♪ 朝ごはん持ってきたよ♪」
ぐうう~
朝ごはんの匂いが部屋中に広がって、ネコはまず口より先にお腹で返事をしてしまいました。
「ふにゃああっ!」
お腹の音をまた聞かれてネコは恥ずかしくなります。
「お腹が空くのは元気な証拠だよ! 今朝もお腹いっぱい食べてね」
女の子は笑いながらネコに食事を手渡しました。今朝のご飯は御飯と味噌汁と漬物とお魚――この朝食もやっぱりとても美味しそうです。
折角作ってくれたものだし遠慮するのも悪いと思い、ネコはこのご飯を遠慮なく食べる事にしました。
「朝ごはん有難うにゃ。いただきますにゃ!」
女の子の用意してくれた朝ご飯は、食べてみるとやはり特別美味しいのでした。ネコはあまりに美味しくて夢中で食事を楽しみます。
ネコがご飯を美味しそうに食べるのを、女の子はじいっと嬉しそうに眺めていました。
「美味しく食べてくれて嬉しい。でも良かったら今度はお話がしたいな」
女の子のこの言葉に、昨日食事の後に眠ってしまった事をネコは反省します。
「昨日はごめんにゃ……」
「いいよ、責めている訳じゃないから」
ネコの言葉を聞いた女の子は、すぐに否定する仕草をしてネコを安心させました。
「大体この村の人はみんなよく眠っちゃうの。ねこさんだけじゃないんだから」
「そうなんだ、この村は何だか過ごしやすいもんにゃ」
ネコはそう言って笑います。気が付くとネコは朝ご飯をぺろりと平らげていました。お腹はいっぱいになりましたが、今度は眠気の方は大丈夫そうです。
「今日は大丈夫? 眠くない?」
昨日の事もあったので、女の子は心配そうにネコの顔を覗き込みました。そんな女の子の様子を見て、ネコは安心させるように声を張って答えます。
「だ、大丈夫にゃ!」
「じゃあ昨日の続き、ねこさんの事教えて!」
女の子のお目目キラキラ攻撃! この攻撃にネコは精神的大ダメージ! 女の子の純粋な笑顔にネコは圧倒されていました。
でもこの時、ネコの方も自分の事を話す代わりに、女の子の事も聞き出そうと考えていたのです。ここまで自分の世話してくれる女の子ですもの、きっとこの作戦は成功するだろうと思いました。
「分かったにゃ! じゃあまずは自己紹介からにゃ……」
ネコは自分の事から始まって、この村の噂の事やどうやってこの村に辿り着いたのかを多少の脚色やギャグを散りばめながら、女の子が退屈しないように面白おかしく語ります。
「……と言う訳なのにゃ!」
ネコの話す長い話を、女の子は一度も退屈せずに満足そうな顔をして聞いていました。その様子を見たネコは、自分の話が女の子にちゃんと伝わっていると思い満足します。
「ねこさんもおきゅうり様目当てかぁ……。そりゃそうだよね」
「この村にはそう言う人、よく来るのかにゃ?」
「たまにね……。でも、ねこさんが来たのは初めてかな」
そう話す女の子の顔は少し冷めているようでした。この表情を見て交渉は難しいのかな? と、ネコは少し心配になるのでした。
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