第8話
静かに太陽は見えるすべての輪郭を映しだす。風が揺らす枝葉を縫って入る斜光は木漏れ日となって、一軒の家を照らした。
人知れぬ森奥にぽつんと建つ古びた家。
四方は草も生えていない荒野に近い開けた空間であるのに、外装にだけ蔦が幾重にも絡まっている。その姿は朽ち果てた廃墟そのものであり、こんな深い森奥にまるで古きから存在していたと主張していた。
民家と呼ぶにはあまりに異様な光景だ。
夜明けとともに森に踏みいった騎士団は、三ツ半の時を刻んだろうか、その家を発見した。
しかし。
そこに踏みいった瞬間、空気が変わった。まだ、その内部には入っていない。ソレに近づこうと切り開かれた木々を抜けただけ。だがたしかに、草木が生えなくなったその明確なラインが敷地の範囲だと示すかのように、そこに入った人間の産毛を±0℃の冷たさが逆撫でにした。
現在、騎士たちは取り囲むようように茂みになりを潜めて、つぶさに観察する。蟻一匹見逃さないその眼光は、監視といったほうが適当だった。
「団長。配置が完了しました」
副団長のその言葉にヒーライトは静かに頷く。
まずは、なにを差し置いても情報を得ることが優先される。オークの有無、敵の数、近衛騎士の状況……それらで騎士団の出方が大きく変わるのである。
まず第一陣として、家を囲みながら少しずつ
第二陣は不測の事態に備える伏兵として森に潜ませている。場合によっては彼らだけでも逃げることになる。すべてはオークを射止め、誘拐された姫君の近衛騎士を救出するため。
しかし。
ヒーライトは配置された者たちの顔色を伺う。騎士団全体に不安の色が感じとれた。それは、先に出陣したはずの魔術隊と出会わなかったことに起因する。
騎士団はあえて夜明けを待って、足場の悪い森の脇道をルートに選択した。代わりに、魔術隊はしっかりとした足場と見晴らしがよい正規の道を使った。『見晴らしがよい』とは、その逆を言えば敵からも見つかりやすいということだ。しかし、夜明け前の視界が悪い状況での出発だったので、足場のよい道でなければうまく隊列を組めないのも確かだった。
ヒーライトは安全をとり、レミリィは時間を急いだ。
その結果、魔術隊はその姿を見せない。なにかに巻きこまれたことは間違いなかった。
この森には悪党どもが蔓延っている、とあまり良くない噂があった。事実、昨日この森を移動していた姫一行は何者かに襲われた。なんとか姫君たちは難を逃れたが、運悪く崖から落ちてしまった近衛騎士の一人は、オークに連れ去られ────もしかしたら、今この家に。
そして、魔術隊もオークに────そんな思考が騎士団全体に覆っていることをヒーライトは肌で感じていた。
この場の空気を変えようと、ヒーライトは口を軽く開こうとした。
その時。
きぃぃ……、と軋む音とともに家の扉がゆっくりと開いた。
その場にいた全員が戦慄した。
そこから姿を現したのは、二メートルは優に越える図体、肥えた腹、豚顔、見間違えることなどありはしない───オークだった。
背筋が震え上がる。『ヤツ』の行動を、固唾を飲んで見守る。みながひりつく感覚を覚えたことが分かった。
『ヤツ』のたどり着いた場所は家の隣にある鉢。そこに青く生った見慣れぬ植物の実を軽く摘みとって、再度家に入っていった。
わずか数秒だったが、その姿を見たすべてのものの目に色濃く刻まれた。
騎士団は硬直してだれも動けなかった。
しかし、はっと忘我から意識を取り戻した副団長は、ヒーライトに詰め寄った。
「い、今のは……!」
動揺を隠せない副団長だったが、ヒーライトの横顔を見て言葉が失った。なぜなら、凛────、と聞こえてくるような、ひたむきに見つめる表情が一際美しかったから。
彼女は口を綻ばせる。
「……ひんだ」
「────はっ!」
「おひんひんだ」
「────は?」
振り向いて、ヒーライトはうっすらと不敵に笑い、たった一言────「おひんひん」と言った。
そして、まっすぐ歩きだし、扉を開けて家のなかへと入っていった。
……。
ほかの騎士団員はその場に取り残されてしまった。声をかけるまえに、思考を巡らせるまえに、ヒーライトは家のなかへ消えた。ただ呆然とするしかなかった。
「……なにか考えがあるのだ」
顔を見合わせた隊員の一人が口を開いた。
そこの誰もが真意を汲みとるできなかった。しかし、我らの考えが到底及ばぬ深き御心があるのだと、みな頷いた。ヒーライトという人物はそれだけ遠大な存在だった。
「それに騎士団長には【剣】がある」
ヒーライトが腰に携帯している一本の剣。それは、【
そして、この剣には逸話がある。
「なんでも、アレはすべての魔を切り裂くことができるそうな」
隊員は「だから……」とは言わなかったが、その切っ先はオークも例外でなく断つことができるはずである、と家の中にいるはずのヒーライトに目を向ける。
勝利を確信した、自信に溢れる口元を吊りあげる女神の笑顔がそこにあることを、団員たちは祈った。
ただひとり、副団長だけが彼女の言葉を噛み締めながら言葉にした。
「……おひんひん?」
◆◆◇◆◆
「ち×ぽぉち×ぽぉぉ……」
盗賊も魔術隊も、目を虚ろにさせながら、森をところかまわず徘徊している。その中で一人、レミリィはちょうどいい大きさの岩に腰をかけて考え事をしていた。
───どうしてこんなことになってしまったのかしら?
目を細くしながら眼前の地獄と形容できる光景を眺めた。そして、今までの経緯を思い出していた。
レミリィは考古学の名家に生まれた。父も母も名を出すだけで驚かれるで、幼いレミリィにとってそのことは鼻が高くなる気分だった。
しかし。
それが重圧になったのは、あの日だと明確に記憶している。彼女が九歳の誕生日、そして、父と母が残した遺書を読んだあの日。レミリィが才気を見せたのはそのすぐあとだ。周りからは神童と称されるようになった。
とくに魔法においてはあのヒーライトにも勝る実力だった。それには理由がある。
遺書に書かれた内容────名家の血筋を継ぐ者として人生を恥じることなく生きることと、それともう一つ。とある石盤に書かれた魔術式の一文を解読したこと。その呪文が世界をひっくり返しうる【記憶解析魔法】であることを。
モノが体験した記憶を呼び起こす解析魔法。
考古学における最上級魔法と呼んでいい。そして、それこそがレミリィが名家である理由だった。
しかし、【記憶解析魔法】は万能というわけではなかった。
【オーパーツ】と呼ばれる出処不明の非常に強力な
それは、今でも考古学界最大の謎だった。レミリィが考古学に傾倒したのもこの謎に魅了されたという動機がある。そして、レミリィが持つ
その
しかし。
今、この場には盗賊だけでなく、魔術隊も忘我の境に呑まれて浮浪している。
この
できるかぎり盗賊たちは縄で捕まえたが、レミリィだけでは手が足りず、数人ほど取り逃がした。しかし、その残党も混乱しており、夕刻までは人畜無害であることはたしかだった。
ヴィィィィン
手のひらから魔力を伝えるとひとりでに
知ってはいたが、レミリィはその禍々しい能力に唾をのむ。これを使えばあのヒーライトすら凌ぐことができるのではないか、と、驚嘆の眼差しでじっと見つめた。
「……あー、ダメダメ。あまり見すぎていると私にも効果が移ってしまうわ」
気をつけなければ術者でさえもその狂乱に当てられてしまう。これ以上醜態は晒せられない。レミリィは気を引き締めた。
「……そういえば、ヒーライトのやつもコレを見つめていたわね。大丈夫だったのかしら。効果が移っていたり……いや、もしそうだったとしても彼女の不注意だわ」
敵の心配をしても仕方ない、とマントを手で払って立ちあがる。
一人だけでも行かなければならない。国のため、自分のため、未だに娘に読まれたことにも気付かず遺書を隠し続けている存命中の両親のため。そしてなにより、
「……ん?」
レミリィは首を傾げる。とてつもない違和感を覚えたからだ。それは、人生で一度体験したことがある感覚だった。そう、
あの時は魔術工房内ではあったが、周りに人がいなかったことが幸いだった。そして今、その時の自分にレミリィは感謝した。この既視感がなければ気が付かなかっただろう、と。
「……そういえば、【気付けの呪文】があったわね」
どんなものだったかしら、とレミリィはコメカミに人差し指を立てて思考を巡らせる。しかし、
これでは埓があかないと、レミリィは最終手段───十八番の【記憶解析魔法】を詠唱する。
そう、この魔法こそがあのヒーライトを凌ぐに値する理由だった。通常、魔法には呪文か魔術道具、またはその両方が必要である。魔術を覚えるごとに長ったらしい呪文を一つずつ覚えなければならない。
しかし、ことレミリィだけは違う。この【記憶解析魔法】を自身にかけることにより、一度使用した魔法の記憶を追体験させることにより引き出すことができる。長ったらしい呪文を使い分けなくて済むのである。
呪文を口にした途端、すぐに記憶が呼びおこされ、呪文の命題が身体中に駆けめぐる。
しかし。
───しまっ……!
その既視感に気付いたときにはもう遅かった。
───ああ、なんてことっ! これは私がヒーライトとの決闘の時に、醜態を晒してしまった、あの……っ
お腹の奥から下がってくる熱量と毛穴が裏返る絶望の感覚。
───
「っ~~~」
───ダメっ絶対に!
「~っん、ぁんん♥」
───絶対に負けたりしないんだからっんぁあああああああっ!
「ふぅ……。さて、行きましょうか」
そこには目的を遂行する覚悟に至った、勇ましく慈しみ深い、そしてなにより清々しい表情の少女がいた。
まさに────
おち×ぽおち×ぽおち×ぽみ×くんほぉおおおおおしゅごいのぉおおおいくのとまらないのぉおおおおあへぇあへぇばかになるぅあたまばかばかになるぅううううおしっこじょばじょばばー♪
────という、すべてを乗り越えた表情だった。
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