蛇蝎の王様と蟲愛づる姫君

@orihit

プロローグ

糞尿と汚泥と、死骸の山の中で、いきものは目を覚ました。


――――――あなたは誰ですか?


冷たい冷たい夜の闇の中でその、いきものは目を覚ました。


――――――あなたは誰ですか?


皮膚は焼け、表面の骨は強酸でどろどろだった。


――――――そう。あなたは、自分の醜さが、嫌いなのね。


ものを見るための瞳は、とうの昔に溶けて流れてしまっていた。


――――――ねえ。あなたは世界が憎い?


感じるのは、夜の闇の冷たさと、糞尿と汚泥と精液の匂い。そして


――――――あなたは自分自身も含めた、世界のすべて


こちらに語りかけてくる、少女の声だけだった。


――――――消えてなくなってしまえと、思っているのね。


少女の声は、淡々としたまま、続いていた。


――――――手を。


少女の声に反応して、身体が動き出す。

汚泥にまみれた骨が声の方向へ動き、その上に糞尿でできた筋肉が再構成される。

どろどろとした物体が、汚物の山の中から、ゆっくりと姿を現した。


――――――それが、あなたの身体なのね。



糞尿と血液と汚泥にまみれたいきものの手を、何のためらいもなく、少女は握った。


握った手を、少女はずるずると、

汚泥と、糞尿と、血液の山から引き抜いていく。


引き出された人の形をした骨の、外の空気にむき出しになった部分から急速に筋肉が形作られ、少年の姿になる。

その様はまるで、裸を見られた人があわてて服を着ているようだった。

びたん、と、少年の身体が地面に落ちる。


――――――遊びましょう。


声の方向へ、少年の顔が向く。

どろどろどろと、少年の身体の周りを、筋肉と脂肪と糞尿の膜が包み込み、姿を隠していく。その様は、まるでサナギになろうとする、虫のようだった。


少女は、どろどろとしたままの少年の手を引く。

ここは王都から遠く離れた森の中。

見上げれば木々の合間から丸い月が照らす。


びちりびちりと、少年の腕から大量の蛆虫がこぼれ落ちていく。

その内の何匹かが、少年の手を伝い、少女の腕の方へと這っていく。

うねりうねりと蠢いている蛆虫は、すう、と、少女の手に触れると、少女の体内に吸い込まれていった。


「あ、あ」


少年の姿だった塊から、音が漏れる。

それが彼の、最初の声だった。


――――――ねえ、かたまりさん。うまれたばかりのかたまりさん。


「あ、あ、あ、あ」

――――――ほら、見て?季節じゃないのにタパパ桃の実がなっているわ。


「ああ、あ、あ」


――――――ねえ、かたまりさん。あなたは、どこから、きたの?


かたまりとさんと呼ばれたいきものは、動くそばからぼとりぼとり崩れ落ちていく肉体を、剥がれるそばから再構成していく。

その様はまるで、後から後から垂れ落ちる牛の糞の様だった。


――――――そう、人の心の海から、きたのね。


そのいきものが、意味のある言葉を発することができなくても、少女には伝わっているらしかった。


――――――脂のように粘ついて、古い血のように生臭くて、破壊的で破滅的な、そんな目を背けたくなるような、人の心の領域から、やってきたのね。


少女は、ぼとりぼとりと崩れ落ちる身体も

発せられる嘔吐の音のような声も

手を伝い自分の腕まで這い寄ってくる蛆虫の群も

まるで意に介さず、いきものの手を引いて歩いていた。


――――――ねえ、王様、目を背けたくなるような、悲しい心の海から来た王様。


――――――今夜だけでいいの。私と、いっしょに、あそんでくれないかしら?

私も世界がむなしくて、悲しくて、切なくて、寂しくて寂しくて、たまらなかったの。




『蛇蝎の王様と蟲愛づる姫君』


  あの事件を一言で言うならば、きっととても陳腐で、安っぽい言葉にしかならないのだろう。


 世界のどこにでも在るような絶望を抱えたお姫様と、世界のどこにでも在るような絶望を抱えた王様が、世界のすべてに向けて紡いだ物語も、きっと、瞬く間に人の記憶から消えてしまうのだろう。


 なにせ、それを仕組んだ本人たちを除いた全ての人にとって、その事件の始まりは唐突にすぎたし、それを仕組んだ本人たちにとっても、その事件の終わりは、あまりにも早く、急激にすぎたのだから。


 国の全てを巻き込んだ無理心中。


 言葉にすれば、たったそれだけのことなのだ。

 あの、誰からも目を背けられる蛇蝎の如き王様と、彼にぴたり寄り添って片時も離れなかった蟲愛づる姫君。あの2人が一緒にいた三日間の顛末は、言葉にしてしまえばたったそれだけの――――――



 あの事件が始まり、国中の人に知れ渡ったのは姫の婚姻を祝う宴の日。

 姫の生家である杯印国の王城でのことだった。


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