青い馬を追う道化

@myokosuke

第1話 ホームルーム

 事件が起きた。

 温厚なクラスメイトの立花が先輩と殴り合って、二人仲よく病院送りになったらしい。水館景佑はこのニュースを朝のホームルームのときに担任の九条から聞かされた。

「詳しい経緯はまだ分かっていませんけれど、どんな原因・理由があったとしても、二人の行いは決して褒められたものではありません。最近、生徒同士のケンカが増えています。皆さんも他人事だと思って軽く考えずに、しっかり気品を持って行動するように心掛けてください」

 九条の話はほとんど頭に入ってこなかった。

 いかにもテンプレートな説教よりも、影佑は頭に浮かんできた疑問と向き合った。


“なぜ、立花はケンカをしたのか?”

“あの運動音痴で、気の弱い立花が、殴り合いの末に上級生を病院送りだと?”

“立花に何があった?”


 景佑がぐるぐる考えていると、背中をつんつんと突かれた。

 振り返って確かめずとも誰だか分かる。三度の飯より謎が好きで、元気で明るく、お節介焼きで自己中心的で、事あるごとに景佑を振り回す厄介な幼馴染のクラスメイト。神楽坂千里である。

「景佑、事件だよ!」

 案の定、千里は後ろの席で目を輝かせていた。

 三つ編みおさげに丸いトンボメガネ。

 ずいぶん昔の古いスタイルが妙に似合っている。その美貌から、クラスでも彼女のファンはけっこういるらしいが、竜巻のように活発な千里にわざわざ近づこうとする人間はほとんどいない。

 好奇心に輝く黒い瞳を見つめながら、景佑は答えた。

「事件は事件でも、今回はもう終わった事件だろ」

「どうして?」

「当事者の二人が揃って病院送りで片付いちまってんだから、犯人も何もない。あとは刑事なり教師なりが事の経緯を洗いざらい吐き出させて万事解決って具合だ。俺たち素人高校生が入り込む余地なんて、欠片も存在しねぇよ」

 いちおうそれらしい正論を並べてみたが、この程度で小さな竜巻が収まるわけがない。

 千里はかわいらしく小首を傾げて言った。

「でも、謎は残ってるよ?」

 ほら始まった。

 謎、謎、謎、謎……

 何年も前からずっと続いている千里の悪い癖だ。これさえなければ、きっと今頃モテモテでイケメンの彼氏がいるような生活を送っていただろうに……本当に残念なヤツだな。景佑は溜息を隠さず見せた。

「謎がどうしたって言うんだよ。謎なんてそこらじゅうに溢れているんだから、いちいちかまっていられるか。そんなことに精を出すより、お前はもっと女友だちを作ったり、かっこいい男をつかまえたり――」

 そこまで口にしたところで、横から脇腹を突かれた。

 隣りの席に目をやると、鈴宮春がしかめっ面を作っていた。

「付き合ってあげなさい。あんた、ヒマなんでしょ?」

 美人に睨まれると背筋が凍る。

 黒くて艶のある長髪がトレードマークの春は少し大人びている。

 良く言えば面倒見が良くて姉御肌であり、悪く言えば出しゃばりで仕切りグセがある。危なっかしい千里のことを妹のように心配しており、そのかわいい妹のお目付け役をいつも景佑に押し付ける。

 いつも通りの流れに抗おうと景佑は口を開いた。

「鈴宮が付き合ってやれよ」

「私は忙しいの。帰りにスーパーに寄ったり、弟たちのために夕飯を作ったり、洗濯ものを取り込んだり、宿題を見てあげたり、お風呂を用意したり、色々と、ね」

「……相変わらず、母さん、遅いのか?」

 春の母親は八幡ビジネス街にある高級ホテルで働いている。

 帰りが早い日もそれなりにあるらしいが、忙しい時期はほとんど泊まり込みで働くことが多い。それだけ頑張って子供たちのために稼いでいるのだから立派なことではあるが、その分のシワ寄せが春の肩に乗せられているため、赤の他人である景佑としては複雑な気分だった。三人の弟の世話に家事全般を任される彼女は、放課後になるとすぐいなくなる。そんな彼女を気遣ってか、千里はよく景佑を連れて鈴宮家に遊びに行く。こういう話をクラスメイトにすると羨ましがられるが、鈴宮家でやることと言えば、弟たちの遊び相手か、庭の掃除か、電球の交換や換気扇の掃除などであり、とても「遊び」と言えるような内容ではない。志願者がいるなら喜んで席を譲ってやりたいくらいだ。と景佑は常々考えていた。

「新人育成の時期だから仕事が終わらないーってグチってたわよ」

「それは大変そうだな……」

「そうそう。大変なのよ。だから千里のことは水館に任せた」

 疲れた顔でそう断言されると、景佑は反論できなかった。

「まーまーいいじゃん! こんなかわいい女の子と一緒にいられるんだよ?」

 そう言いながら、千里が晴れやかな笑顔を見せた。

「自分で言うなよ」

「本当はうれしいくせにー!」

「お前も昔はこんなに能天気なヤツじゃなかったのに……」

「でも、景佑は明るい子のほうが好きでしょ?」

「あー、まぁ、そうだな」

 担任の九条に睨まれたので、千里たちはここで話を中断した。

 こうなってしまっては仕方がない。景佑は事件に首を突っ込むことになった。




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